2012年11月30日金曜日

これでいいのだというなら




 
だれもが
明日
死ぬかもしれないのに
鶏舎のなかの鶏のように落ち着かず
餌をついばむことだけ思って
せわしなく首を動かし
型にはまったぎこちない動きを続け
見開いているようでも
目は点
つくろっても毛はどこか汚れ
ひっきりなしに
糞尿をする

これでいいのだというなら
これでいいのだろう
ほかにやりようがあるかといえば
やりようもないのだろう

よろこび
価値
そんなメッキことばを
すっかり潰えさせてしまう
つめたい夕やみが来る時
腕には名前の書かれたラベルを巻かれ
カテーテルで痰を吸われ
舌には苔が生えて
OOさん、さあ食べましょうね
OOさん、さあおしっこですよ
保育園に入り直したように呼ばれ
衰えきった体の
乳児もどきができあがる

これでいいのだというなら
これでいいのだろう
ほかにやりようがあるかといえば
やりようもないのだろう

……
……
……


2012年11月29日木曜日

あたたかいのに




大声で生きるなんて耐えられない
大さわぎはいつも恥ずかしかった
エミリ・ディッキンスン




声をあげ
はっきり語れば
ぼろぼろと崩れていくものは
多い

ことばと
理屈に頼りすぎて
まだ
行く気なのか

そんな
嘘っぱちの道

黙っている者たちの
王国が
そこ此処に
あたたかいのに



2012年11月28日水曜日

あたりまえのこと




 
五官だけで
生きているのではない

あたりまえのこと


死んだ人が
生きていないわけではない

あたりまえのこと


2012年11月27日火曜日

まるで宇宙のむなしさのように



冬らしさが募るころ
寒さにまだ慣れていないものだから
まるで宇宙のむなしさのように
ぼくらは寒い

心の焚火を焚きたいと思う
燃やす木や葉が
見つからなくっても

…それにしても
どうして冬の物質は
こんなにさびしいのか

…それにしても
四季を通じ
どうしてこんなに
冬の心の人びとは絶えないのか

黙って
ひからびて
目まで瞑って立っていると
きっと
枯れ木だと思われる
打ち倒されて
焚火にされるかもしれないが
…それでも
いいではないか

宇宙のむなしさのような
寒さに
慣れてはいけないように思う
凍った顔と
凍った心で
平気で
枯れ木の森を伐採していくような
そんな強さ
それを持ったところで
どこに行き着くというのか




2012年11月25日日曜日

繋ぎとめようとしたって



幸運も
よろこびも
人も
繋ぎとめようとしたって
しょうがない
水流のわきにできる
渦のようなものだから

ほそい透明の
水の線のようになって
ただ流れていこう

また大岩があり
小岩があり
澱みがあり
浅瀬があり
きっと
ほかの水流たちと
出会うことになるから

避けようもなく
出会うことになるから



2012年11月14日水曜日

ほそおい、ひかりの流れの、ようなもの、よ…






…存在とは違うものへと過越しをする、
存在するのとはべつのしかたで…

…レヴィナスはこんな表現をくり返しながら、哲学のある大著*を始めたものだったが、…

哲学のよき思弁がどれもそうであるように、これもよき詩弁のくり出し。思索はいつも、詩の先導によってしか道をたぐれないから、…

リトアニアのカウナスに生まれた彼は
ナチスによって親族の大多数を殺されたという

その著書の冒頭で、彼は
国民社会主義によって虐殺された六百万人の者たち
 そればかりか、信仰や国籍の如何にかかわらず、
 他人に対する同じ憎悪、同じ反ユダヤ主義の犠牲になった数限りない人々
 これらの犠牲者のうちでも、もっとも近しい者たちの思い出に **
こう書くことで、これら六百万人の者たち、数限りない人々、これら犠牲者…の

存在するのとはべつのしかたで…、

存在とは違うものへと過越しを…していったはずの、

六百万…の、…数限りない…、これら…の、存在とは違うものへ…の、

運動の軌跡を、
心に現像しようとしている…

存在するのか、しないのか、
存在か、不在か、

…そんな粗い対義語で扱われるばかりだったものを、

〈存在とは違うものへと過越しをする、存在するのとはべつのしかたで…〉と、

新しく、あらためて、言い変えながら…


〈わたくし〉〈たち〉にはなおも詩が欠け過ぎている!
やわらかい透明の鳴虫の触角のような、詩の細い、ほそおい、ぴんせっとが…


死のこと、
存在とは違うもの、…のこと、
それへと過越しをする…こと、
存在するのとはべつのしかたで…ということ、
…それらだけではなく、

いま、ここでのことも、
〈わたくし〉が、このように〈わたくし〉している〈これ〉も、
ほそおい、ぴんせっとが欠如しているものだから、
取り逃がしてしまっている!…

だから〈わたくし〉はまだ生まれてさえいない!海の…
と救いのようにひとこと投げ出し
この生前をともかくも進んでいこうと
する〈わたくし〉は居る!たとえ不明のままに意識のうちなるつきあいが終わろうとも
〈わたくし〉は居る!〈わたくし〉という自称をぎこちなく無責任に使いながら
それを櫂としてなおも〈海の…〉に漕ぎ出していこうとする
ほそおい、ひかりの流れの、ようなもの、よ…







*Emmanuel Lévinas : Autrement qu’être ou au-delà de l’essence, 1978
** Autrement qu’être ou au-delà de l’essenceの邦訳『存在の彼方へ』(合田正人訳、講談社学術文庫、1999p.3


待ってもいないようで






Mort à jamais ?  
Marcel Proust 
« Du côté de chez Swann »
 



死んだ同僚が
会社で
よく座っていたソファ

そのわきを通る時
彼を思い出すことがある

訃報が一枚
掲示板に貼られ
しばらくは話題になったが
数週間後には
もう誰も触れなくなった
彼のこと

スイスで買ってきた
大きなカバンをテーブルに置き
ふんぞり返って
そこでよく本を読んでいた
ふんぞり返った性格だったから
そんな格好も
よく似合っていたっけ

仕事を怠けるのが
とにかく常習だったので
ときどき彼の姿が見えなくっても
驚かなかった
あれ、今日も休んでやがる
そう思って
カバンのないテーブルを見
ふんぞり返った姿のない
ソファも
横目に見ながら
こちらはこちらの仕事に
あたふたとしていた

カバンのないテーブルを見
ふんぞり返った姿のない
ソファも
横目に見ながら
いまは…

…いまも
かわらず
同じテーブルと
同じソファがあり

彼のことなど
待ってもいないようで
蛍光灯の下
あかるく
木目や布地を晒している


その輪郭を見つめる



近くにいる人が
むこうを向いていたりすると
ときどき
じっと見つめてしまう

さっぱりと晴れた日など
あたまや
肩の輪郭がはっきりとして
この世での
その人の今の居場所が
くっきりと囲われている

たった一ミリでも
その輪郭線からはずれると
もう
その人の領分ではない
世界はこんなに広いのに
輪郭の一ミリ外には
その人はおらず
輪郭の中に
閉じ込められている

にりにり
にりにり
にじにじ
にじにじ

いのちと存在の
秘密
みたいなものを
―大げさに言えばだが
えぐり出そうとしながら
その輪郭を
見つめる



2012年11月12日月曜日

旅という大きなやわらかい餅が





(私は旅に出なければなりませぬ、
(私は絶対に旅に出なければなりませぬ、…と
(ほぼそのように折口信夫が語っていたのは
(どこでだったか、
(どこの書簡でだったか、
(柳田國男宛のだったか、…

私もまた旅に出て
旅より帰ると
ああ、
旅づいた心と
異邦の水と空気に染まった
からだが
また旅に出ようとして
落ち着かぬ…

詩に
逢着するため?
旅に
出るのは?


(「詩学」編集長、ふたたび隆盛させようとの
(計画のなかばで逝った寺西さんは
(詩は言葉の寺
(詩は言葉の寺
(よく、そう言っていた
(寺西さん、
(寺西さぁん、
(ある夜、帰宅せず、「詩学」編集部で逝ったまま、
(どこへ行ったのかしらね、
(そろそろ、
(また東京に、戻ってくるかしら?

詩は言の寺

寺が見えないものを祀り
見えないものへ向かうように
詩は言葉ならぬものを祀り
言葉ならぬものに向かう

言葉ならぬものに
向かわずして
なんの

(私は旅に出なければなりませぬ、
(私は絶対に旅に出なければなりませぬ、…

折口さん、…

課されるように
旅という
大きな
やわらかい餅が
どこにも
かしこにも
べったり
転がっている

そのなかへ…
べったりの、なかへ…

詩は言の寺…

見えないものを祀り…
言葉ならぬものを祀り…



それでも 時間の続いていく明るさと 終わらない〈開け〉とが




その人には
じぶんを見ていてもらいたい
見せておきたい

今日のこと
こんなこと
あんなこと

そんな人が逝った後では
だいたいのことは
どうでもよくなってしまう
この世

すべてが
いわば
後の世となってしまった
そんな時間の中
日から日と
生きつないでいくのは
じつは
けっこうな
しごと

かなしいとか
さびしいとか
ではない

どちらへむかって
〈生き〉というものを
むけていくのか
わからなくなってしまう

ちからを出そうとしても
がんばろうとしても
どちらへむかって
そうすればいいのか
わからない

わたしの
あの人が逝ったとき
わたしは
毎日
ラフマニノフの
交響曲第二番の第三楽章を
聴き続けていた
なぜか
なによりふさわしい曲に思え
大きなかなしみと
それでも
時間の続いていく明るさと
終わらない〈開け〉とが
繊細にうねりあって
救いそのもののようだった

今夜
はげしい雨に誘われてか
ひさしぶりに
聴き直し
かなしみのうねりの中へ
意識をすっかり
吸われていきそうだった

この世のことは
もう終わったというのに…
と思いながら

…そうだ、
もう終わっているのだから
楽にしていいのだ、
なにもかも
もう
なるがままで
いいのだ、
と…

なんども
なんども
また
同じ楽章を
聴き直し続けて
いた…



2012年11月10日土曜日

森から森へ




森から森へ
印刷機が透明になって駆け
B56-333の薄闇
瑞々しい
小熊の描かれた
墓標に
生弁天さま、お座り!
やっべー礁
でしょー
お祖母ちゃんが
小さく
小さくなって
あんなに
小さくなって
歩いてくるねぇ
くるねぇ
もう死んじゃってるから
ウスバカゲロウ
たくさん纏わせて
誰もいない
日暮れ方の細道を
歩いてくるねぇ
小さく
小さく
小さくなって
ねぇ
立っている
ぼく
雑草の(名を知っている
のに忘れてしまって
いる草の)緑の穂をゆらゆら
させて
冷たい
未知の故郷を
指している

森から森へ
声や鹿のように
船着き場の
真ん中に落ちていた
薄桃色の
ハンカチの楽屋
コーヒーを
さびしく
飲んでいた人よ
ララバイなんか歌って
森から森へ
体を移すばかりの
日々の数時間
剥き出しの
記憶が歩いている
もう聞こえない
目か
鼻か
スペードの
ペーストの
小瓶をメッセンジャーバッグに
吊るして二子
玉川
駆け抜けた夏の
うどん自転車
スペードの
ペーストの 
bbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbbんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん
コーヒーおめでとう
いいえ、どういたしまして
いちど
カントの真表示
舞鶴
新しい手帖を破って
飛びおりた橋
高橋
ギンガムチェックのエプロンだけ
宙に逃れて
コスモスの束
抱いて
抱いて
抱いて、ヘーゲル
いや、ケーゲル
ヘルベルト・ケーゲルの
演奏録音ばかり集めていたぼくら
拳銃自殺に到る直前まで
音はどのように重さから解放されていくか
そこを聴きとるのだと
森の奥の廃墟で

森から森へ
ぼくらが今でも持っているのは
汚れても汚れない
言葉とその余韻ばかり
体なんかとうに透けてしまって
おかげで墓なんかいらない
この先
死ぬようなことになっても
…もっとも、そんなこと
ないだろうけどね
タルコフスキーが強調していたように
死はない
死はないんだから

森から森へ
印刷機は透明になって駆け
あるのは
B56-333の薄闇
瑞々しい
小熊の描かれた
墓標
死はない
死はない
墓標と死は
じつは
関係なかったんだからさ