2012年11月12日月曜日

それでも 時間の続いていく明るさと 終わらない〈開け〉とが




その人には
じぶんを見ていてもらいたい
見せておきたい

今日のこと
こんなこと
あんなこと

そんな人が逝った後では
だいたいのことは
どうでもよくなってしまう
この世

すべてが
いわば
後の世となってしまった
そんな時間の中
日から日と
生きつないでいくのは
じつは
けっこうな
しごと

かなしいとか
さびしいとか
ではない

どちらへむかって
〈生き〉というものを
むけていくのか
わからなくなってしまう

ちからを出そうとしても
がんばろうとしても
どちらへむかって
そうすればいいのか
わからない

わたしの
あの人が逝ったとき
わたしは
毎日
ラフマニノフの
交響曲第二番の第三楽章を
聴き続けていた
なぜか
なによりふさわしい曲に思え
大きなかなしみと
それでも
時間の続いていく明るさと
終わらない〈開け〉とが
繊細にうねりあって
救いそのもののようだった

今夜
はげしい雨に誘われてか
ひさしぶりに
聴き直し
かなしみのうねりの中へ
意識をすっかり
吸われていきそうだった

この世のことは
もう終わったというのに…
と思いながら

…そうだ、
もう終わっているのだから
楽にしていいのだ、
なにもかも
もう
なるがままで
いいのだ、
と…

なんども
なんども
また
同じ楽章を
聴き直し続けて
いた…



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