2015年5月31日日曜日

動きが渡っていった…

  

風もない室内を
さっき動きが渡っていった
吊るしてある金属のパイプの風鈴が
ひとしきり
音を響かせた

地異は方々に顕著になり
今までのようには
人びとは住めなくなるだろう

祈ると称して
神々を
自己利益のために
使うのはもう止めて
地と海と川と空の安寧のために
祈るべき時
破壊し
汚し
荒れ果てさせた自然の
心を安らげようと
改めるべき時

日本は
自然の神々に
心のじかに通じるところ
日本の神々の名と物語の表象を通じて
旧知の親しい友たちのように
彼らに安寧を保証すべき時
動き出したものを
もう止めようもないものの
いちばんの打撃は
それでも
逸らしてくれようというもの

われわれ自身の
本当の身体である地と海と空と川に
なにをしてきたか
なにをしてこなかったか
それを思い返して
祈り
それらにこそ謝罪し
心から同化して
安寧を保証すべき時



闇の散歩

  

散歩は好きではない
食べるのも飲むのも好きではないように
眠るのも座るのも立っているのも好きではないように
ただ身体を保つためにだけ歩く
ただ身体を保つためにだけ食べ飲み眠り座り立つように
ただ身体を保つためだけに社会に交わり人にも会うように

けれど
闇がほっとりと降りた夕方から夜
歩きに出るのは悪くない
ちょっと面倒な気もするが思い切って出てしまえば悪くない
闇は不思議なもので自分の身体の延長のように感じられる
精神はもともと境界を持たないから精神ももちろん同化する

たとえ街灯や家やビルの明かりで邪魔が入ろうとも
闇や薄闇の中を行くのは無限に拡大していく身体を持つ感覚
物はすべて闇によって日中の色や性状を曇らされ
まるで蝋化した死体の肌のようなぬっぺりした表面を晒す
これこそ物たちが本当のすがたに近づける時間
偽りをおおっぴらに振り撒き人心を惑わす太陽の衰える時

闇の散歩、闇の散歩、闇の散歩で心ははじめて安らぐ
まるでやわらかな良き水のなかに停戦地を与えられたように
どう言い包めようとも醜い戦いでしかない生は中断される
夜の散歩は不完全な模擬終戦に過ぎないとはいえ
肉体の中に心にはじめて入り込む聖なる“死の生”の爽やかさ
生きたまま死がここに清冽に生まれてくる陶然たる感覚



わたしは人間ではないのです

  

だれも読まない
と思うからこそ書ける

このあいだ
詩を依頼されて
ぱったり書けなくなった

書けなくても
いっこうかまわないが

人に読まれるかもしれないもの
そんななにかを書こう
としてみると
ぱったりと書けなくなった

ここに
じぶんの方法がある
秘密がある
とよくわかった

だれにむけても書いていない
だれにむけても書かない
という方法
だれかにむけようとした瞬間に
もう書けなくなる

そういう者だったのか
じぶんは
はじめて
よくわかった

わたしは
人間ではないのです
何度でもいうが
ほんとうなのです



来世では


おしゃべりをし続ける人たち
ものを書き続ける人たち
なにかを作り続ける人たちなど
貴重とは思わない
なにも表現しないで
黙々と生き続け
経験し続け
溜め込み続けて
そのまま死んでいく人たちこそ貴重
堆積し
溜め込まれ
煮詰まっていくものは
宇宙の彼方に爆発を起こさずにはいない
生産し表現し続けた人びとは
来世では腑抜けの
無性格者になってしまうとも
いうではないか


2015年5月30日土曜日

フォーレの『レクイエム』



フォーレの『レクイエム』は
ゴダールの映画『パッション』の中で
ふと涙が出そうになるほどの啓示的な瞬間に流れていた
それを聴いて以来好きなって
いろいろな演奏を漁り続けてきたけれど
昨年買ったスティーブン・クレオバリー指揮*のは特によかった
Agnus Deiなど
本当にしみじみとしていい
オーケストラ・オブ・ズィ・エイジ・オブ・エンライトメントと
ケンブリッジ・キングスカレッジ合唱団の演奏
イギリスの楽団はバッハもいいが
フランスの音楽もなかなかいい
音楽好きにとっては
イギリスっていうのは不思議なところ



*Fauré "Requiem" 
Conductor:Stephen Cleobury.
Orchestra of the Age of Enlightenment.
The Choir of King's College, Cambridge, 2014 





マーラーの第二交響曲『復活』を

  
マーラーの第二交響曲『復活』を
ちょっと辛くて聴き通せない
と言っていた知人を思い出しながら
ひさしぶりに
ブルーノ・ワルターの演奏で聴いたが
よかったよ

2楽章から聴いたら
よかったんだよ
あいつ             

きっと気に入ったと思うんだな
音楽なんて
最初の楽章から
聴かなきゃいけないものでもないんだ

第1楽章もいいんだけれどね

2楽章から聴いたら
よかったんだよ
あいつは


聴き直すものだなあ

  

速い演奏は好きだが
中野振一郎のはどうだかな
ちょっと味わいがな
と思ってきたが
バッハのチェンバロ協奏曲
BWV1055の
3楽章を聴き直したら
めずらしいほどの
きらぎらしい高音部の抜け感が
いいじゃないか
聴き直すものだなあ
すっかり忘れてしまった頃に
興味本位から
好奇心から
もう一度でも
何度でも




あのラヴェンダーは見に行こうかと思う


平鉢のラヴェンダーが
今年はちょっと多く花をつけて
風に揺れたり
蜂に揺れたり

土が悪いからか
家ではいつもよく花をつけない
葉もまばらにしかつかない

ブルターニュの友の庭では
まるでラヴェンダーは茂みをなし
採っても採っても
減るようにさえ見えない
束ねて防虫のために
タンスに棚に
毎年たくさん入れ替える

もうなにも
旅に惹かれるものはないが
あのラヴェンダーは見に行こうかと思う
いっぱいの茂みになって
思い思いに茎を芽を花を伸ばす
放りっぱなしの紫の草群



ワーグナーをたとえば


ワーグナーを
たとえば初夏のちょっとした余暇に
たっぷり聴くよろこび

きらきらしいローエングリンや
マイスタージンガーなどを

これを分かちあった友たちは
すでに冥界
此岸で今はわたしひとり
なお聴き続ける
よろこび

さまざまな演奏を見つけては
通ぶりを競いあった
クラシック仲間たちの
あの頃の狂騒を
ひとり静かに耳に保ちつゝ




喰い尽くしてぞ逝かんとす


    まだまだここからがいいところ
    奥田民生  『これがわたしの生きる道』
  


何人もの詩人さんに会ってきた
お金のある人はどんどん詩集を出していた
お金のない人は磨きに磨いた一冊を
いつか出版して詩壇を一変させるのだと
研鑽に研鑽を重ねていた
酒飲みが多かったが
ひょろひょろ胃弱の青白い
酒飲まずだって多かった
口数少なく声の小さい
静かな人が多かったが
大言壮語のオヤジ型や
精神異常の院生ふぜいも
けっこういたいた
みなつまらなかった
みな盛り下がる場末型

数十年も経てば
おゝ、自然の淘汰の偉大さよ
もう誰も残ってはいない
探しに探せば
あの人らの
詩集は見つかることもあるけど
意気軒高だった詩人さん
御自身たちは今いずこ?
たぶんお墓へ?
もちろんもちろん
ほんとのお墓へ
でもそれだけでなく
心のお墓
精神のお墓
思考のお墓へも
逝ってしまったみたいな感じ
どこかでほそぼそ詩集してる?
まだまだどんどん詩集をしてる?
人に見られず
読まれないのも
ある程度の年齢までは
艱難苦行
勲章のうち
けれど白髪もチラホラすると
見られた~いさん
読まれた~いさんらは
ホロホロ散りゆく桜のはなびら
ボットリ落ちる椿の花
ボロボロ抜ける老い人の歯

好きの一途で書いてきたなら
人生煮詰まる途上にて
いよいよ老いていく道で
どうして書いていかぬのじゃ?
これからこそがいいところ
本にまとめる?
本を出す?
欲ぼけヤングにやらしとけ
そもそも出版なんぞ
夢見る時点で世間の荒波に
乗れなかった奴、敗残者
どうせ他人の本だの思いは
せいぜいよくって酒場の肴
「あの人があゝ言ってるってサ
「へえ、あの人がねえ、ところでサ…
「あの本けっこうつまらなかったゼ
「そうだろうナ、あんな本
「えらく難しく書いてたゼ
「何者かになったつもりなんだろサ
「人生がどうのと言ってるゼ
「言われなくってもわかってらァ
馴染みの喜怒や哀楽と
終盤戦にかかっての
憔悴凋落衰退グツグツと
いよいよ煮込み極まって
行く頂点に到るのに
どうして
どうして
書かずにいられる?
さあここからがいいところ
まだまだこれからがいいところ
下手な出版欲など起こさず
これっぽっちも
ビタ一文も
出版業界など儲けさせず
ただただ書き読む機械になって
さらにモンスターになり募り
すべての文字や情報を
ムシャムシャ消費し
グチャグチャ排泄
この世の文字や表象や
自然現象
人の醜さ
ありとあらゆる出来事を
喰い尽くしてぞ逝かんとす
喰い尽くしてぞ逝かんとす




本狂い



嫌いなふりをしたり
興味がないふりをしたり
そんなそぶりも時どきするけれど
本が好きでたまらない
暇さえあれば本をいじり
新しい本を買い足したり
古い本を引っぱり出してきたり
あっちの本屋
こっちの本屋
あそこや其処の古本屋
疲れもかえりみず
それらをめぐっては
時間を費やす
外国に行っても
本屋に次ぐ本屋
古本屋から古本屋
言葉がわからなくても
読めなくても
あまり意に介さない
文字が意味ありげに並んでいる
ただそれだけでかまわない
この世の魅力は
文字の羅列にぎっしり詰まる

個人としては少ないほうだが
いまの蔵書は六万冊
薄い本やちっちゃなものも含めてだから
たいしたことはないけれど
ひとりの限りある人生時間には
もう読み切れない数
手放さなきゃなぁと思う
いい加減にしなきゃなぁと思う
読み切らなくていい本も
たしかにいっぱい
けれど死ぬまで読み続ける
けれど死ぬまでいじり続ける
知っている話は読み直し
いっそう話の奥へと深入りしたい
知らない話はどれも知りたい
系統だって深める暇のなかった
あれやこれやの専門書も
次つぎ次つぎ
まだまだ入手
まだまだ読む読む
まだまだいじくる




マリーゴールドの枯れた花



マリーゴールドの花
ひとつひとつ
枯れた後もそのままにしておいたら
小麦色に
茶色になりゆき
そろそろ捨てようかと
摘んでみたら

袋のようになった萼のなかに
矢のような種がいっぱい
矢筒の中に矢がいっぱい
萼を割いて開くと
生き生きと咲いていた頃のような
マリーゴールドの青臭い香りが
はあっと立った

聖母マリアの黄金の花
信頼、嫉妬、悲しみ、
悪を挫く、勇者、生命の輝き、
変わらぬ愛、濃厚な愛情、などと
この花に添えられた言葉を
植物辞典をひさしぶりに紐解いて
調べ直してみる




2015年5月29日金曜日

おじさん以上おじいさん未満&おばさん


  仲良きことは美しき哉
             武者小路実篤

  

もうちょっとのところだったが
電車に間に合わなかったので
ホームに降りずに
通路や広場のある改札フロアーにいることにした
木のベンチがあるので
そこに座ってサンドイッチでも食べて待とうと思った
次の電車はまだ15分ほど来ないから

席ふたつ分を領して
黒い服のおじさんが横になっている
その脇が空いていたので
ぼくはそこに座った

おじさんの黒い服は喪服で
ヨボヨボになんかなっていないちゃんとした上下
葬式でもあって東京に出てきて
気分が悪くなったのだろうか
靴をはいたまま
足を折って横になっている
おじさんとここには書いてみたものの
年齢的にはおじさんとおじいさんの間らしい
このところ暑かったからな
こんなせわしないところに遠くから出てくると
疲れるからな

しばらくすると
洋装の喪服を着たおばさんが来て
おじさんorおじいさん
というか
おじさん以上おじいさん未満
というか
寝ている喪服さんに近づいた
このおばさんもじつはずいぶん歳なので
おばさんorおばあさん
おばさん以上おばあさん未満
という感じだが
女性だから若めにここではおばさんと呼んでおく

おばさんは買ってきたプリンと
カフェオレだか
なんとかラテみたいなのを
おじさん以上おじいさん未満のわきに置き
ストローを挿してラテみたいなのを
おじさんorおじいさんに飲ませ
次にプリンの蓋を開けて
プラスチックのスプーンですくって
おじさん以上おじいさん未満に食べさせはじめた
プリンがガラス容器に入っていたので
おや
けっこう上等なのを買ってきたな
おいしいやつかな
と思わされた
おばさんはなんどかスプーンでプリンを口に運び
おじさんorおじいさんに食べさせ続けている

疲れちゃったから糖分補給をしてやったのか
それとも血糖値が急降下する体質なのか
けっこう手慣れているので
ときどきおじさん以上おじいさん未満に起こる症状なのだろう
おばさんはまったく動じた様子もない

しゃがんで
おじさんorおじいさんに食べさせている時
おばさんは背をピンと伸ばして
おじさんorおじいさんのほうにまっすぐ向いて
横たわっている顔をまっすぐ見つめて
スプーンを運び続けていた
横になったまま食べているから
おじさん以上おじいさん未満の口のわきから
ときどきプリンが落ちる
ベンチ落ちたプリンをティッシュで拭き
おばさんはまたプリンを口に運んでやる
そんな様子を見ているうち
おばさんがずいぶんきれいな顔の人なのに気づいた
白髪の髪を後ろで束ねてポニーテールにしているので
顔の輪郭がよくわかる
もう歳ではあるが
若い時にはきれいな人だったろうと思う
そういう人が
ちょっと微笑みを浮かべながら
おじさん以上おじいさん未満にプリンを食べさせている

ある程度の分量を食べさせると
プリンとなんとかラテみたいなのを
おばさんは袋に仕舞いはじめた
仕舞い終わってしまうと
さあ
という感じで
おばさんは両手を伸ばし
おじさん以上おじいさん未満の手をとって
引き上げるようにした
するとなんだか奇跡のように
おじさん以上おじいさん未満は軽々と起き上がり
横たわっていたのがウソのように
人びとが行き交う駅のなかに立ち上がった

おばさんは上着やズボンの皺を直してやり
ちょっとよろよろするおじさん以上おじいさんの片手を握って
ちょっと導くように歩き出し
―おやぁ、大丈夫なんだな
とぼくが見ている間に
ゆっくりと
ふたり仲よく
なんだか楽しげに
手をつないでむこうのほうへ
何番線だかのほうへ
人込みのなかにぐんぐんまぎれ込んで
歩いて行ってしまった

愛しあってるんだね

おじさん以上おじいさん未満が
ふらふらしたのが理由ではあるけれど
手をつないで
ふたり
大きな駅の雑踏のなかを行くのが
楽しいんだね

聞こえもしないのに
ふたりの背に
言ってやりたいように思った

なんだか
おみごとな
もんだよなぁ
おばさんの動じなさや
おじさん以上おじいさん未満の
自然な受けとめぶりに
ぼくは
しばらく
感心させられていた