2016年10月31日月曜日

揺れ のような



心の色をもっと
あらゆる
とたとえられるものを
もっと
洗い流し
剥がれるまゝにし

ぼろぼろの肌でかまわないから
空気に馴染む
空の青の通るがまゝの
ぺらぺらの

もう…心でなどなく
かろうじて
なんとか
こ、こ、ろ、程度の     

ちょっとの風にも
はらはら
揺れやまぬ
ような
ありように
なりたい

ちょっと見たぐらいでは
見えないような
容易に
すり抜けられてしまうような

存在
などと
いかめしい漢字の
あまりにそぐわないような

もちろん
などという
字にさえ合わない

雰囲気?

いや、それでさえない
気韻
のようなもの

揺れ

のような



2016年10月30日日曜日

雨だったから


Avec le temps, la passion des grands voyages s’éteint, à moins qu’on n’ait voyagé assez longtemps pour devenir étranger à sa patrie.
      Gérard de Nerval  « Les nuits d’octobre »


雨だったから
ミッドタウンからは乃木坂へ急いだが
後ろをちょっとふり返れば
雨にけむる
懐かしい六本木の交差点のあたり

あまり馴染んだわけでもない界隈のわりには
なにかと待ち合わせしたり
通り過ぎたりすることがあって
ヒルズの裏には戦後から遠縁の伯父さんも住んでいたし
西麻布に縁があった頃には
買い物といえば六本木や
麻布十番や
広尾まで出て
やけに高いものを籠に入れながら
なんて狂った街だと呟いていたこともあった
もっと昔のことを言えば
ゴダールもタルコフスキーも
アンゲロプロスあたりも
この界隈のスクリーンで見たのではなかったか

急いで銀座の画廊に向かうのだし
雨だったから
ミッドタウンからは乃木坂へ急いだが
後ろをちょっとふり返れば
雨にけむる
懐かしい六本木の交差点のあたり

あまり馴染んだわけでもない界隈のわりには
なにかと待ち合わせしたり
通り過ぎたりすることがあって
雨にけむる夕暮れには
あれやこれや懐かしくて
しめつけられる心

こんなところにさえ
散り敷いた思い出の数々があるのなら
あそこや
別のあそこ
他の数々の場所になど
数えきれないほどの思い出

雨だったから
ミッドタウンからは乃木坂へ急いだが
後ろをちょっとふり返れば
雨にけむる
懐かしい六本木の交差点のあたり




時間以外の何ものでもなく

  
Je ne suis plus que le temps.
Chateaubriand « Vie de Rancé »

  
他人が人の心のあやを見てとっていないと
思いたがる人は多いのだろうけれど
そう思いながらそんな人は
じぶんが本当に人の心のあやを見てとれていると
どれだけ信じ込んでいることだろうか

心のうちを見てとってやるべき
人たちが街にはあまりにいっぱい過ぎて
都心の雑踏の中を流されていると
ときどき耐えられないほど疲れ過ぎてしまう
わたしには見てとってほしい心のあやなど
もうさっぱりとないから
空になったわたしの心は人たちの心を
あまりにも吸い過ぎてしまう

人の流れがよくなるよう作られた明るい通路に出て
黒い服の人人人に沿いながら流れ続けていたら
この人たちはどこに行ってしまうのだろうとまた思って
同じようでも人それぞれ服に趣味を出していたり
バッグに独特の好みが見られるようだったり
靴がピカピカだったり疲れて歪んでいたり
そんな人それぞれの意匠に涙ぐましいむなしさを感じて
いつになくドッと疲れ切ってしまった

めずらしく傍らのカフェに入って
コーヒーと軽いシンプルな塩パンをお皿に載せ
ちょっと狭いテーブルに着いてちょびちょび口に運びながら
ガラス窓の外を流れ続ける人人人を見続けていた

みんなどこに行くんだろう、どこにも行けやしないのに
と若い頃のようにはもうわたしは言わない
どこにも行かない人が進み続けるのを今は知っているから
身体の衰弱し切った人や意識を失ってしまった人さえ時間を歩む
わたしたちは何にもまして時間なのだということを
わたしたちはいつもあまりに軽く見過ぎているけれど
なんという救いではないか、これは

わたしたちは時間で
時間以外の何ものでもなく
これまでの時間のすべてがわたしたちの身体や意識のどこかにあっ
なにひとつ失われていくことはなく
むしろ時間こそがわたしたちの本当の身体で
わたしたちひとりひとりは猫の鼻のわきからチョンと突き出た
ヒゲの一本のようなものでしかないという
なんという救い!
このあらかじめの徹底的な救われ!



コーヒー

  
せっかく注意深く淹れたのに

コーヒー

淹れると一仕事終わったような気になっちゃって

コーヒー

飲まないまゝ
椅子に深く腰を沈ませて
腕を組んで目を瞑って頭の整理に入ってしまったり
スマホなんかを
ぴゃなぴゃな
るらるら
見ていちゃったりして

コーヒー

飲もうかなと思うと
すっかり冷めてしまっていて

コーヒー

なかなか淹れたての
温かい
ふくよかな香りや
味わいに

コーヒー

なぜだか辿りつけなくって

コーヒー

さっきも淹れて
こんなことを書きつけ始めて

コーヒー

またまた飲めないまゝ

コーヒー

永遠の途惑いの中に
やっぱり居続けているような

コーヒー

秋の深い深ぁい

コーヒー

ある晩のこんな夜更け

コーヒー



十月の終わりだから

  
どの月の終わりもかなしい感じがする
十月の終わりは
十一月の終わりと似ているが
似ているだけで
ひどく違う
十一月の終わりには
十月の終わりのことなど思い出しもせず
十二月のことにばかり
頭は追われるから

十月の終わりよ
おまえは何に似ているの?

そう呼びかけてみながら
今夜はあまり
寒くないな
と気づき直す

寒いといえば寒いが
涼しさの
極みのような
気持ちよい寒さ

十月だから
十月の終わりだから



2016年10月25日火曜日

飲まないとは思うけどね



どこかへ旅行した時だったか
それとも
なにかのパーティーの時だったか
ちょっと小じゃれた料理屋か
バーに行った時だったか

化粧室に
いっぱいに置いてあったのを
ひとつ貰って来ちゃったものなのだが

個包装の
マウスウォッシュ
ひとつ

ホテルだか
店だか
から出て
外でさらになにか食べた後にでも口を濯ごうと思って
たしか
ポケットに入れておいて

でも
そのまゝ
使い忘れて
帰ってきちゃったんだな

それがずっと机の引出しにある

ずいぶん経つんだ

今度こそ使おうと思って
この前
机の上に出して
なにかの時に
ポケットに入れて出て
どこか
外で使ってやろうと考えているんだけど

なにかの時は
いっぱいあるのに
いつも
持って出るのを忘れてしまう

机の上に出したまゝだから
毎日
見ているんだけど
毎日
出かけるというのに
毎日
持っては出ない

あまりに見慣れてきたからか
最近
プラスチックのカップの中で揺れる
マウスウォッシュが
おいしそうに
見えてきている

飲まないとは思うよ

でも
なんか
危ないかもな
とは
思ってる

飲まないとは
思うけどね

(…こう記してきて
(思い出した
(京都の
(祇園のバーで
(飲んだ時のものだ
  (化粧室に置いてあった
  (へえ
  (こんなものを
  (常備してあるんだと
  (思ったものだ
  (「内服薬ではありません」
  (と書いてある
  (飲んじゃダメだよな
  (飲まないとは
  (思うけどね




(すべきだったのに…)



わたしの作ったビスケット、
いかがかしら…と
きれいな小箱に詰めて、華子さんが
くださったので

中がこわれないようにと
ていねいに持ち帰って

すぐには開けず
テーブルに置いたまゝ

服を着替えて
手も洗い
口も漱いで

ちょっと
お茶でも飲もうかと
湯を沸かし

くつくつ
ぐつぐつ

湯が煮え立ったので
アールグレイは朝しか飲まないので
茶葉のよいダージリンを淹れ

熱々でもあるし
ゆっくりと
啜り啜りしながら
小箱の表面の
どこか
少し寒い国の温かみのある絵柄のような
細かくもあり
ちょっと粗いところもあるような
文様を見ていると

思い出した

一昨日
比呂美さんから貰った
たった一包みだけの
オーツクッキーを
一昨日着たジャケットのポケットに
入れたまゝだったのを

あわてる必要も
ないのに
なぜか
ちょっとあわてて
箪笥のところまで取りに行き

あった!

ポケットから引き出してみると
透明のセロファンの中の
ちょっと大ぶりのクッキーは
ばらばらに
欠けてしまっていた

それを台所に持ち帰って
お茶を前にして
華子さんのビスケットの箱を前にして
坐りながら
包みを開けもせず
しばらく
眺め続けた

涙が出てきたのです

比呂美さんは
昨日
どうしてなのだか
自殺
したのでした
から

まだ
華子さんからの
ビスケットは
開けないでいます

お茶は
また
啜りました

比呂美さんと
なにか  (すべきだったのに…)
十分なつきあいを  (すべきだったのに…)
しないで  (すべきだったのに…)
いてしまった  (すべきだったのに…)
そう
感じます

お茶は
また
啜りました

また
啜っています




2016年10月17日月曜日

とてもとても悪いもの



悪いものが漂っているから
漂っているよ
起こるよ
と呟いておきたい

とても
とても悪いもので
誰もが
波を受けずにはいない

喉から腹のあたりに
それが震えるのを
感知している人も
きっととても多いはず

けれど
それを観念化する練習が
できていないと
なんなのかわからないはず

とてもとても
悪いものが漂っていて
すぐにも
かたちを取りそうな気配



2016年10月16日日曜日

(のようなもの…)



ひねくれたイエローを
マイセンの皿に

…その後は
草原から
逃げるように早足で去って行った
アルベルチーヌ*
 (もちろん、もちろん、…)
記憶の
まだ残るうちに
Hの鉛筆でうすく
スケッチし

露のまだ葉に残る朝のうちに
摘んだ薔薇の茎から
なんと!
人のように出血していると
カッサンドラ**
告げに
ちょっと
早足で
急ぎ足で

ひねくれるのを
おやめ
イエロー
もう
真昼だから***

お祈りもいらない
幸せごっこなどやめて
けれど
だなんて
くだらない単語を
言ったりも
なし

いつものように
たゞ
市電(のようなもの…)に
乗りに行くのだ
ペソア****のように
Stranger in this place as in every other,
Accidental in life as in the soul
などと
けっして悲壮にではなく
影もかたちもない
永遠の恋人の模造にふさわしい
たゞの黒い染みの
多重コピーの
いちばん写りの
悪い一枚に
どこかの
街角で
一瞬
すれ違いに行く微妙な流れの
できた時のように
軽い
かぁるい
単純な鼻唄(のようなもの…)でも
しながら




*Marcel Proust
**Pierre de Ronsard
« Mignonne, allons voir si la rose »
A Cassandre
Mignonne, allons voir si la rose
Qui ce matin avoit desclose
Sa robe de pourpre au Soleil,
A point perdu ceste vesprée
Les plis de sa robe pourprée,
Et son teint au vostre pareil.

Las ! voyez comme en peu d'espace,
Mignonne, elle a dessus la place
Las ! las ses beautez laissé cheoir !
Ô vrayment marastre Nature,
Puis qu'une telle fleur ne dure
Que du matin jusques au soir !

Donc, si vous me croyez, mignonne,
Tandis que vostre âge fleuronne
En sa plus verte nouveauté,
Cueillez, cueillez vostre jeunesse :
Comme à ceste fleur la vieillesse
Fera ternir vostre beauté.
***Arthur Rimbaud
****Fernando Pessoa
“Lisbon Revisited" (1926)
Once again I see you – Lisbon, the Tagus, and all –
Useless passerby of you and of me,
Stranger in this place as in every other,
Accidental in life as in the soul,
Phantom wandering the halls of memory,
To the squealing of rats and the squeaking of boards,
In the doomed castle where life must be lived...