2016年10月30日日曜日

時間以外の何ものでもなく

  
Je ne suis plus que le temps.
Chateaubriand « Vie de Rancé »

  
他人が人の心のあやを見てとっていないと
思いたがる人は多いのだろうけれど
そう思いながらそんな人は
じぶんが本当に人の心のあやを見てとれていると
どれだけ信じ込んでいることだろうか

心のうちを見てとってやるべき
人たちが街にはあまりにいっぱい過ぎて
都心の雑踏の中を流されていると
ときどき耐えられないほど疲れ過ぎてしまう
わたしには見てとってほしい心のあやなど
もうさっぱりとないから
空になったわたしの心は人たちの心を
あまりにも吸い過ぎてしまう

人の流れがよくなるよう作られた明るい通路に出て
黒い服の人人人に沿いながら流れ続けていたら
この人たちはどこに行ってしまうのだろうとまた思って
同じようでも人それぞれ服に趣味を出していたり
バッグに独特の好みが見られるようだったり
靴がピカピカだったり疲れて歪んでいたり
そんな人それぞれの意匠に涙ぐましいむなしさを感じて
いつになくドッと疲れ切ってしまった

めずらしく傍らのカフェに入って
コーヒーと軽いシンプルな塩パンをお皿に載せ
ちょっと狭いテーブルに着いてちょびちょび口に運びながら
ガラス窓の外を流れ続ける人人人を見続けていた

みんなどこに行くんだろう、どこにも行けやしないのに
と若い頃のようにはもうわたしは言わない
どこにも行かない人が進み続けるのを今は知っているから
身体の衰弱し切った人や意識を失ってしまった人さえ時間を歩む
わたしたちは何にもまして時間なのだということを
わたしたちはいつもあまりに軽く見過ぎているけれど
なんという救いではないか、これは

わたしたちは時間で
時間以外の何ものでもなく
これまでの時間のすべてがわたしたちの身体や意識のどこかにあっ
なにひとつ失われていくことはなく
むしろ時間こそがわたしたちの本当の身体で
わたしたちひとりひとりは猫の鼻のわきからチョンと突き出た
ヒゲの一本のようなものでしかないという
なんという救い!
このあらかじめの徹底的な救われ!



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