まるでマルクスのように
フロイトが
語っている場面を思い出しておく
(大学の教養課程では必須の読書のうちのひとつで
(ああ、これは『幻想の未来』にあったよね
(と思い出せないなら
(単位を落してしまうだろうような
(教養の基礎の基礎レベル・・・
「社会の特定の階級だけに要求がつきつけられる場合には、
そのような場合には、
文化
と呼ばれるべきキラキラシサを帯びた文化は
差別から
階級形成から
下層階級の徹底的な抑圧と固定化からしか
絶対に発生し得ないが
そのあたりの事情を
マルクスでもないのに
フロイトも
明晰に見抜いていた
のが
わかる
「一部の人々の満足が、その他の、
「現在のすべての文化の現状はこうしたものなのだ」
「抑圧された人々が文化に対して激しい敵意を抱くようになる」
「
「
「抑圧された人々は、この禁止を承認しないどころか、
「多数の人々を不満な状態のままにしておき、
どれも
当たり前の認識であり言葉なのだが
マルクスやプルードンが言っているのではなく
フロイトが言っているところが
ひさしぶりに思い出すと
新鮮
ダニエル・ゲランの『アナーキズム』から
なにか引用しておこうかと思い
パリでのある夕暮れ
レストランを探す直前に
ジベール・ジュンヌ古書店で買った
ガリマールの《イデー叢書》版をめくってみたが
やめる
「無政府思想が、回教徒におけるコーランのように、
ゲランの言葉の
こんな邦訳メモが
ノートにあったので
これを
かわりに記しておく
「各個人の知能の求めるままに」
というのが
厳しくもあれば
アイロニーに満ちてもいる
ゲランの原文は奇をてらわない簡潔な名文で
読んでいて
気持ちがよくなる
そういう文に触れると
こちらの頭も澄む
アナーキズムについてよりも
彼の文を手元に置いておきたくて
あの晩
閉店ぎりぎりの古書店で購入したのを
思い出した
まだ
いろいろな友人や知りあいが
生きていた
そのうちのひとりと
どこかで待ちあわせて
やはり
晩秋だったか
夕食をとろうとしていた
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