2012年7月31日火曜日

浅い夜


はやく眠らなければならないが
寝に就かずに
気持ちを空っぽにしながら
テーブルに足をあげて
イスに凭れかかってうとうとしている
そんなふうにしながら
いつのまにか
深夜3時もまわって

この世界に
もうなにも言うことはない

心の奥のシーソーが
ぴたっと平行になって止まり
もうなにも思いはない

どこの水の音か
とろとろと流れ続けている

夜の底で
きらきらと
見えないきらめきをしながら

といっても
浅い




2012年7月30日月曜日

残りもしないものを残そうとして



 
ずいぶん写真を撮っていましたね
ビデオもたくさん

つきあいも広かったし
同好会やクラブにも加わっていたし
奥さんやダンナさんの
旅行やピクニックの時のようす
ずいぶん残ってましたよ
テープやCDに取ったものを
デジタル保存に移行中で
土日の暇な時には
そんな作業ばっかりしてましたね

そうそう
子どもさんたちの映像なんかは
もうすごい量です
あれ、困ったよねえ
お家にお呼ばれすると
いろいろビデオを見せられるでしょ?
運動会だの
家族旅行だの
海外旅行のマーライオン前だの
韓国のマーケットのどこそこだの
アメリカ編だの
ヨーロッパ編だの
九州四国編だの
まあ、よく撮ったよねえ
編集して
5分ぐらいにでもしてくれれば
見てもいいんだけど
それぞれ1時間ぐらいあるとねえ…

1年ちょっとの間に
ほら
ご家族がみんな
亡くなっちゃったでしょ?
あ、ダンナさんだけは生きてるけど
ひどい脳障害で
意識も戻りそうもないっていうんだから
親類の人は苦労したみたいだけど
…そう、お家に整理に来てましたね
ずいぶん時間をかけてね
で、うちにもいらっしゃいましたよ
お友だちに
写真やビデオをお分けしたいって

でもねえ、他人の
それも
亡くなった人たちのビデオや写真をもらってもね
思い出だっていっても
見ないよねえ
気味悪いだけじゃない?
見ないよねえ
だから
お断りしたよ
思い出の中で御供養させていただくので
そういうものは
ご親類の方々で保存なさってください、って

でもさ
片づけに来ていた親類の人も
ほとんど知らない叔父でしたので、って
言うんだよね
他の親類はみな年寄りばかりで
遺品を保存するとか整理するっていっても
もう力もなくって
どうしようもないってね

まあ、あの親類の人も
なかなか情のある整理のしかたに努めて
がんばっていたけどね
でも、けっきょく
写真やビデオのほとんどは
捨てちゃったみたいだね
業者が来て
玄関前でたくさんビニール袋を回収していったから
立ってみていたあの人に聞いたら
ビデオとかアルバムとかって
言っていたからね

あれ見ていて
他人事ながらも
さびしかったよね、やっぱり
残りもしないものを
残そうとして
あんなに厖大なビデオとか写真とか
撮ったり
整理したり
倉庫を買い増ししたり
そんなことしてたのを見てたからねえ

人間って
なんだろうと思ったよ
残りもしないものを残そうとして
二度と戻って来ない時間を費やして
そうして最後には
ほんとにみんな
消滅しちゃうんだものね

これって
よく頑張ったって
評してやるべきことかな

馬鹿だよねえ
って
言っちゃいけないことなのかな…





2012年7月29日日曜日

(持たないことのほうへしか



(バッテリーの持ちぐあいを
(たえず気にかけながらの操作
(液晶が壊れないようにとの気づかい
(うっかり起動させないよう
(バッグの中の入れ場所を
(いつも気にする…

(そんなことに
(気をとられることが
(不便の最たるもの
(先進性とかいうものの
(真逆

(つまらない荷を
(ぽつぽつ
(抱え増して
(ごくろうさま
(みんな

(持たないことのほうへ
(しか
(生活の先進性は
(ない
(かなァ、やっぱり…


2012年7月28日土曜日

暑かったたくさんの夜



会いたい人には
ちゃんと会っているさ

暑い夜
熱いウーロン茶を飲んでいる

よみがえる
暑かった
たくさんの夜

南仏のホテルで
〆切の迫った原稿を書き
朝早く
ファクスしたこともあった

樫原神宮前のホテルで
泊まった夏も
ひどく暑かった
橘寺にむかう
稲穂の青波の中の道
夏はいつも
団扇を顔によせて
日かげを作っていたね

黒いシャツばかり
着ていた頃の

あまりに汗が出過ぎて
昼過ぎには
シャツの背も
脇腹も
塩で白くなってしまう
しかたなく
奈良のスーパーで
バーゲンのTシャツを買った
白い綿シャツ
もう20年になるのに
まだ使っている

クーラーを
使わなかったので
毎年
夏の夜は
いつも暑かった
団扇と
扇風機が
にっぽんの夏の
思い出

いま
ぼくの机上にある箱の中の
きみの頭蓋骨の
かけらに
染みているだろうか
それら
思い出は

クーラーを使ったのは
病院を出て
すこし家に帰り
最後の秋の始まりを
ひとりで暮した
50日のあいだだけ
それも
にっぽんの夏の
思い出に
加わっただろうか

暑い夜だ

思い出されることが
いっぱいあって
これから先
なにも
手につかない気がする




2012年7月27日金曜日

赤ちゃん高齢者


東京から離れたところ
家のまばらな畑の中ゆく道のバス
近ごろにはめずらしく
乳母車を畳んで
赤ちゃんを抱いて腰かけている
お母さんと
おばあちゃん

赤ちゃんは
ジミー大西を小さくしたようで
きょろきょろ
こちらを見ている

目があったので
大きく目を見ひらいて
ヘンな顔をして笑わしてやろうとしたが
運転手
見てたかな、ミラーで

ま、それはいいとして

ふとひらめいたのだ
寝たきりになった高齢者や
自分で動けなくなった人たちが
赤ちゃんのように小さくなりさえすれば
万事解決じゃないかと

60センチぐらいになってくれれば
介護は楽になるな
外にも楽に連れていけるし
電車もバスも乗り放題
楽しいぞ、赤ちゃん高齢者

要は
サイズの問題だったのだよ
骨壺に入る前に
同じサイズになってしまえば
いろいろと
楽なんだがなア



2012年7月26日木曜日

気配



ボワローばかりか
詩の真の王ユゴーや
社会と渡りあって書くことの大家ブレヒトが
あんなに精力的に政治批判を書いたのに
にっぽんの詩人たちはヘタレだからね
誰も書かないみたいだよ
実名で政治家を非難したり
政治論を展開したり
あんなにやったのにね、彼らは
それ以外のたくさんの詩人たちも

わざと抽象的に
あるいは
私的な日常の隅っこをじくじくほじったり
モダニズムや現代詩で流行った痙攣ぶりをなおもくり返したり
にっぽん伝来の侘び寂びや
あからさまにあるいはひそやかに
花鳥風月を落としどころにしようとしたり
巧妙に政治と切り離したテーマで必死に小市民たらんとしたり

だから谷川俊太郎や
櫂同人たちしか読まれなくなるんだな

居場所を失った
金子光晴が
どうやら化けてでてくる
気配
するだろ

するぞ



2012年7月25日水曜日

鈍いかがやきの今



幼年時代も
少年時代も
なつかしくない

死んでしまった人たちを
思い出すことはあり

ああ、

ああ、

と思うことはあるけれど

死んでしまったのを
さびしく思うことはないし
悔やむこともないし

だいたい
本当に死んでしまったとは
あまり
切実に思っていない

今が
いちばん
なつかしい

この今が

この部屋から出て
すこし向こうへ歩いていけば
洗面台の陶器があり
便器の陶器がある

あの陶器の鈍いかがやきが
というもの

死んで何千年経っても
思い出すのは
この鈍いかがやきの

2012年7月24日火曜日

あなたへ



蒸し暑くなって
七月
夜でも
からだじゅうを
抱きくるまれている
みたい

ささのは
さらさら
のきばにゆれる…

ふるい歌が
ふるいまま
心の小川を流れていく

子供のころ
ひょっとして
暗い小川に落ちて
上がって来ず
見つけてもらえず
心だけ
ひょ~いと抜け
語っているのかもしれない

あなたへ



2012年7月22日日曜日

うぉくうぉく



意識
と平気で言うようになっている
現代人だが…

…ここで止めて
旅に
出ていく心を
しばらく
失っていたようで

それを
取り戻しに
ぼくの体が勝手に
旅に出てしまったようだよ

塗りの剥げたベンチに座り
(こういうのは、お気に入りなのさ…)
おばあさんが営む
小さなパン屋で
牛乳を買って
瓶に口をつけて
飲んでいます

ごくごく
とは
牛乳は飲まぬもの
うぉくうぉく
飲むべき
もの

自分を探してなんか
いません

自分が探しているものを
じわじわ
絞っていく
という
ことかな

うぉくうぉく
牛乳を
飲みながら

記憶と
いま見えたり
聞こえたり
感じたり
するものの間で
キャッチボールされながら

―よし、
積極的に
消極的になろう、さらに
思うわけです



2012年7月21日土曜日

【閲覧注意】という映像


         蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
                     「ルカによる福音書」3-
 




ペットの殺処分を減らす努力をしている人から
頻繁に動画へのリンクが送られてくる

送られてくるままに
ぼくは殺処分の動画を見続けている
たいていは殺処分前の動物たちの
悲しげな目や鳴き声に焦点をあてたもので
最後に死体になった動物たちが写される

たまに殺処分の瞬間を写したものもある
ドリームボックスという殺処分部屋の中で
ガスを注入されて犬たちは七転八倒し体を痙攣させる
四肢を上につき上げてしばらくビクビクさせる
安楽死とは程遠いのが一目瞭然でわかる
やがてゴム製の重い体のように変わってしまう

レジ袋に何匹も投げ込まれて
保健所に持ってこられた子猫たちや
小さめの犬たちは
簡易処分機に入れられてガスを注入される
小さな死体は「猫車」という一輪車にたくさん積まれ
殺される時にコロコロ、ドロリと出た糞尿とともに
焼却場へと運ばれる
焼かれて産業廃棄物とされるという

Youtubeでは【閲覧注意】と記されていて
残虐な殺戮場面や死体アリですよと警告されているが
これらの映像を残虐だから見せるなと思う人たちは
いまも絶えないナチス党員の御家族だろうかナと思う
本当の【閲覧注意】映像とはなんだろう
ペットを捨てる人たちの姿や顔や生活ぶりや
保健所に自分のペットを持っていく人々の姿ではないか
そういう人たちの姿が子どもたちにも「ああして
いいんだ、かまわないんだ」と思わせ
ペットのポイ捨ては代々継承されていくことになる
どこかでそこに断層を作るには殺処分映像は強い力を持つ

お金や場所さえあれば全部飼ってやりたいような
純朴な顔をした柴犬たちや人なつこいダックスフントなどが
口をあけて体を震わせピクピクして尽きていく
ぼくはなんどかくり返し見て
またなんどかくり返し見るだろう
ぼくはこれをぼくの遺伝子と魂に刻み込みたい
ぼくはそのためにくり返しくり返し見る
ぼくは
ぼくは

そうしてぼくは言い続ける
ぼくの遺伝子と魂に言い続ける
人間はこういうことをしています、と
ぼくはこういう人間のうちのひとりをやっています、と
殺処分され続ける動物たちのように人間もされねばなりません、と
そうでしょう?そうじゃなければ自然が黙っちゃいないでしょう?、と
こんな殺処分のしかたは人間に大きく大きく返って来ます、と
鳥インフルエンザで生き埋めにしたたくさんの鳥や豚たちのありさま、と
口蹄疫で殺処分される時の牛たちの恐れと魂の絶望、と
あれがもっとひどいかたちで世界中の人間に返ってくるのでなければ、と
宇宙の霊のしくみには欠陥があり過ぎるということになるでしょう?、と
人間はもっともっとひどいことになります、と
だれも言葉を発しなくなるほどの大量死が年々増していく、と
これまでのことなど予告編に過ぎない、と
さあいよいよゲームのはじまりです、か?、と

この世は誰にとっても迷路
正しい道を教えられることはないから誰もが間違う
先祖たちも曾祖父母も祖父母も父母も間違い続けてきている
しかしそれでも少しは間違いから後戻りして
より間違わない道を歩くこともある
けれども人間たちはとうに道を逸れ過ぎてしまっていて
もうとり返しのつかないところへ来てしまっている
もう雪崩れていくしかないところ
大量の無限に感じられる人間死によってだけとり返しが
少しはつくかもしれないところ





★参考映像。淡々と犬や猫が殺傷処理されていく過程をくまなく写したもので、ホラー映画のような意図的な衝撃性は全くないが、身近な動物たちが生体から死体へと「処理」されていくさまを直視できないという人には、まさに【閲覧注意】。報道サイト「ペット残酷列島」(http://www.spk-yamashita.jp)の代表的な啓発動画で、愛媛県動物愛護センターの全面協力を受け、「犬猫の収容からガ­ス殺~焼却という一連の処分過程を余すところなく収録した」ものという。


★参考映像。殺処分が人間に適用された場合。アウシュビッツとビルケナウのホロコースト。



2012年7月20日金曜日

見えるかな 風も そろそろ…



もし自我を捨てないならば
矜持を捨てないならば
個性への執着
あれらの個人的経験の思い出
極私的な趣味
好み
それらを捨てないならば

そうして
老人ホームで
幼稚園児よろしく手をパンパンしたり
大笑いしましょうと言われて
破顔一笑しようとしたり
プラスチックのお茶碗から
スプーンでコーンスープをすすったり
老人カラオケで青い山脈を合唱したり
できなければ
できなければ

けっきょくはひとりきりの
瞬間の継続のなかへ
感性や価値観の
どうしようもない非共有のなかへ
戻るしかない

いがみあうか
ちくちく難じあうか
裏で否定しあうか
穏やかに進めるように努めるなら
せいぜい無視しあうか
ほかにはない
人間の生き方なんて

不況
原発
倒産
侵食される領土
老老介護
募るばかりの孤独
消費税
画一化されたキレイキレイの町
どこもかしこも
ユニクロ
ツタヤ
イオン
無印
ニューデイズ
ヤマダ
吉野家
松屋
すき家
デニーズ
ジョナサン
えとせとら

もう死んでいるのだよあらかじめ
末後の目で
せめては
空を見
雲を見
雑草のしげりを見
雀を見

見えるかな
風も
そろそろ…