2014年2月2日日曜日

くり返しくり返し経験させてもらい続けてきたのだから



きょうも意識があってしあわせ
なんとからだがあるし手も足も動く
ちょっと痰がひっかかるが呼吸できているんだ
もうすこししたらおしっこに行こうかな
腎臓も膀胱もとどこおりなく排尿させてくれるありがたさ
目を開ければ戸外にも室内にもひかりを感じる
壁もソファもテーブルも見え色もはっきりわかる
喉が渇いてきているのもわかる
すこし背中の筋肉が凝っているのも感じる
ああそれらがわかり感じられるしあわせ
いつかそれらがわからなくなり感じられなくなるらしいが
きっとその時はその時で
わからなさや感じなさがしあわせに思えるだろう
これらのなにひとつとして
わたしが自分でこしらえたり準備したのではないし
必死に維持し続けたのでもない
この無償のめぐみはいったいどういうわけだろう
いったいどこから来たものだろう
いまこれらが失われるのだとしても
なにを不平を言うことがあるだろうか
こんなに潤沢に与えられてきて
息の出し入れから水分の出し入れや循環まで
くり返しくり返し経験させてもらい続けてきたのだから




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