2014年2月6日木曜日

ここを逃せば効果は下がるのよネ




サムラコウチノカミ
みたいな名前の人のこれまでの勝利はネ
まァネ
通俗ドラマにありそうな安手のストーリーの勝利でしたネ

かたやネ
世間のみなさんはネ
おのれのドラマ感覚の通俗性のゆえにネ
みごとネ
してやられたわけですネ

マーラー第6番以降や
ショスタコーヴィチあたりからの現代音楽がアタシは大好きなので
このコウチノカミさんの曲はネ
ずいぶんふっ切れない俗な濁りがあるなァと感じてネ
手も出さなかったがネ
(音楽なんて好き好きだからネ
(手を出した人をいじめようとも思わないがネ
テレビでちょっと聴いた部分のつまらなさを癒そうとネ
うちにあったペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」*
ナンシー・ヴァン・デ・ヴェイトの「チェルノブイリ協奏曲第1**
をひさしぶりに聞きながらネ
東京の2013年の夏の夜を過ごしたことがあったネ
ぜんぜんこっちのほうがいいじゃないネ
やっぱりネ
とか言いながらネ
(ペンデレツキなんかネ
1960年に広島のための曲を作っているんだけどネ

ともあれネ
全聾の作曲家というキャッチフレーズがネ
すっかりインチキ屋の代名詞になっちゃったらしいネ
曲はちゃんと楽譜化されているのだしネ
買ったCDからいつのまにか曲が消えていたわけでもないだろうからネ
まぁ御愛嬌ということでネ
いいんじゃないですかネ?
法的には詐欺罪かなにかにあたるのかもしれないがネ
いままで日陰者だった本当の作曲家さんがネ
これを機会に華々しくデヴューすればいいだけのことネ

山ほどいる創作家のうちでネ
なぜかマスコミに麗々しく取り上げられる人の裏にはネ
かならず大量の金の河と人脈の網の目があるのネ
あんなにたくさんの人たちがネ
やっぱり簡単に騙されてCD一枚ぐらいは買っちゃうんだネ
まァたいした金額じゃないけれどネ
ほーほーほたる来い
こっちの水はあーまいぞ
とテレビの穴埋めネタに騙されてネ
パッケージや商品コピーにキラキラ誑かされてネ
エヘエヘと知的スケベ心をくすぐられてネ
流行や有名にひょいと引っぱられてネ
芸術や知性のお色気にやられてネ
音楽赤ちょうちんやピンクの芸術提灯にネ
ふらふらネ
ふらふらネ
誘われていくのネ

それにしても18年目で暴露するというのもネ
ゴーストさんネ
なかなかやりますネ
20年目では世間はきっと無関心になっているしネ
10年ぐらいでは衝撃度が足りないしネ
だいたい世間に曲も全聾伝説も広まっていないしネ
18年ぐらいで「ウソでした。作ってたのはワタシ」とやればネ
耳目を集めるにはいちばんネ
ペンデレツキの現代音楽の頂点のひとつの名作の向こうを張ってネ
ヒロシマとかなんとかいうネ
よくまァそんな名を恥ずかしげもなく付けられたもんだよネという
昨年よく売れたあのCDももう注目されなくなってきているからネ
ここを逃せば効果は下がるのよネ

サムラコウチノカミさんネ
商売の上じゃあネ
ここはネ
まァネ
あんたの負けってことやネ

  

*Krzystof Penderecki : Threnody for the Victims of Hiroshima,1960
**Nancy Van De Vate : Chernobyl, 1987






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