2016年9月9日金曜日

自撮り



自撮りという
信じられない行為

そんなに自分のお顔、好きなのかしら?

私にはできない
気持ち悪い
私は私の顔が好きではない
私は私が好きではない
しかたなしの
肉仮面だ
なにもかも                                                           

思えば
友といえる人たちは
みな
写真を撮られるのが極度に嫌いだった
他人の写真は撮る
自撮りなんてありえない

記念写真はゴミ
自撮りした本人が死んだら
もう別に誰も見たくない

   …端末を捨てれば済む話ではあるが …                                                      

…クラウドも永遠ではない…
…一定期間ログインしないと消される…

死ぬべき人たちが未来のゴミを撮り続けている観光地
自撮り棒は
骨を拾う箸への橋渡しかしら…

(あそこでも女の子が自撮りしている
(撮った自分の顔を
(来る日も来る日も
(眺め続けるとしてみよう
(彼女にはたしかに価値がある自撮り写真
(眺め続けた自分の顔を意識に刻印して
(ある時できた恋人に彼女は「愛してる」という
(ある時生んだ子を見つめながら「かわいい私の子」という

中東の残虐者たちが捕虜の首を掻き切りながら斬首していく映像を
私はここで思い出す
今でも週に数回は新たな処刑映像を見るので
ありありと思い描ける
私はここで思い出す
あそこで自撮りしている女の子を見ながら
あの子の意識に刻み込まれるあの子自身の今の顔を見ながら
ラカンならなんというだろうともちろん思いながら
しかし精神分析学の森に迷い込むのはかろうじて避けながら

斬首されていく人間は思いのほか静かだ

斬首された後の顔は本当に静かだ

自撮りしている女の子の斬首後の顔をもちろん想像する
しかし
面白くない
想像はこういう時
それほど面白くない

自分の顔
もう
だいぶ撮ったじゃないか、女の子よ
首を
もう手放しておしまい
顔を
もう放棄して
おしまい




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