ひさしぶりに日本国憲法の第一条を見直してみると
いろいろなことが確認されて面白い
「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、 この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
という条文なわけだが
あっ!
と気づかされる
天皇の「地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるから
すでに「基」いていないぞ、こりゃ
とわかるわけである
というのも
ぼくの知りあいの村田秀臣さんや山城篤さんは強硬な天皇否定論者 だが
彼らたったふたりが天皇を認めないというだけでも
もう「総意」は崩れている
なぁんだ、すでに日本国憲法自体の文言によって
天皇の「地位」は否定されてしまっていたのか
と気づかされる
わけである
こんな指摘をすると
すぐに
「総意」というのは「ひとりひとり全員」という意味ではない
とかなんとか屁理屈をごね始める輩が出て来る
素直に「困っちゃったね」とアタマを掻けばいいものを
ああ言えば上祐式に屁理屈を捏ねまくるわけである
苦しまぎれにルソーの一般意志論を持ち出してきて
数的に全員という意味じゃなくていいんだ
などと論じ始める
だいたいルソーの一般意志論の話をしているんじゃなくて
憲法の使っている「総意」という日本語の意味を考えているのに
引っ張ってくればボロが出る他ないルソーなんぞを出してくる
ルソーの一般意志論を出してくると議論は支離滅裂になっていく他 ないのに
そんな思想史上の大ジレンマもわからずに出してくる
まぁ、頑張ってみてよね
なのだ
ふつう日本語で「総」と出してくれば
数の問題となり
ひとりの例外もなしに全員
となる
いや、そういう意味じゃないんだ
と言い張りたいなら
この場合は違う「総」の使い方の意味で理解すべきだとかなんとか
屁理屈の御託をちゃんと並べてほしい
補助線を引いとこうか?
「総」には「すべる」「たばねる」「まとめる」「あつめる」「 くくる」「むすぶ」「つなぐ」ばかりか「おさめる」「 取り締まる」という意味もあり
これらの意味には
ひとつの例外もなく全部
といった意味までは完全には含まれないから
ちょっと意味の上で綻びが生じる
憲法の第一条で使われた「総意」の場合の「総」 はこれらの場合の使い方で
「たばねる」「まとめる」「あつめる」「くくる」「むすぶ」 ぐらいの意味であり
繊維や植物の茎などをまとめた場合にそうなるように
何本かは逸れたり
反り返ったり
束から外れたりするものも出てくるが
だからといってまとまりが崩れてしまうわけではない
そういう意味で理解してくれないと困る
そのぐらいのおおらかな意味あいで我が国は物事を考えるのでもあ る
ぐらいな理屈を「総」の意味を総覧した上で拵えたらよろしかろう
敵に塩を送っちゃったかな?
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