2021年10月13日水曜日

本来無一物!

 

 

叔父のひとりが八十一歳で死んだが

長年の引き籠もりと

人間関係の遮断と

ゴミ屋敷とが

彼の人生の終わりの十五年から二十年ほどを

特徴づけた

 

最期の数ヶ月

膵臓ガンが腸に転移し

ひとりでは

どうにもできなくなって

自分同様に老いている姉妹に連絡し

入退院を数度くり返し

八月末に

ついに死んだ

 

歴史的記念物といえる

明治時代からの古い家族アルバムや

叔父の俳句帖などを回収するため

九月に叔母たちと家に行ったが

四十年このかた訪ねたことのなかった

かつての祖父母の大所帯の家は

大きな災害か大津波が襲った後のような

想像をはるかに超えた

汚く埃まみれで陰鬱で不吉なまでの内景

廃屋というより廃墟

残骸というより骸(むくろ)そのもので

よほどホームレスの住まいのほうが人間らしく

どのようにしてこんな中で

この八月まで人間が生きていられたのか

考えようにも考えづらい光景が

どの部屋にも廊下にも階段にもあった

 

はじめのうちは掃除もしたのだろうが

おそらく十年以上は掃除しておらず

障子の紙はお化け屋敷のように剥がれ

どの部屋も埃を被った蜘蛛の巣だらけで

病院に行くまで寝ていたはずの床には

何年も替えていない汚れたシーツ

ところどころ何かこぼした跡なのか

吐いた血の跡なのか茶色く汚れ

その上にアクエリアスのペットボトル2本

「サトウのごはん」3つ入りパック

セブンイレブンの「かきたま春雨スープ」が

無造作にザッと投げ出されているのは

救急車で運ばれる際に散乱したままのものか

 

なにしろ

持ってきたバッグを置くところもないので

(もし置けばたちまちダニやゴキブリが

(バッグには侵入するだろう

ビニール手袋をした手で

なんとか埃やゴミを払って椅子の上に不安定に置く

たったそれだけのことをするにも

重く垂れ下がった蜘蛛の巣が

頭に引っかかり続けるので

始終腰を曲げて姿勢を低めていないといけない

それでもたびたび蜘蛛の巣は頭にかかり

それを髪の毛から除く間にまた腕に巣がかかる

それを避けようと足を動かすにも

畳(だったはずのところ)の上には

古雑誌や新聞や飲み終えた缶やペットボトルや

食べ終えたコンビニの惣菜のプラケースや

『広辞苑』や茶色になった衣類などが重なっているので

それらを避けながら動くのには

ちょっとしたアクロバットの機敏さが要る

 

叔父を入院させたのは六月だったので

それまでこんな部屋で寝起きしていたのかと

もし自分がこの部屋でひとりで夜中に

まわりを見まわしたらと想像してみる

こんなところにひとりでいられるということが

不思議というより恐ろしく思える

亡霊にでもなっていなければ不可能だと思うが

亡霊にしたところで不快にも不吉にも思うのではないか

天井から下がる古い丸蛍光灯は

はかなげな薄白い光をなお発するものの

室内の隅々を照らすほどの光量はなく

その隣の居間兼台所の電気はとうに切れていて

大きな窓のないその大部屋は日中でも闇の中にある

かつて家族七人が朝昼晩の食事に集った

大きなテーブルの上には

なにやら雑然と170㎝ほどの大山ができていて

そのかなりの部分はゴミで

いちばん上には食いかけのコンビニ弁当がいくつかあり

残りものは腐る時期を過ぎて乾涸らびている

水道やガスは使えたのだろうかと見ると

シンクにもゴミの山ができていて

家の裏の物置が見えたはずの小窓には

古く緑色に汚れたペットボトルが何十も詰められて

廃物利用の現代芸術のような壁を作っている

ガス台は油絵の絵の具を分厚く塗り込めたようで

その周囲にもペットボトルやゴミが山をなしているので

火など付けたらなにが起るかわからない

 

徒然草の第十一段にある

「かくてもあられけるよ」という文句が

この場合は全く趣が違う場所に用いられたにもかかわらず

しきりに思い出され

「かくてもあられけるよ」

「かくてもあられけるよ」

と頭の中で鳴り続いていくままに

廃屋というより廃墟

残骸というより骸(むくろ)そのものの

汚く埃まみれで

陰鬱で

不吉なまでの暗い暗い内景を見まわしていると

また

ふいに

禅の六祖慧能の

本来無一物(むいつもつ)のあの話が思い出された

 

五祖弘忍和尚の下で

大衆の教授師だった神秀上座が

「身は是れ菩提樹

心は明鏡の台の如し

時々に勤めて払拭して

塵埃(じんない)に染(けが)さしむることなかれ」

との詩を師に呈した時

弘忍和尚は認めなかったが

得度も受けず

在家のままで行者(あんじゃ)として寺で働いていた慧能は

その後で

「菩提もとより樹なし

明鏡もまた台にあらず

本来無一物

何の処にか塵埃あらん」

と呈した

これによって

慧能は

居士の身でありながら師位に上がり

六祖となったという

あの話だ

 

廃屋というより廃墟

残骸というより骸(むくろ)そのもの

汚く埃まみれで

陰鬱

不吉なまでの

暗い

暗い内景

 

しかし

「菩提もとより樹なし

明鏡もまた台にあらず

本来無一物

何の処にか塵埃あらん」

ではないか!

 

何の処にか塵埃あらん!

本来無一物!

 

本来無一物!

本来無一物!

本来無一物!





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