2021年10月9日土曜日

「時よ、来い。ああ、陶酔の時よ、来い」


 

これまでの一般的なワクチンは認めても、効果も危険度もわからない今回のコロナワクチンの接種に反対している医師がtwitterに書いている。

 

「接種後半年程経過する医療者の皆様、明日は我が身ですね。

感染予防が無いどころか、むしろ接種者の方が重症化していますよね?

抗原原罪かADEか分からないですが、マズイですよ。

良いんですか? こんなもの勧めて?

3回目早くうちましょうね。他人に勧めるのなら。」

 

いつも丁寧な書きぶりの医師だが、渾身の皮肉であり警告なのだろう。

ワクチン接種する場合にも、静脈へのワクチン流入を避けるために逆血確認を執拗にtwitterで勧めてきた医師である。

 

平然と危険な薬剤接種を勧めたり、接種し続けてきた医療者たちが、いよいよワクチンによる身体破壊が猛然と始まる(のらしい)5月目、6ヶ月目に至って、バタバタと重篤状態に陥ったり、死に始める事態を、わたくしは嬉々として待っている。一定の、というより、最後の薄紙一枚での、報復的心理における残虐性の炸裂を抑えるために、「待ち望んでいる」とは書かないでおく。

そう、

書いてはいないからな、

「望んでいる」とは。

人は「待つ」だけなら、いろいろなものを待つ。

ゴドーを待ったり、シモーヌ・ヴェイユならば神を待ったり。

(自由詩形式使用においては、ふいに乱暴な言い方を挿入したり、感情的な言辞を弄したり、錯乱を装ったりするのがランボーの『地獄の季節』『イリュミナスイヨン』以来の作法なので、わたくしは此処でそれに従ってみている。それだけ。自由詩形式使用においても、いろいろな所作がある。PCR検査のように。ワクチンの機序を[そんなオタク分野のことなど当たり前のことだが…]よく弁えぬ一般人を、ろくな専門家でもない感染症研究者や免疫学者やウイルス学者や、それらでさえないソンジョソコラの医師が愚弄するように。)

 

医療者たちに、今回のワクチンの効能や危険度についての専門家はほとんどいなかった。にもかかわらず、平然と人に接種を勧めてきている。

他方、世界中で、今回のワクチンが常軌を逸した危険なものであることが糾弾されている。それらの声はさまざまなSNSやメディアで発信され続けているが、大メディアは取り上げず、GAFA系は削除や否定に躍起になっている。「ファクトチェック」なる、多くはワクチン製造者側による言論弾圧が行われている。

 

ほぼ80%から90%ほどの医療者たちは、表向き、早いうちにワクチンを接種したことになっている。

(もちろん、医療者の行為や自己表明など端から信じてはいないものの…)

しかるに、当初から世界中の有意の医師や学者によって警告されていたそのワクチンの強毒性は、今ではいっそう声高に叫ばれている。

進んで、怪しい高利回りの裏金融詐欺に引っかかるがごとき、無用心にして愚昧なる接種者たる医療者諸君は、接種してすぐの副反応で残念ながら急死しなかったとしても、5月目、6ヶ月目での突然の重篤化の危機、それを乗り越えても、2年後や3年後の急死の危機、どう生きのびても5年後には誰ひとり生きてはいないという予測が彼らを待っている。

 

わたくしとしては、2年後や3年後では少し間延びしてしまうので5ヶ月目、6ヶ月目での大量死や大量重篤化を待ちたい。

「待ってる、待ってる、待ってるさ」とは、ランボー。

小林秀雄訳だったか。

 

ヒポクラテスの誓いを無視して、危険なものを平然と一般人に勧めた罪は未来永劫の万死に値する。

 

先に引いた文を書いた医師が、さらにこう書いている。

 

mRNAワクチンという原罪を背負った人々は、自然感染による免疫から追放された。

罰として、感染予防期間の寿命を与えられ、二度と自然感染による免疫には戻れない。

医者は無知であったアダムか、接種するように勧めたヘビか。

知恵の結晶を半年毎に接種し続けるしか無いのだろうか。」

 

ふたたび、ランボー。

「時よ、来い。ああ、陶酔の時よ、来い」

これも小林秀雄訳だったか。

原文なら

Qu'il vienne, qu'il vienne, Le temps dont on s'éprenne. 

 

検査不徹底なワクチンを平然と勧めた医療者たちの大量死や大量重篤化よ、

来い!

もし殆どが体調良好であり続けるのならば、それはそれでよい証明。

後で行われた動物実験ではぜんぶが死んだと言われてもいるが、

人間だったら大丈夫だったとわかれば、それはそれでよい証明。

 

「時よ、来い。ああ、陶酔の時よ、来い」




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