2022年11月20日日曜日

となめ

 

 


日本が平和を尊ぶ

などと

けっこう

耳にしたりする

 

ふうん

思ってしまう

 

天皇は平和を尊ぶ

などとも

けっこう

耳にしたりする

 

ふうん

思ってしまう

 

天皇の祖先って

天照大神?

そこまで遡ってしまうと

神話だろ

お話だろ

フィクションだろ

となるが

神武天皇あたりになると

初代なんだから

ちゃんとした

人界の話だろう

ということで

天皇家も

日本人も

責任を持たないといけない

歴史となるはず

 

その神武天皇がね

やっているのよ

やらかしちゃっているのよ

殺しまくってるのよ

 

『日本書紀』

まさか

読んでなくないよね?

 

自分の軍の諸将に命じて

士卒を選んで訓練し

添県(そほの県)の

新城戸畔(にいきとべ)という女賊を皆殺しし

今の天理市にあたる和珥(わに)の

居勢祝(こせのはふり)や

臍見(ほそみ)の長柄(ながら)の丘岬(おかさき)の

猪祝(いのはふり)も

皆殺しにした

 

高尾張邑(たかおわりのむら)にいた

背丈が低く

手足が長く

侏儒に似ている

土蜘蛛と呼ばれる者たちも

皆殺しにした

この時は葛の網を作って

それで覆って捕らえて殺したので

この邑の名は

以後改められて

葛城と呼ばれるようになる

 

そうこうして

己未の三月七日

神武天皇は

令(のりごと)を下して

「東征をはじめて六年経った

天神の勢いのおかげで

凶徒らは殺された

周辺の地はいまだ治まらず

わざわいはなお根強いが

内州の地には騒ぐものはない

皇都をひらき

御殿をつくろう

世の中はまだ開けていないが

民のこころは素直である

人びとは巣に棲んだり

穴に住んだりして

未開のならわしがまだある

しかし

聖人である大人が制度をつくれば

道理が正しく行なわれる

人民の利益となるなら

どのようなことでも

聖人の行いとして正しいだろう

今まさに山林を開き払い

宮殿を造って

謹んで尊い位に就き

人民を安んじるべきであろう」

と言った

 

場所も

このように決まる

「見れば

かの畝傍山の東南の

橿原の地は

国の真ん中ではないか

都は

ここに

造るべきである」

 

殺し

殺して

殺し尽くして

這いつくばって

刃向かわぬ者だけになったところで

建国

となったわけだが

はたして

ぼくは

天孫の血を継ぐのか

それとも

女賊の血を継ぐのか

居勢祝(こせのはふり)や

猪祝(いのはふり)の血を継ぐのか

土蜘蛛の血を継ぐのか

 

ランボーは

「地獄の季節」の中でこう言っていた

 

ガリア人の祖先から

ぼくが受け継いだのは

白と見まがうほどに青く澄みきった眼と

狭隘な脳髄

それに

戦いの拙劣さ

まぁ

身なりだって

彼らのように野蛮だな

[…]

ガリア人ときたら

獣の皮を剥いだり

草を焼いたりして暮らしてたんだが

当時としちゃあ

いちばん無能な連中だった

まったくもって

彼らからぼくが貰い受けたのは

偶像崇拝とか

涜聖好き

ってとこさね

 

ランボーに倣うならば

女賊だの

居勢祝(こせのはふり)だの

猪祝(いのはふり)だの

土蜘蛛だのから受け継いだのは

と歌わねばならないのか

それとも

天孫そのものが

戦いの拙劣さと無能のために

どこか他から逃げ延びて

いのち

からがら

流れ着いてきた

卑賤の血だったのか

 

そもそも

神武天皇が命名した

秋津州(あきつしま)

という名にしてからが

彼の御幸の際の

「すばらしい国を得たものだ

狭い国ではあるが

蜻蛉(あきつ)が臀呫(となめ)しているように

山々が連なって囲んでいる国だ」

と言ったことから

来ている

「となめ」というのは

臀(しり)を呫(な)めること

交尾のことで

どうして

この人

わざわざトンボの交尾からなんぞ

国の名を

考えたりするのかなあ

と思ってしまう

まったく

 

まったく

 

ヤマトという呼び方は

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)や

饒速日命(にぎはやひのみこと)も言っているが

この饒速日命(にぎはやひのみこと)については

『日本書紀』の

巻第三の神武天皇の章の最後のほうで

「天の磐船に乗って

大空を飛びまわり

この国を見てお降りになった」

と書かれている

 

これは

やっぱりUFOではないか?

この頃は素直に思う

ように

なってきた

 

太虚(おほぞら)を翔(めぐり)行(ゆ)きて

是の郷(くに)を睨(おせ)りて

降(あまくだ)りたまふに及至(いた)りて…

 

と書かれているが

この

「太虚(おほぞら)を翔(めぐり)行(ゆ)きて」

という言い方に

単なる象徴表現ではない

飛行物体っぽさが感じられる気がして

ならないのだ

 

そして

こう読んでみると

神武天皇が

わざわざ

トンボの交尾の姿に注目するのも

別の意味あいがあったためか

と思えてくる

 

飛行物体の

空中連結や空中給油のようなかたちを

彼は見ていたのではないか

 

ちなみに

神武天皇は127歳で死んでいる

人間は支障なく生きれば

127歳までは生きられるようにできている

とオカルト系では言われるが

まさにその歳まで生きたということが

奇妙にも

出来過ぎにも思えるが

ひょっとしたら

神武天皇の享年をもとに

127歳を目安とするようになったのかもしれない

 

こんなに長く生きたとは

やはり天孫だけのことはある

と思うのは

速断で

どうしてどうして

はじまりの頃の天皇たちは長命で

崇神天皇120

垂仁天皇140

景行天皇106

成務天皇107

神功皇后100

応神天皇110

などなど

となっている

 

長寿を願うなら

神代の後の代々の天皇に祈るのも

それなりに

理にかなっているかもしれない

 

 




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