金にあかして
たくさん詩集を作っていた人たち
どこへ消えたのだろう
毎月の酒と朗読
一五〇万ほどで本を出させて
ぼろ稼ぎしようと集まる
小出版社もあって
あそこの酒場
ここのバー
あの賑わいは
どこへ消えたのだろう
あんな中で
泡沫のように生まれた詩歌
いいものもあり
面白いものもあって
一時代の幻
というには惜しい
集めて伝えれば
日本語の遺産になるのに
見直そうとする人は少ない
小さな円陣を組み
内向きに酒を飲む人たちばかりが
この国の詩人だから
書店には見飽きた
見慣れ過ぎた
わずかな名が並ぶばかり
高度成長期頃の言葉が
いまだ生き生きと
選集に踊るだけ
ネロとか
しじみとか
倚りかからずとか
言った人でも
倚りかかっていたじゃないの
若い頃の
いくつかの秀作の余韻と
グループ寡占と
バブル後の矛盾を回避した表現の
わかりやすさに
自分では書きもしない
バカな学者どもは
事あるごとにマラルメなど言い
やんちゃな御仁はランボーと言い
ボードレールと言っては嘆息し
ブルトンスーポーと言っては
何様のおつもりなんだか
でもロンサールとは言わないのね
マレルブとも言わないのね
マラルメ一辺倒の御仁が
パウンドと言うことはなく
ケルアックと呟くこともなく
堀川正美など聞いたこともないらしく
なんたる読書と趣味の偏向
どこもかしこも
唯我独尊
三つ子の自我は百まで
年とり始める頃に頭だけは
お先に御影石なみの
お硬い墓所
歩行も散策も疾走も
もう
難しい
結跏趺坐も醜い
空気まで民主党の今
ノーパンしゃぶしゃぶ時代に
戻るわけにもいかず
かと言って
古典は爺臭いだけ
そうだ京都へ行こうと古今集
万葉集までJR
平家とくればNHK
いっそ太平記と思っても
きっと民放が汚しにかかるだろう
倚りかからず
ではなく
倚りかかれず
小ぎれいになるだけのニッポンの
ユニクロからイケヤに向かい
よろよろとジョナサン
夢庵にするか藍屋か
イオンで福島産のキャベツを買って
イトーヨーカドーで神戸屋パンを買い足す
どこもかしこも同じ風景の地方駅の
なかでドトールか
スタバか
はたタリーズかと
うるわしい惑い
カプセルホテルのぴかぴか感の中で
生まれていく
老いていく
死んでいく
火葬されて
しっかりと霊位
三十年
ほどしか続かぬ永代供養され
はて
家系のだれが
生き延びるやら
生き延びたところで
だれが供養の金を出すやら
心のブロイラーわれら
うぉううぉう
うぉううぉう
ニッポンの未来は
東京電力
ニッポンの過去は
帝国陸軍
右も左も前後左右も
過去も未来も上下も
どこか足りないニッポン人
ここがヘンだよ
あそこもヘンだよ
そっちも
こっちも
みんなヘンだよ
…戯れ歌は終わりだ!
買い物に出る
月夜の晩
むかしながらの豆腐を買いに
いや、
ダイエーの
充填豆腐にやっぱりしとくか…