2015年3月11日水曜日

午後3時46分




あれから4年も経ったのか

そう思って
地震や津波の映像を
あれこれ
youtubeなどで
久しぶりに見たりして

あの時
じぶんのまわりでは
本などの山が盛大に崩れて
足の踏み場もなくなったりしたものの
他にはこれといった被害も出ず
せいぜい
交通の大停滞が起きた東京で
帰宅するのに6時間ほど家人が歩いた程度の
―これもまァ
被害といえば被害だし
帰宅困難者となった人を家に上げて
いっしょに夕飯をとったり
居間のソファに布団を出して寝かしたり
―それもまァ
影響といえば影響だが

あの時
ちょうど外出の用事がなく
家のテレビで
津波がゆっくり
しっかり
東北の沿岸部を遡っていくのを見たが

あの様と
あの中で起こった数々の悲劇に比べれば
被害というほどのことでもないし
影響というほどのことでもないし

そんなこんなを思いながら
地震の起こった時間がまた近づいてくるなァ
黙祷でもしようか
お祈りでもしようか
などと思い
そうだ
きっとラジオやテレビは
あの時の時間にいろいろとやるだろう
黙祷を映したりするだろう

とラジオやテレビをつけてみたが
どこのチャンネルもなにもやっていない
地震のことだの復興の現状だのと
いろいろ話はしているが
なんだか
サッパリしたものだなァ
黙祷しようなんて考えているのは自分だけか
政府もなんにもしないのか
冷たい国になったものだなァ
そう思って

午後346
ほんのすこし緊張した気持ちで
ひとり
控え目な黙祷をした

夕方はあれやこれやと忙しく
あの時
もし地震や津波がなければ
やっぱりこんなふうにふつうの雑事で忙しかっただろうに
と思い
忙しさの合間をぬって
スマートフォンに届きはじめる
夕方のニュースの見出しを見るうちに

あれ?
「午後246分の祈り」
などとある

記事をすこし読んでみると
「政府主催の東日本大震災追悼式が11日、
「東京都千代田区の国立劇場で開かれた。
「岩手、宮城、福島の3県の遺族、安倍晋三首相、
「天皇、皇后両陛下らが参列、
「震災が発生した午後2時46分、
「全員で黙とうをささげ、犠牲者の冥福を祈った。
                                       (毎日新聞)

なんだ?
午後2時46分だったのか?
4年ものあいだ
ずっと
午後3時46分と思ってきた
まったくなァ…
これだからなァ…

間違っていたのか
午後2時46分だったか
と返すがえす思いながらも

しかし
しかし
体感とでもいうか
自分の中では
どうにもこうにも
あれは午後3時46分
という感覚がある
はっきり
しつこく
きっちりと
どうにもこうにも
それは強く
やっぱり
午後3時46分だったはず
世間では午後2時46分だったとしても
自分の中では絶対に
午後3時46分だった感じ
そうだったんだよ
そうだったんだよ
午後3時46分だった…

確認は
いっそう強まり
午後3時46分
あらためて
猶のこと強くつよく定着していくのを
感じるのだった
感じるのだった

まったくなァ…
これだからなァ…

これは
理性の声?

大勢への
順応の声?

まったくなァ…
これだからなァ…

これは?







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