2015年10月25日日曜日

やわらかなピンセットで置いていくような



シェアっていうのがfacebookにはあって
他人が載せてきたものを
クルッとべつの他人に転送していくやり方なんだが
転送する時に
簡単なことばで
短めなコメントをつけてみれば
いかにも現代ふうな詩の修錬になるだろうと思ったわけ

転送するテーマや写真や絵に
離れすぎず
付き過ぎず
すべてに同化せず
政治的なものの場合は左右両派をおちょくって
時には感動!…を装って
まるで現実に寄り添っているようでいながら
まったく違う世界から
やわらかなピンセットで置いていくような
ことばを

スマートフォンというのを手にしてみてから
この詩の実験はなかなかやりやすくって
じつは一日数時間もやっていたりした
だいたい
様子はわかったし
そろそろ飽きてきたから
こんなスマートフォン遊びも
終わり
むかしからゲームや遊び道具には
情けなくなるほど
すぐに飽きるタチだし




立ち続けている



詩というのは落差だから
どこかで詩と言われ
押しつけられてきたものが読みとれてしまうようでは
もう詩ではない
詩集をいっぱい出す出版社から
満を持して
といったふぜいで
自己顕示たっぷりに出される詩集とやらに
たぶん
詩は一編も見つからない

そういうところに
ぼくだけは立ち続けているけれど





DVD


私は青春が好きではなかった
と『悲しみよ、こんにちは』で書いたのはサガン

私も青春が嫌いだし
若者も嫌い

若く才能に満ち溢れた監督と聞いて
面白そうかなと思って見はじめた映画だったが
若さのくだらなさがピリピリ青臭くって
すぐに興味の失せたDVD
自己顕示?
不安?
未来とかいうものへの飛躍?
アホらし…

ちょっと大きめの空間のある
誰も来ない夕焼け色のバーに行って
熟成した酒を
一杯飲みたい気分になってきた




こういうのは

  
どうであれ
幸福だと他人には言っていたほうがいい
そのほうが福が来る
―そんなことを金満家のアイドルが言っていたが
チャンネルを替えると
とにかく他人には不幸だと言っておきなさい
などと
世界的な大富豪が
インタビューに答えていた

この人たちの幸不幸は
他人を重要な極にして成っているのらしい
わたくしの毎日は
幸福であれ
不幸であれ
ほとんど思い出さない言葉のまま
過ぎていくし
他人との話でも
これらは
まったく使わない言葉なのだが
こういうのは
幸福なのか
不幸なのか




亡霊


有名だった路地である。
芸術や文芸の世界では名の知れた人たちが入り浸っていた。
いつも扉を開け放っている広い飲み屋がある。
店先から奥までが深い。
まわりにも小さな飲み屋がある。
どれも入口を開け放ってある。
広場になっている。
外にも椅子やテーブルを出してある。
いちばん奥に小さな映画館がある。
30人ほどで埋まりそうな部屋がふたつあって、
いつも奇妙奇天烈な映画を日本ずつ上映している。

ひさしぶりに来たのだった。
さっき知り合ったばかりの女性を伴っていた。
ここは昔よく来ていたが、有名なところでね…と
女性に言いながら
その路地のあまりの変わりのなさに驚いて声を失った。
なにもかも本当に昔のままだ。
映画館から広瀬さんが出てきそうだ。
ヘンな山高帽をファッションに被っていた百合ちゃんも
飲み屋の外の丸椅子にいつものように座っていそうだ。
大学の哲学の先生の葉山さんも昼から飲んだくれて
小さい飲み屋の奥の畳の上に転がっていそうだ。
ボロボロでクシャクシャの服を着た詩人の原さんが
そろそろ姿を現わしそうだ。

みんな死んでしまって
あんなに若者のあいだで有名だった原さんの詩も忘れさられたが
この路地広場は変わらない。
どうしてこんなに変わらないんだろう。
そう訝りながらかたわらの女性のほうを見直すと
だれもそこにはいない。
あゝ、あの人もそうか、
とうに死んでしまっていた人のひとりだったか。
それではぼくも
やっぱり
そのクチか。
そういえば、死んだんじゃなかったか、ぼく。
思い出すような
思い出し切れないような。
とうに死んでしまっていた人のひとりだったか。
この路地広場もとうに整理されて
壊され
更地にされて
まったく別のショッピングモールかなんかに
なっていたんじゃなかったか。
それとて
もうだいぶ前の話。
思い出すような
思い出し切れないような。
どれもこれも
あれも
みんなみんな
みんな
とうに死んでしまっていたクチだったか。




2015年10月24日土曜日

秋なのに



朝顔が
まだまだ咲いていて

秋なのに

朝顔が
まだまだ

秋なのに
もう
木瓜の花芽がついてきて

秋なのに

もう木瓜が




いつもいつまでもぼくは



なにか書きつけたくなる時は
たいていは世の中への憤懣
小さなむかつき
あんな不平
こんな不満
そうでなければ
あまりに個人的な…ように見えながらも
コンビニの商品のようにほんとうは
型に嵌った規格品に過ぎない趣味の話や
好き嫌いや
感情や
思いや
思いつきや

つまり
いちばん書きつける必要のないものばかり
まるで
一様に下らないポップスの歌詞のように
一様に既視感のあるニュースの表現のように
一様に飽き飽きうんざりの御挨拶や
その他の
社交辞令全般のように

そういうものすべてを棄てて
棄てて
棄てて
なおも書くべきこと
ある?
そう問い直すところから
始めたいんだ
いつも
いつまでも
ぼくは

   



あまりにもいっぱい



戦乱のなか
取っつかまって首を刈られたりする人が
去年や今年は多く
なんと悲惨なことか
なんと不幸なことか
なんという悲劇か
などと世間はくちゃくちゃ言い
ちゃぺちゃぺ言っていたが
あれはあれで
けっこう幸せなことかもしれないと
ぼくは思ったりもした

大病院や
介護施設に行くことが少なくなく
家で動けなくなっている人たちの話も
さんざん耳に入ってくると
傍目には不幸と見える死にざま
殺されざまも
ひょっとしたら
けっこう幸せなことかもしれないと
一定の濃度のある霧のような存在感で
思えてならない

けっきょく
なににどう殺されていくか
ではないか
死にざまというのは
なににも殺されずに来て
なににも殺されないで来たことに
殺されていくことも
いっぱいあるのだ
あまりにも
いっぱい




優しいといえば優しい

  
モーツァルトの
特にピアノ・コンチェルトの古楽器演奏を
ひさしぶりにたくさん聴いていると
バッハとはどう違うか
他の作曲家とはどう違うか
やはり
いろいろ考えさせられる
他とはとんでもなく異なったものが
この人の頭を流れて行ったのが
よくわかる

惹きこまれて
あるいは
この不思議な音の流れの秘密に
深入りしていこうとして
人は研究者になったり
演奏家になったりしていくが
けっきょく数百年後
残り続けるのはモーツァルトだけ

もちろん
そんなことでかまわないのだけれど
中にはきっと
モーツァルトなんか放り出して
まったく別物の
じぶんの音楽を作るべき人たちも
いっぱいいただろうと思う
モーツァルトを褒めそやす風潮の中で
世間と音楽とじぶんを繋いで
なんとか生き延びていくために
じぶんの時間を失っていってしまったような
残念な人たち
ワーグナーの後のマーラーのように強くは
他の作曲家を弾き返す無礼さを
持てなかった
優しいといえば優しい
人たち

   


いつもいつも変わらない眺め



なにをどう他人に見てもらいたいのか
まるで花の香りのように
星々のひかりのように
鳥たちの啼きわめきのように
人々は態度を示し
しぐさをし
感情をあらわし
考えを述べてみたり
主張を声高に叫んだりしている
いつもいつも
変わらない眺め
百年どころか
何千年も昔から
このかた

そうして人々は骨だけを残して
消え失せていくけれど
骨が他人の目に晒され続けることは少ないので
骨さえも人界からは消えていく
その人の思い出がしばらく残ることはあり
懐かしまれたりすることもあり
教えだとか雰囲気だとか記憶されていることもあるが
記憶を持つ人々も遠からず骨になり
骨は骨の場所に冷たく暗くしばらく安置されて
やがて数十年もすれば他のたくさんの骨と混ぜられ
そんな人々は最初からいなかったかのように
記憶の更地が地上に広がっていく

はじめから
態度を示さず
しぐさをせず
感情をあらわさず
考えを述べず
主張を声高に叫んだりせずに
他人に見てもらおうとせずに
まるで花の香りのように
星々のひかりのように
鳥たちの啼きわめきのように
他人を相手にせずに
つかのま時を埋めればよかったのに
まったく
何からなにまで無駄なことを

いつもいつも
変わらない眺め
百年どころか
何千年も昔から
このかた





2015年10月23日金曜日

もう慣れた



狂ったのではないかと
以前なら思いもしたかもしれないが
いつからか
夜も朝で昼も夜を感じるようになっている
もう慣れた

どんな時もその場その時以外の過去がいっぱいそこに貼りついていて
いないはずの人たちが踊っていたり
机に凭れてなにか考えていたり
お茶を淹れようか?などと聞いてきたりする
もう慣れた

さまざまな年齢の子どもの自分たちが青年時代の自分たちの
足に腕を絡ませて遊んでいたりしていて
昨日の自分が、ほら、いま思い出した本を持って来てくれている
おとといの自分がランプを近づけてくれる
もう慣れた

時が矢のように一方向に進み続けて意識はその一点にいるだけなどと
思い込んでいられる人たちにもう合わせることができないが
こまかく語ってみるのも面倒くさ過ぎるのでむしろ黙ってしまう
もう慣れた

いいことも悪いことも本当に観察点の位置によるだけのことで
たとえ何処かで殺されたり事故に遭ったりしてもすべてには操りの線が
たくさんたくさん繋がっているのが見えるようになった
もう慣れた

生きていても死んでいてもあっけにとられるほど何も変わらず
もし変ったと見えるとすれば変わるものの側にいて見ているからで
本当の自分は変わらないものの側にしかいないと体感するようになった
もう慣れた




そして、もうこんにちは。



動きを物体のものとする場合も
登場人物を止めておくのと動かしておくのとで迷うが
双方の間で優劣があるわけではない。アルミの
乳房にどの程度朝焼けの染空の
反映を被せるかということのほうがよほど問題で
生後8か月ほどの台所の床の弾力を(この場合「台所が
生後8か月なのであり、生まれたヤモリの子が話題となっている
わけではない)どの程度の硬さに調節しておくか
というアレと比べておいてもよい
ほどである。ここで、お茶、なわけだが、
この住宅の異様なまでの殺風景さは
レガシ君、久しぶりに私を感動させるわけで、君の、
まさしくお手柄。
しばらく居るつもりだ。
私は2階の渡り廊下の端にいるのだが、
傍のまだ若い楡の並木の木群が
紫に染まっている夕景にふさわしく、
この木を選んだ君のセンスにも
大大大感心だ。
まさしくお手柄。
そして永遠にさらば。
理由も起こったことの真相も
どうか知ろうとはしないでくれたまえ、レガシ君。
そして、もうこんにちは。
はじめまして。
お名前は?



な ぼく

  
秋には飽きないが
秋を愛でるのにも飽きて
秋の詩でもないだろう人類の現在にあって
なんて思う秋
の眠り深まる夜もあって
秋なのになぜか真夏の浜辺
ぼくは若い肢体の女性になっていて「あたし」と
自称しようか「わたし」にしようか「わたくし」か
などと一瞬迷っているキラメキ
おー、きみは真夏の小麦色の肌の女神さ
おー、きみは
なんて言い寄る外国人の男に(っていっても自分自身が金髪だけど)
なんで日本語で主語を言おうとしているのか
わからない
わからない
不思議な秋の長夜の
夢の断片
おー、この頃自分が異性だったり動物だったり物だったり
この間なんか空気だったりする夢も見たけれど
おー、そんな時に偶然コンテンポラリィな社会で生きる悩みとか
記した誰かの詩を見ちゃって「アホか…」とか
思わされちゃったほど
秋するあたし
秋するわたし
秋するわたくし
ぼく



2015年10月18日日曜日

地球で生きるのは単純かもしれない



いろいろなことが次々あるようでも
地球で生きるのは単純かもしれない
春夏の後にはいつの間にか秋が来て
葉は色をかえてほろほろ散り始める
晴れた朝には森林や川のかたわらを
ひとりで歩いたり数人で歩いたりし
はりはり葉を踏みながら進んでいく
すっかり秋になったなどと言い合い
いろいろなことが次々あるようでも
地球で生きるのは単純かもしれない
などと思いなおしたりしてみている





2015年10月14日水曜日

行きましょー、わたつみ、shi、わたshi、

さとう三千魚氏よりの詩の依頼に応えて


…気づくと、

(…“気”が、“気”づいた、のか…、

秋のからだをセンソォーのような香りが
戦争…、のよーな香りが
伸びていく


さとう三千魚さんから
複雑な潮騒の響き、轟きが
電線なんぞ伝って、の、(透明電線…?)、小さな、…便り、(shi
shi?、…し、詩を…)

わたshi、…と呟きさえせず、舌先で、舌奥で、
言葉、声以前の、音のまろびを、転がりを、わたshi
わたshi、と…

…また、遠いところに(…ゐるやうだ、
ゐるやうだ、浦の苫屋が
あそこに見えてゐて…)

さとう三千魚さん、海の人、(間違いかしら…)
わたshi、数か月、海の匂いに
包まれていなくて、…(ニンピニン、に、
その分、なったかしら、…なッちゃッた、かしら…)

shi
shi?、…し、詩を…)

わたつみ、shi、わたshi
海、ゆかば、…

海、ゆかば、…わたshiは人魚に会いまする
トリトンに会いまする
鋼であれ、木材であれ、運ぶもの、それに頼って…
海、ゆかば、…

(あゝ街で心は逝ってしまう、逝心、逝人…、
(だからといって…、

…其処此処でshishishi、…わたshi、わた死、でも、
あったか、あったの、か、…今になってわかるとは、イハナイ、
ずっと死っていたこと、「裏切られてきたのさ…」、否、いいや、知って、
いたんだもの、裏も切られていないし、…表? 
は!
は!

(…緑が足りない、そう思うんです、よく思う…。部屋には、緑、
(いっぱいにしてるんですが、たとえば、鞄、開けますね、あっ、
(緑が足りない、…よく思うんです。たとえば、時計、見ますね、あっ、
(緑が足りない、秒針も、分針も、時針も、茎でできていない、
(文字も葉でできていない…

海、ゆかば…

((((((潮騒だって、足りていないじゃないのサ…
((((((潮騒だって、足りていないじゃないのサ…
((((((潮騒だって、足りていないじゃないのサ…

わたshi、街の人、(間違いかしら…)

…叫んでも駄目なのさ、
(駄目なのさ、、、、
[…面白いねぇ、馬、太、目、…、
うま、
た、
め、
うまため、うまため、うまため、…
どこが、駄目だってンだろ?
うまため、うまため、うまため、…
「叫んでもうまためなのさ、」って、
言っていた、だけだったのか… (なのさ、…)

菜の砂。

紋切り型のデートをしたかった、花村美世子さんと
菜の砂の
むこうまでずっと広がっている海辺で
ただ手を握っているだけで
手さえ握らず
ただ隣りあって歩いているだけでも
花村美世子さんと

花村美世子さん、菜の砂の人、(間違いかしら…)

))))))あゝ、鎌倉あたりでの能が、秋、足りていない…
))))))晩秋までに、初冬までの、ふしだらな能好みの女体を抱きたい…

欲望を淹れて
カップからはロシア戦役の湯気
わたshi、どんな肉に宿っているか、
わたshi、どんな思いに宿っているか、
わたshi、どんな耳と耳の間に(と、アイヌ人なら歌う…)宿っているか、
どうでもよい、
そんなこと…
わたshi、あなた、穴多、あ鉈、anataan at a、…

それとも、穴他?…

わたshi、穴他、穴多でないこと、証明できる?


(…“気”が、“気”づいた、のか、…
(そうして、
(“気”が被った、
(わたshi、?、…

穴他、穴多でないこと、証明できる?…

波の音が絶えたことはない街
波の街
街が波から逃れることはできないであろう
街々

穴他、穴多でないこと、証明できる?…

海、ゆかば、…

わたつみ、shi、わたshi

あそこに見えてゐる
浦の苫屋まで
行く
とにかくも
行く

わたつみ、shi、わたshi

行きましょー
行きましょー
行きましょー