2017年7月8日土曜日

ほんとに左右され切ってしまう



父方の祖父母の家は八百屋だった

たまに訪ねていくと
おおきなトマトを切ってくれる
塩をかけてくれる
キュウリを棒状に切って
味噌をつけて
お食べと
出してくれたりする

ぼくは幼児だ

そんな野菜のほうが
甘くても
汁でべとべとするネーブルより
なんとなく楽しかった

もちろん
切りわけた真夏のスイカを
いくつも食べられるのはうれしい
もうお腹をこわすから
と止められると
いよいよ
お盆の上の残りが
うまそうに見えてくる

でも
けっきょく
残りの数切れも
食べさせてもらうことになる
だって
冷蔵庫なんか
ない時代だったのだ

大きなスイカの球を切り分けたら
はやく食べ終える
そのためには
みんなでちゃぶ台に集まって
みんなで食べる
みんなでいる必要がとにかくあった
そんな時代だった

冷蔵庫や冷凍庫が発達するような時代は
やはり
悪い時代ではないか
とぼくは思う
みんなであることを壊したのは
冷蔵庫や冷凍庫
その他
もろもろ

人は
器具や機械や環境に
ほんとに左右され切ってしまうものだから




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