2018年6月1日金曜日

あのあたり

メニルモンタン! そうですとも、マダム
わたしがこころを置いてきたのはあそこ
わたしがたましいを
わたしのほのおを
わたしのしあわせをとり戻しにいくのはあそこ
シャルル・トレネ 「メニルモンタン」 1938*

Ménilmontant mais oui madame
C’est là que j’ai laissé mon coeur
C’est là que je viens retrouver mon âme
Toute ma famme
Tout mon bonheur...
Charles Trenet : Ménilmontant, 1938



電車で通過したそこは
もう三十年ほどのむかし
にぎやかで温かく楽しくもある事情が
奇妙にこちゃこちゃに絡まって親しむようになったところ
たびたび訪れた通りや
広場や
家々のあったあたり

電車からちょっと見えた狭い道をすこし行けば
小さな公園があって
それを囲んでボロ家やいくつかの普通の小さめの家や
入口のドアも取れてしまっているアパートや
猫がよく蹲っているいくつかの花壇が四季の花を咲かせていて
子どもが忘れたボールやバドミントンの羽根が落ちていたりする

夏の暑い夜など
夕食の食器の鳴る音や
テレビのなにかでワッと笑う声や
子どもの兄弟げんかの声や
急に叫ぶ猫や
なにか盛大にひっくり返した音や
たぶん明日の音楽のテストのための笛の練習の音や
そんな音の渦巻きがいつも
わんわん
うんうんしていて
それが深夜少し前になると
不思議にちゃんと静かになっていったところ

愛する
なんていう言葉は恥ずかしくって
嘘くさくって
めったには使えないと思うほど
ぼくらは真摯だった

今になってふり返れば
本当に愛していたと言ってしまってもいい
いろいろなものが
豊かに溢れかえっていた

なにも所有していないと思い込んでいて
それでいて心も軽く
にぎやかで温かく楽しくもある事情が
奇妙にこちゃこちゃに絡まって親しむようになったところ

たびたび訪れた通りや
広場や
家々のあったあたり

あのあたり





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