2018年6月24日日曜日

たとえばわたしが花という…


 
たっぷり10時間も眠って
脳の奥にあった空洞感覚もちょっと埋まって
しばらく
部屋の宙に鏡を空想してそれにじぶんを映してみていた

ない鏡で映すじぶんはもちろん此岸のからだじぶんではなく
かといって彼岸じぶんでもなく
(彼岸は仏教概念だが
(仏教は霊も魂も語っていない
(仏教で彼岸に行くのは
(じぶんのうちのなにだろう?
ない鏡に映るのに適合したじぶんなので
それが
安倍政権下のぐだぐだ蕩けた人びとにわかりのいいじぶんだとは
もちろん
言えそうもない

ところで
10時間ものあいだ見ていた強烈な夢で
じぶん意識はすっかり変わってしまったのだが
どう変わったかをつぶさに調べたくて
ない鏡を空想してじぶんを映そうとしてみていたのだ

いちおう註しておくが
空想はどんな現実よりも物質的に強固で存在性が強い

たとえばわたしが花という
マラルメが言った時に想定されていたのよりも
もっと
もっと
現代のひとならわきまえていなければならない




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