廊下にはあかりを点けていない
廊下に面した各部屋の扉はどれも開けてある
夜
部屋から部屋へ
廊下にあかりを点けないまま移動し
また戻ってくる
じぶんの他には誰もいないのだから
もちろん誰とも話さない
今から20年ほど前まで
なにかを人生でなすべきだと思っていたし
なにをするべきかも
わかっていたつもりだった
今ではそういったことを失ってしまった
とか
今ではわからなくなってしまった
とか
そう洩らせば
なんだか昭和の頃の中間小説ふうの
安手のセンチメンタルにすぐなってしまう
渡辺淳一あたりで満足できる手合い向きの常套
宮本輝あたりもそうか
ロマンチックの文弱な親玉のような堀辰雄なら
もっと酷いのではないかと思いきや
彼の場合はなかなか
そう単純にセンチメンタルに陥りはしない
いわゆる純文学と大衆物との違いはこんなところにある
堀辰雄の一見センチメンタルっぽい雰囲気は
そう単純には読み解けない謎から立ち上っている
あの折口信夫が堀のために歌をこう読むのは
やはりただ事ではない
『菜穂子』の後 なほ大作のありけりと そらごとをだに 我に聞かせよ
むかし西麻布にあったラヴホテルでの逢瀬を
堀は書いているよね、『風立ちぬ』で?
そう話を向けてみて
そうそう、あれねぇ…と乗ってこれる人としか
話す気はなくなって
もう15年ほどは経つか…
堀があれを書いてから64年ほど経った後
彼が舞台に使った西麻布の谷の淵のマンションに親しんだことがあ った
読んだだけの時は西麻布にあんなところがあるのかと思ったが
平成になっても地形はかわらぬまま残っていて
午前中も遅くになってから出ればいい日など
ベランダから谷を見ろして60年以上前の風景を想像したりした
文芸に関わるこんな話にうつつを抜かすのは
むかしむかしなら清談と言ったものだが
今はオタクとか物好きとしか呼ばれなくなってしまったか…
廊下にはあかりを点けていない
住んでいるのはちょっと大きな古い舘
廊下に面した各部屋の扉はどれも開けてあるから
忍び込んで来られたら
はじめは闇に戸惑われるかもしれないが
部屋から部屋と覗いてごらんになれば
きっとどこかにいるはずで
見つけたら
そっと部屋に入って来て
いい夜ですね…
とでも
静かに声をかけてもらいたい
夜はどの夜もいい夜
言い間違いをする心配はない
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