2019年1月27日日曜日

あっという間のお別れ


ひとびとは
のんきなものだな…

枯れ木と
枯れてない木と
ともに
ささえて

あっという間の
お別れ

(記さないでいいことばが
(なんと
(多かったことか…

冷たくする

かつて後にしてきた場所の特別な太陽のように
思いの目
こころの目を
もう
向けないことで

おセンチが
ほんとうにべたついて
いや

雨も
風も
いい

起こらなさ
とも
いくらでもつき合っていられる

内側に
なんにも
大事なものがないのを
ブルーの
グリーンの
けっこう浅瀬の海に
教えられたことがある

教えって
忘れないほうでね

実践は
あんまり
しないんだけれど

とにかく
あっという間の
お別れ

あっという間の
お別れ



現場

主張が立ちはだかっていた

藁葺屋根
ではないが
よく似た印象のある
体育館ほどもある製氷室の
奥の一画

トナカイの(水口君から貰った)カードを
机のどの引き出しに仕舞ったか
忘れてしまったことに
30年もして気づく

ひとりで北国に住んで
もう
長いなぁ
あす
赤道近くの
縁もゆかりもないリゾート地に
行ってみる意志に
急に突き動かされながら
心のなかで
演技過剰に内的独白してみる
(せめて「つぶやいてみる」ぐらいに
(しておけばいいのに

そんなところに
立ちはだかっていると
いつまでも
凍ったままだぞ
主張に言ってやろう

そのためには
防寒のために三重にしてある
どれも重い厚いドアを
ひとつひとつ
ていねいに開けることから
始めなければならない

本当のコミュニケーションには
どれにも
重い厚いドアがある

主張など
凍ったままにさせておくほうが
賢明な選択かもしれない

そんな場合がいっぱいあり
現場というものが
いつも
主体なのだ



ジョーン

 
中は黄色、外はオレンジ色
てのひらほどの
しっかりした厚紙の箱

名を
ジョーンとつけ
何週間も
つき合い続けている

深い輝きを秘めた青の
大きなみずうみが
ジョーンの中に現われれば
よかった

パフェのたぐいの
甘すぎない
唇もべとべとしない
今まで
ありそうでなかったような
グリーン系の色あいに
ピンクがちょんちょんと乗っている
スイーツが
ジョーンのかたわらに
置かれてもよかった

しかし
みずうみのない
内側の黄色
ありそうでなかった
スイーツが
かたわらにない
外側のオレンジ色を見ながら
数週間
春夏秋冬が
めまぐるしく何度か
まわっていくのを
生きてみていた

中は黄色、外はオレンジ色
てのひらほどの
しっかりした厚紙の箱

ジョーン



2019年1月23日水曜日

シメラリスのほうへ



ことばがなにかの役にほんとうに立つという意見に
あまり
これらのことばは
賛同しないのではないかと思うが
シメラリスという村の
はずれの菫の野から
それはそれは美しいことばが
風に吹き乱れる長いむらさきの髪の毛とともに
こちらを目指して
ゆっくりと歩んでくるという噂を
もう
三千年ほど前だろうか
耳にしたので
ことばとは縁を切らないでいる

けれどもそれが元で
あんなに仲の良かった恋人バトコとのあいだには
齟齬が生じてしまった
バトコは短い髪で
髪の色も黄金だから
むらさきの長い髪のことばとは
相容れないのだろうと
それとなく理由を思ってきていたが
このあいだ見た夢では
むらさきと黄金はすばらしく合い
風景をいっそう魅力的なものにしていたので
バトコには
ほんとうは
べつの理由があるのかもしれない

そういえば
シメラリスの村は
ことばがこちらへ歩み出した後
ふぅわりと宙に舞い上がって
大きな薄い紙のように
軽々と浮き
こちらではないどこかへ
進んでいっていると聞いている
わたしは
ことばよりもむしろ
シメラリスのほうに興味があるので
その行く先をたずねて
探し探しして行きたいと思う

バトコはどうするのか
わからないが
ことばへと向かうのではないわたしだから
後からでも
ついてくるかもしれない



アネモネ

 
疲れる権利という草と
疲れない義務という花が
そう競いあうでもなく
バビロンの河のほとりに
ともに生え続けている
たまには比喩の舟で
写実の旧い入り江まで
向かってもよいか
たぶんそのあたりには
姉がアネモネを持って
待ち続けているから

それにしても
にっぽん語というのは
たいへんな酒粕だ



2019年1月20日日曜日

弘和くんが当初の目的を忘れないで済んだこと


 
丸い葉の草が追ってくる海
から遠い
自転車修理屋の美濃部
サイクルの末っ子
ひろき君に小さな誕生日プレゼントの
チョコレート(そう高くないので
ちょうどいいと思う)を
上げようと
学校帰りに舟木製菓に
寄ろうと
六地蔵さん(お地蔵さんが六体並んでいる
江戸時代からの古跡)のほうへ
逸れる道を歩き出した
ぼく
の同僚の弟
の婚約者のそう遠くない血縁の
市村隆夫さんの
隣家の林純さんの次男の
弘和くんは学校でその日話に出たブエノスアイレスの
なんとかいう(もう名前は忘れてしまった…)レストランの
これも
なんとかいう(もう名前は忘れてしまった…)料理が
とってもおいしかったし
とってもカラフルだった
横山先生の妹の三津子さんが言っていたと
横山先生が社会科の地理の時間にちょこっと言ったものだから
歩きながら思い出されてきて
どこかテレビあたりで見た南米の海岸の風景も
背景に思い出されてきたりして
ナズナがずいぶん背丈を伸ばしている細い道の
アスファルトをずずずっと
時どきスニーカーの後ろや前で擦りながら
まるで別の国の
別の道を
どこに行こうとしていたのか
進んでいるような気持ちになって
ひろき君にチョコレートを買うことも
うっかり忘れそうになって
おっと
ぼくは今日どうしてこっちの道に来たんだっけ?
という思いに助けられて
そうだ
ひろき君にチョコレートを買おうと思って
舟木製菓のほうに行こうとしているんだった
と思い直したものの
ちょうど見えてきた六地蔵さんのせいで
その思いが
また
どこかにちょっと逸れてしまって
そうだった
ぼくはあのお地蔵さんたちのように
この世に留まってひとびとを助けなければいけない
などという思いが
どこからか浮き上がってきて
妙に心が高ぶって
落ち着こう
落ち着こうとして
足もとにあったナズナを一本むしって
葉のぜんぶを
つー
つー
つー
取れてしまわないように
ちょっとずつ離して
茎をまわして
じゃらじゃら
じゃらじゃらじゃら
と振って音をさせながら
しばらく立ち止って
いた
ところを
美濃部サイクルで直してもらった自転車に乗った松岡巡査が
かなり遠くの望月さんの納屋のあたりから見つけたが
ナズナをくるくる
まわして音を聴いているとまでは見えなかったので
耳か
頭でも
掻いているのではないかと思い
自分もなんとなく頭に左手の人差指を持っていって
耳の上あたりを掻いたが
掻いてみて
自分は別に痒くもなんともないのに気づき
そういえば家のシャンプーが
そろそろなくなってきていたようだと思い出して
スーパーマーケットのマツダジャンボに
後で寄っていかないといけないかな
と考えたのは
ちょうど昨日から
妻の初恵も娘の理沙もインフルエンザに罹って寝ていて
自分が
夕食を作らなければいけないからだったし
寝ている家族の分もなにか拵えなければいけなかったからだが
弘和くんを遠望しながら
あの子はインフルエンザに罹ってないんだなぁ
あんなところで立っていたりして大丈夫かなぁ
でもあそこなら他の人からうつされる心配はないなぁ
などと思い
ペダルを強く踏み始めたら
自転車のどこかが太陽の光をきつく反射し
弘和くんの目にちょうど当たって
あっ
と思った弘和くんは
はじめて松岡巡査のほうを見て
お巡りさんが自転車で行くところなのを知り
あっ
自転車
美濃部サイクル
ひろき君
誕生日
チョコレート
舟木製菓
連想が進んで
いつもと違う道へ逸れたわけを
思い出し
当初の目的を忘れないで
済んだ
ということで
あった

どっとはらい
どっとはりゃあ
とっぴんぱらりのぷう



2019年1月18日金曜日

みんな むかぁしむかしの人に


 
市原悦子が亡くなって
思い出したのは
もっとはやく
8年も前に死んだエレーヌが
マンガ日本昔ばなしをやる時間になると
ノートを手にしてテレビの前にすわり
いろいろな日本語表現を
せっせと
メモし続けていたこと
むかし話を語る時の日本語が
彼女にはおもしろくて
市原悦子や常田富士男の口調を
そのまま真似して
外国人であるじぶんの
日本語を広げようとしていたこと

そんなことを思いながら
そういえば
常田富士男は元気だろうかと
ちょっと調べたら
2018年の7月18日に
彼も亡くなっていた
脳内出血で
81歳で

みんな
むかぁしむかしの
人に
みずから
なっていくところ…



トッポ・ジージョは


 
むかしのものが
いろいろ
ほじくり返され
なんでも担ぎ出されて
懐かしがられたり
あらためて
面白がられたりするのに
トッポ・ジージョは
あんまり
出てこないんだナ
ブースカでさえ
ちょっと
リバイバルっぽいのに
トッポ・ジージョは
忘れられる感じ
なんだナ



わからないだろうけれど


  
外国の人にはわからないだろうけれど
今の若者にはわからないだろうけれど

かつて
日曜洋画劇場というものがあって
淀川長治さんの〆のお話が済み
エンディングミュージックのSo in loveが流れると
また
明日から
つまらないニッポンを生きねばならないのか
と悲壮な思いで
テレビの前から立ち上がったものだった

テレビの画面のなかに見た
「夕陽のガンマン」だの
「続・夕陽のガンマン」だの
「ある愛の詩」だの
「追憶」だのが
どんなに楽しかったか
どんなに切なかったか
翌日に月曜日が来
砂を噛むばかりのような次の週が来ることが
どんなにつまらなかったか
どんなにつらかったか

外国の人にはわからないだろうけれど
今の若者にはわからないだろうけれど




構造がそもそも



わたしはだれにも引っかからずに過ぎ去って消えていく
だれもわたしには引っかからずに過ぎ去って消えていく
わたしは他人のだれにも薄っぺらな情報のいくつかに過ぎないが
他人はだれもがわたしには薄っぺらな情報のいくつかに過ぎない

だれのせいでもない
人間というものの構造がそもそもダメにできているのだ

つまらないことに拘泥しないで
おたがい
しずかに消滅を待つことにしましょう



わたしって三人称だもの

 

わたしの人生は……
みんな
言いがち

そう言える
って
ことは
ほんとは
わたしの人生
なるもの
じゃ
ないんじゃないか
って
あるとき
思った

ほんとに
わたしの人生なら
わたしの人生
なんて
言えないんじゃないか

わたし
って
三人称だもの

わたしを
わたしと呼ぶなんて
たいへんな
客観だ




いま日本列島は戦時下だから

 

知りあいの女の子が
フランスからベルギーに旅行に出ているので
リヨンでは大学で大爆発があったでしょ?
ブリュッセルでは現地の学生たちのデモがあったでしょ?
などとLINEで送ってやったら
リヨンの爆発は泊まったホテルの対岸で起こったらしく
ブリュッセルのデモには
ちょうど教会から出ようとしたところで遭遇し
なんだろうと思っていたら
こちらから送ったニュースで
地球温暖化のためのアクションを求めるデモだったらしいと
ようやくわかったそうな
今回はスイスには寄らないようだが
そこでも高校生たちが地球温暖化のためのデモをしている
と伝え
日本の学生たちはなんにもしないけれどね
と付け加えたら
じぶんは大学で昔の学生運動の映像を見たことがあるけれども
ぜんぜん関わりのない時代や世界のことと感じ
それ以上はなんにも考えようもなかった
と素直に書いてきた

そんなもんだろうね

ぼくだって
この子たちには
(大人たちにしているのと同じように)
故意に
わざと
注意深く
慎重に
政治に関わる発言はまったくしないようにしてきた
原発事故のことにも触れないようにし
放射能汚染のことも汚染土が全国にばら撒かれることにも
森友問題や省庁のあまりの不祥事にも
現政権の愚かさと異常さにも
アメリカの軍産共同体に完全に支配されている日本傀儡政権にも
水源までも含む国土が外国人に買われ続けていく愚かさにも
どんどん空洞化する教育の実態にも
社畜化の目を見張る深化と日常化にも
支持率のあまりに低い政権が形式の悪用によって居座っている愚に
いっさい触れずに
映画の話
小説の話
歌舞伎や演劇の話
あの役者やこの役者の話
どの酒が旨いか
どんな食べ物がこのところ気に入っているか
などなど
そんな話しか
故意に
わざと
注意深く
慎重に
しないようにしてきた

だって
バカだと思ってきたから

だって
ヒトラーユーゲント連中だと思ってきたから

だって
共産体制下の東ヨーロッパや
ナチス体制下のような時代にとうに入っていて
どんな日本人も危険思想に洗脳されていると思ってきたから


これからも
もちろん
けっして油断はしない

故意に
わざと
注意深く
慎重に
映画の話
小説の話
歌舞伎や演劇の話
あの役者やこの役者の話
どの酒が旨いか
どんな食べ物がこのところ気に入っているか
などなど
そんな話しか
しないようにしていく

いま
日本列島は戦時下だから

まわりにいるのは
全員
敵なのだから