2019年2月21日木曜日

平成という時代区分が終わるのだというが……


  
平成という時代区分が終わるのだというが、もちろんどうでもよい。国民という名で括られかねない多数の人間が渋々ながら受け入れさせられてしまったとはいえ、その“多数”など時間の無限の過ぎ去りの中では宇宙の親指と人差し指のひとつまみほどにもならない極小量に過ぎないという意味では、どこまで言っても任意と呼び直すべきものに過ぎないであろう、そんな時代名の前で、また、その消滅の過程の前で、取るべき然るべきこれといった身振りがあるとも思えない。西暦というアラビア数字の羅列を前にしても一向に感慨の湧かない意識にとっては、平成だの昭和だの、これから使用されるであろう漢字ニ字の別の熟語も格別に気を惹くようなものであろうはずがない強い予感がある。どうでもよい、どうでもよい、どうでもよい、……と意識のどこかが連呼し続ける。荒野で呼ばわる者の声がする、主の道を備えよ……と連呼するわけでないのは、この地がまだ新約の時代には遠いソドムやゴモラであるからかもしれないが、もちろん、そんなこともどうでもよい。




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