2014年5月26日月曜日

要らなかった



幾人か思い出す
病んで死んでいった人たちを

最期が近づくと
御たいそうなものは
要らなかった
テレビであれラジオであれ
音の出るもの
絵の動くものは
うるさ過ぎ
小さな本の数冊もあれば
よかった
便の世話をしてくれて
ちょっとの水
ちょっとの食べ物
それさえ貰えて
そうして
ときどき体を
拭いてもらいさえすれば
後はどうでもよかった

外がよく見えなくても
朝から夜にかけての
ひかりの移ろいが感じられれば
それでよかった

もう頭が朦朧としているのか
精神が薄まってきているのか
そんなことを
傍の者たちは思ったりしがちだが
たくさんの思い出が
とめどもなく湧き出てきて
オールナイトの映画が
何十本も同時に上映されているようで
頭はとてもとても忙しかったらしい
わかりきったつもりでいた
出来事の数々を
たゞ思い出すだけでなく
アングルを変えて見直したり
こんな意味でもあったろうかと
思い直したり
たゞベッドに横になっているだけでも
意識はひどく忙しかったらしい

しずかな
しずかな死を
迎える直前
そのうちのひとりから言い残されたのは
こんなこと―

「ひょっとしたら
「私は死ぬのかもしれない
「私が私を私だとわからず
「私を私と呼べなくなるのかもしれない
「…まあそれはどうでもいい
「とにかくこんなに弱々しくなってしまって
「今になって思うのは
「人生にはほんとに
「なんにもいらなかったということ
「当座当座にあれこれ必要だったけれど
「たゞそれだけのこと
「あれもこれもいらなかった
「変に聞こえるかもしれないけれどね
「人生なんてものも
「いらなかった
「私なんていうのも
「まったくいらなかった
「生まれてよかったとか
「悪かったとか
「そんなことを
「無理して思ったり
「言ったりする人たちがいるが
「よかったも悪かったもない
「生まれる必要なんてなかった
「生き続ける必要もなかった
「進んで死ぬ必要もなかったように
「どれもこれも
「どんな考えも思いも
「どんな感情も感慨も
「みんな
「どうでもよかった
「なにもかも
「要らなかった
「要らないと強く言うことさえ
「要らなかった…





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