2014年5月4日日曜日

いわゆる抜きのおさらば



人間が死体になるというのには表現上のあやまちがあるが
生体はある時点から死体に変わる
死体に変わるとつまりは不要物になりゴミになる
死体をゴミとはなんだという良い子の発言が聞こえてきそうだが
だったら焼かれたり埋められたりしないように
必死におうちに持ってお帰り
ほうら出来ないじゃないか
そういう対象をゴミというのだよきみ

死体以前のからだを運び続けながらきみはおうちの最寄駅に着く
死体以前のからだを運び続けながらきみは帰宅という作業を終える
作業御苦労様
数えきれないほどやってきた作業だと思いたいかもしれないが
数えればちゃんと数えられる回数しかしていない作業
帰宅作業以外のすべても同じ可算作業
種類も無数だと言いたいかもしれないが無数などというものは存在しない
すべて可算作業
それらをぜんぶ合わせたものがきみのいわゆる人生
いわゆる
いわゆる
いわゆるきみ
いわゆる人生

最期にゴミを出してもらう
ということが来るが
まあ
それで最期になるわけではない
焼却後にいろいろやりたがるわけで
人間は
いわゆる人間は

ともあれこんな待合室で
きみがこんがり焼けるまで
寿司を喰って待っている死体以前たちのあいだに
死体以前のからだをまぎれ込ませている
ぼく
もっといい寿司だったらなあ
うまくないぜ
このイカも
タコも
まあきみが頼んだわけじゃない
きみは焼き魚
じゃなくって焼き人間になっていっている最中だから
罪はないよな
この寿司について
だけは

きみに家族がいたなんて
知らなかったが
まあ遺伝子的に近似した生体を家族と呼んでみているだけで
まあそれを家族と認めたかのようなふりをこっちもしてみているだけで
ともあれ
その
いわゆるきみのいわゆる家族が
きみの燃え残りをくそおもしろくもない白い壺に入れて
コンクリートの冷たく暗い小部屋に入れようとするのだろうと思う
そうでなくて他のかたちをとっても同じこと
要はぼくはきみの燃え残りにタッチしないということ
きみとの物質的な接点は
ここ
このうまくない寿司で終わる
ということ

骨拾いにも加わるから
もうちょっとつき合いが延びるかな
でも焼け残った骨はだれにも似ていないからなあ
大腿骨の中の繊維状な部分がのぞいていたり
頭蓋骨の裏側が薄赤く色づいていたり
そんなのは
きみじゃないからなあ
熱くなった骨の粉も飛んでいるし
なあ
なあ
このうまくない寿司で
おさらばと行くかな
あとはいわゆるきみのいわゆる家族にまかせて
おさらば
いわゆる抜きの
おさらば




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