2019年7月31日水曜日

一瞬一瞬が祝祭




めぐり逢えた瞬間から死ぬまで「好き」と言って……
桑田圭祐「TSUNAMI



夏の暑さにしっかり包み込まれる頃になると
なんだか
なんであれ
なんでもござれ
みたいにウキウキして来ちゃうのは
ぼくが夏の生まれだからかな?
たんに血圧が上がって
酔ったようになってるからかな?

あれは遠い夏の日のまぼろし…
なんて
Mr.サマータイムに歌われていたものが
まぼろしどころか
リアルでぼくをくるみ込んでるんだし

夏の日の恋なんて
まぼろし
と笑いながら…
と矢沢が歌った雰囲気が
目の前にも
背後にも
脇腹の肌を伝っていく汗にも
ときおり吹いてくるそよ風が手の甲を擦過していく瞬間にも
あるのだし

夏が来れば思い出す
はるかな尾瀬
遠い空…なんて
江間章子の作詞にあった気分を
夕方になってもまだまだ暑い砂浜にいながら
よし
来週は軽井沢にでも行こうか
蓼科にでも行こうか
と実現させたくなってきちゃうし

あゝ、それに
あの
TSUNAMI
止めど流るさやか水よ
消せど燃ゆる魔性の火よ
あんなに好きな女性に
出会う夏は二度とない…
なんて
桑田が歌う
ちょっと変な日本語が
どこでも響いていた
ニッポンの最後のギラツキの頃の悪友どもは
もう
チリジリ
バラバラ
何人かは死んで
何人かは行方知れず…

なんて
ちょっと思い出しても
湿っぽくならない
ってのが
夏の暑さにしっかり包み込まれる頃
一瞬一瞬が祝祭みたいだ

ぼくが夏の生まれだからかな?
たんに血圧が上がって
酔ったようになってるからかな?




上海のオジサンたち



暑くなると
中国人のオジサンたちはTシャツをまくり上げて
お腹から胸まで晒して
涼しくしようとするのらしい
上海を取材した映像は
ほんとうにそんなオジサンたちを捉えていて
中国も暑いんですなァ
やっとりますなァ
なんて
ちょっと歓声を送りたくなっちゃった

すこし前までは
日本の若者でもそんなふうにしている連中がいたようだが
最近はどうしたんかいナ?
戸外で腹や胸も晒せないようなヒヨワになっちまったんじゃァ
あるめえなァ?

34度ぐらいか
それ以上か
台所がずいぶんアツくなった午後
スパゲティを作ってたらもっとアツくなってきて
そしたら
上海のオジサンたちを思い出したもんで
おらっちもTシャツまくり上げて
お腹も背も出してみたんサ
そしたらだわサ
あらまァ
これがけっこう涼しいんだわサ
さすがに中国
伊達にTシャツまくりしてるわけじゃァない
しっかりジツを取ってる
花より団子の中国の現実主義は
やっぱ
見上げたもんだわサ
ビックラこいちまったダ

んでもヨ
スパゲティに混ぜようと思って
フライパンで炒めてた野菜とかから
パシッ
プシッ
と時どき油が飛ぶもんだからヨ
お腹に当たって熱いッてえノ
こらァ
料理で炒めもんなんかしながらやんねェほうがええナ
ってのが
発見
っていえば
発見




小虫のように日の移ろいのように吹き散らされる埃のように




地獄の小径は希望でいっぱいだと言う。
よかれとの願い、希望、夢、虹、理想で。
天国の小径はまったくの空っぽだ。
         OSHO



いろいろな人たちが時間を流れていった

みんなそれなりに健康に気を遣ったり
ああするよりこうするほうが楽しいとか
これはあれでなくてこっちに限るとか
ちゃちなこだわりを披露したりしていた

いろいろな人たちが時間を流れていった

ぼくはかれらの舞台には参加しないで
だいたいはまわりに立って眺めていた
かれらの舞台に意義があるとは思えず
ほとんどのところ共感できなかった

いろいろな人たちが時間を流れていった

柔軟さを気にしてヨガに凝っていた人も
毎夏ふんだんに別荘暮らしを楽しんでいた人も
金にあかして諸国の美食に凝っていた人も
地道なワイン作りを楽しんでいた人も死んだ

いろいろな人たちが時間を流れていった

働かないでいい境遇の富裕な人も
ダメ本を運よく量産できて自慢していた人も
寄生虫のように人にたかるのが上手かった人も
あまり才能も根気もなかった教授たちも死んだ

いろいろな人たちが時間を流れていった

どれもこれもあってもなくてもよかったような人生で
かれらがあんなに気にしていた舞台はもう廃屋で
小虫のように日の移ろいのように吹き散らされる埃のように
いまではだれも思い出しもしないし覚えてもいない

さようなら
いろいろな人たち

せっかくの地球体験だったのに
ただ気を散らし続け
駄菓子屋のおもちゃのような価値にああだこうだ拘泥し
自分のからだと心の関わりぐあいも凝視せず
意識の底の底にある洞の探求もせずに
幼稚園の休み時間の園庭のような騒ぎを追うことばかりに夢中で
けっきょく心もからだもただ疲弊させ
ついに「時間」を止めることのできなかった
ひとことで叙せば
ようするに
たんなる失敗例さんたちの数々よ

さまざまなる意匠の
散り去りよ
とろけ落ちよ
乾涸らびの末の崩れ落ちよ
ほんとうになにひとつ残らなかった
純粋といえば純粋この上ない
エネルギーと時間と思念と感情と……
蕩尽遊びよ




2019年7月29日月曜日

夏の音が聞こえ続けている


  
    かしこ
     海は心臓のように鼓動している
      フィリップ・スーポー   Westwego” 1917-1922



昼ひなか
クーラーをつけることは
ほとんど
ない

思い出も
考えも
いつも埠頭に寄せ続けて
みどりや青
コバルトブルーの海に
まっしろく砕け続けているが
感情は
ほぼ
一定の温度のまゝだから
まわりの熱が上がることもない

夏の音が聞こえ続けている

都心ならでは

妬みっこも
恨みっこもなし
という
ルールを
いつまでも骨に染み込ませられないでいる連中が
電波上のチープな居酒屋で
ああだ
こうだと
臭い息を吐き続けている
大宇宙の
猿山

なんと
いい瞬間ばかり続くことか!
とうのむかしに止まった
時間クンの遺影に
乾杯!



あるの


  
洗面台の鏡がちょっと汚れたからといって
みだりに濡れ布で拭いたりしてはいけないのはわかっているのに
きっとなにかで生の感覚が悪く酔ってしまってでもいたからだろう

選びに選んだものでもない手近にあった布を
こともあろうに洗面所の蛇口から出る水道水に濡らして
手付きだけは注意深くそれなりにやさしく拭いてしまったものだか

無数の繊維が鏡面上で細かく崩れて付着してしまい
鏡面がふたたび乾いた頃には微細な短い糸くずがいっぱいで
蜘蛛がひとしきりオブジェ創造に賭けて失敗した後のようだった

濡れ拭きした後の鏡面がふたたび乾くまでの数時間に
私はパルミラの遺跡の中で娘と絶縁を強いられる椿事を経験し
それというのも孫娘との秘愛のゆえで娘には痛手だったからだが

ホテルにひとりで戻ってくると鏡面はすっかり乾いていて
その表面の細かなたくさんの糸くずの付着の様が
いつの間にか不要になっていた実の娘という

大事ではあったようでも実は私の変貌を妨げる最大の障害となったものの
深い部分での有り様を予想もしなかったかたちで
ありありと見せつけてくれているようだった

そう考えれば手近な布を濡らしてあまりに不用意に洗面台の
鏡を拭いてしまったのもむしろ僥倖の類いだったかのようだが
それでもそれ以来は二度と鏡を濡れ布で拭かないよう

なにか決定的な過誤を犯した人のように心がけるようになったのだった
だがどうしたことだろう、濡れ布でなど拭いていないのに
今朝洗面台の鏡に向かうとあの時のパルミラのホテルでのように

いっぱいの微細な折れ釘のような糸くずが鏡面のあちこちに付着していて
数年前に移り住んだリスボンの近くの此処エストリルの海浜の家で
ふたたび私は変貌を遂げることになろうと宣告されたかのようではないか

孫娘が産んだ私の曾孫娘パメラが十代の細身の男の子を連れてきた
一目で恋に落ちてしまった私は男の身体を捨てて女体に一旦はなったが
彼が稀代の軟体動物好きだとわかったことから

烏賊の白い肌をした美しい細身の蛸に
現代の最高の整形外科医ジョナサン・フールキッツァ博士の手を煩わして
人類史上でも画期的な実験たる全身整形を受け入れて成功し

エストリルからはイギリスやアメリカへもひと泳ぎで行ける楽しみを得て
もちろん地上にいる時にはルキシル(かつての例の男の子だが)と
日がな一日とろりとろりと絡みあう時間を過ごしてきたものだった

巨大な白い肌の蛸が細身の人間の青年と絡みあっているイメージを誤って
抱かれてはいけないのですぐに付け加えておけば
ルキシルもジョナサン・フールキッツァ博士の天国的な手腕によって

全身ほのかな美しいピンクの肌の烏賊に整形されている
ルキシルの最新鋭の戦闘機のような肢体は世界の話題の的でもあるようで
ファッションそのものでもないというのに『ヴォーグ』『エスカイヤ』や

名は忘れたが他のファッション誌でも紹介されたので
ご存じの方もきっといらっしゃるに違いない
そんなことを誇らしげに開陳しようとする私ではないのだが

あのルキシルの肌を隈々までよく知っているのは私だけ
私だけなのよ
とちょっと女言葉で言っておきたいような気は

あるの



裏にバーコードが付いているような判断のしかたで


  
簡単には言い切れないことを
もどかしく
ぶつぶつ
時には陰々滅々と
ことばならべしていくのが
だと思ってきたので

きりきり言い切り
あちこちから借りてきたような表わし方や
裏にバーコードが付いているような量産品的な判断のしかたで
髪を突っ立てたIT企業の社長や
半グレのトップみたいな「後悔?無関係だけど?」的な口調で
そこそこ高価なスニーカーみたいに
キッ!
キッ!
と歩くたびブレーキやアクセルを利かせて
八方美人に小利口にしゃべってるのを見ると

ヨシモト
にでも
行ってやったら?
と思う
政府からは100億円貰っているそうだから
潤う
と思うよ
それなりにさ
と思う

(もっとも
(いま起こっているのは
(旧来の日本型裏社会の掃討
(ヤクザなんかより遙かに情け無用の国際金融資本が
(この列島をいよいよ直接統治するために
(これまでノシてきた幇間屋を潰しにかかっているところ
(政治の世界も同じで
(新たな真の民主主義の可能性が見えてきた……
(なんて夢を見ていると
(いつのまにか安手の軍靴を履かされるようになるよ
(きっと

(おっと、
(これ以上は言えない
(言わない
(シュールレアリスム詩の形体や
(キリスト教系神秘主義詩の形体や
(イスラム神秘主義詩の形体でも
(ひさしぶりに蔵から出してこないことにゃ……





小津安二郎の映画だったら

 
五時に起き出て
居間や廊下を歩いてみると
真夏!
もう暑くて
温度計を見ると30度を越えている!

でも
暑くって
夏らしくって
いいなァ
と朝っぱらからウキウキ
なにをするでもない一日になるはずだけれど
真夏の暑さは
それだけでもイベント!

ところが
六時になると
ちょっと温度が下がってきたのが
けっこう
不思議

それだって
暑い日になることにかわりはない
スマホの天気予報は
昼頃には34度にもなろうゾ
と知らせてくれている

ヴェランダに出て
どんどん暑くなっていくはずの街を
睥睨してやろうかいの!

今日も暑くなるぞ…と
小津安二郎の映画だったら
言わせるだろう日
『東京物語』でも言わせていたな
『浮草』でも言わせていたな

今日も暑くなるぞ…
と言えることが
言える相手のいることが
しあわせという
ことじゃないかい?と
微妙に
説教っぽくもある
小津安二郎の映画だったら