2020年8月29日土曜日

どう? あなたは?

  

わたしをていねいに生きる

 

どこかへ

向かう

向かわされる

向かわなければならぬ

雇われ船の

船漕ぎに

わたしを貶めてしまわずに

 

わたしをていねいに生きる

 

たまたま今

手のひらに触れたものを

とっても大事に

触れ続ける

ものにも

ものの肌があって

そのものの肌のありようを知るのは

宇宙で

わたしの手のひらだけ

 

スマートフォンの鏡面でも

蚊に刺された足首でも

100円ショップのマグカップの取っ手でも

けっこう高価な万年筆の軸でも

料理前の青魚の肌でも

泥のちょっと付いている青菜の葉でも

廊下に落ちていた綿埃でも

 

たまたま今

手のひらに触れたものを

とっても大事に

触れ続ける

 

たぶん

遠くまでの見通しとか

長い計画とか

出会ったこともない

人類とかいう法人のようなもの

概念人のようなもの

そんなものを

空調の効いた部屋に籠って考えている必要はなくて

 

わたしをていねいに生きる

 

とりあえずは

すべての動作を

ちょっと

ゆっくりさせてみることから

わたし

はじめてみるけれど

どう?

あなたは?

 

ものを手に取るのも

カップに湯を注ぐのも

ページをめくるのも

遠い昔のものを思い出すのも

ひとつの雲から

もうひとつの雲へ

目を動かし

気分を動かすのも

ちょっと

ゆっくりさせてみることから

わたし

はじめてみるけれど

 

どう?

あなたは?





冷房も暖房もなしで

 

冷房を入れろ

入れろ

とマスコミがうるさいが

冷房の効いた室内で一日中暮らしたり

眠ったりすると

やはり

からだは深く衰える気がする

避暑地の涼しい高原で目覚めるのとは違って

鮮度の落ちた干し魚みたいになる

からだも

こころも

気力も

 

朝から温度が上がって

自然と汗もずいぶん出て

血圧も自然に上がって

自然に目覚めるのが

やはり

いちばん快調で

冷房漬けの中で寝続けて起きた後の

鮮度の落ちた干し魚みたいな

こんなふうにして死へとにじり寄っていくのだなと

朝っぱらから思わねばならない気分は

早々から

生ゴミ袋に入れてしまいたい

 

一生

サバイバルで生き延びてきた人生だったから

冷房も暖房も使いようなのはわかっているよ

でも

ウイルス恐慌が成功したと見た連中が

この次にお見舞いしてくるのは

電気停止と通信停止だからね

冷房も暖房もなしでどう生き延びるか

マジで考えておかないと

どうにもならなくなるよ

もうすぐ来るからね

ほんとだからね






『続・夕陽のガンマン』

 

日本のGDPを徹底的に引き下げ

税金を上げ社会福祉を大きく後退させ

経済を破壊しおおせた首相の辞任表明がメディアを駆け巡った頃

テレビ東京では

セルジオ・レオーネの名作『続・夕陽のガンマン』を放映していた

クリント・イーストウッドが「いい人」

リー・バン・クリーフが「悪いやつ」

イーライ・ウォラックが「汚いやつ」を演じ

人間喜劇を楽しくみごとに展開した

マカロニウエスタン

 

わかる人ならニタリとするだろう

テレビ東京はあいかわらず凄いと唸るだろう

 

テレビ局も辞任を察知して急遽差し替えたわけではなかろうから

日本破壊首相辞任と『続・夕陽のガンマン』放映との合致は

おそらく究極の偶然がなせる技だったろう

偶然、シンクロニシティ、運命、神の配慮……

言葉はより取り見取りで

お好みにあわせてどれを選んでもよい

言葉などその程度のもの

 

それにしても

日本破壊首相辞任表明の瞬間に

日本の電波に『続・夕陽のガンマン』が乗っていたとは





2020年8月26日水曜日

ようやく砂漠が……

 

1990年、同人誌「NOUVEAU FRISSON」創刊。

必要があって見直してみると、創刊の序文として書いたじぶんの文章が面白かった。

30年経ったのに、いま書いたかのように違和感のないじぶんがいる。

これほどの成長のなさ、変わりのなさが、爽やかなほどだ。

わたしはなにをしてきたのか?

なんにも。

まったく、なんにも。

そして、成長も、まったくしなかった。

 

この創刊号を手渡したのは、せいぜい20人ほどだったか……

 序文を読んでくれたのは、同人の川島克之や須藤恭博、その他、参加した宮下誠、田村利香ぐらいだっただろう。

 飯島耕一の詩を引用し、文の動力としている。このごろ読んでいない飯島耕一なので、楽しい。

       「きみが夢となり

現実となるほかはない
見えるものと見えないものに力づけられ
夜のなかで多く笑い
きみが風景となるよりない」

飯島耕一のみごとな詩句に、ひさしぶりに逢う。

 上田秋成に言及している30年前のじぶんにも、驚く。

 そう、上田秋成は『雨月物語』完成後、40年間創作活動を休止し、古典や古代史研究に没頭する。そして、文化4年、研究草稿を井戸に投棄し、窮死覚悟で『春雨物語』の完成に賭けた。

 

 その後ながく続くことになった雑誌の序文を、はじめて、もう少し開けた場所に持ち出す。

 もし読む人がいれば、30年を経ての、5人目か6人目の読者。



 

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ようやく砂漠が……

             ヌーヴォー・フリッソン創刊号のために

 

 

吉岡実の死を伝える記事に、ぼくは、「ああ、またと思いながら目を通したように記憶している。

ああ、また…

しかし、「ああ、また……」なんなのかといえば、別になんでもないのだ。自分自身で漏らすこの宙ぶらりんの嗟嘆が、いったい何をかがよわせようとするのか、ぼくは知らない。たぶん、最良の友になりうる人でありながらついに出会えなかった人に、心の中で、なにか絶対的なふうのある挨拶を送ろうとして、言葉選びにまどいながら「ああ、また」と言ってしまうのだ。ああ、またひとつ、友情可能性が失われた、とでもいうように。ああ、またさらに、ぼくのいる孤独沼の水位は上がったのだ、とでもいうように。
 日を置かず、飯島耕一が哀悼文を朝日新聞の夕刊に寄せたが、この文章がすばらしいものだった。人間であるほかない詩人が、人間であるほかない詩人に対して (人間であるということは、いうまでもなく詩人にとっては癒しがたい悔いであるが……)人生という無意味さのなかで、ゆいいつ爽やかな、喜ばしいものとして抱きうるひそやかな理解。そう呼んでよい、そう呼ぶほかない、そう呼ぶのでなければ、もはや、ひとの心の証など他には見出しようもない、といった文章だった。言葉使いは静かだし、長くもない、この十三×十七・五センチの哀悼文。ぼくは導かれた。これまで適当に読み流してきた飯島耕一という言葉の場へ。ぼくを導いてくれる言葉の少ないことを、最近悲しんでもいたのだった。

生きることは
ゴヤのファースト・ネームを
知りたいと思うことだ。
ゴヤのロス・カプリチョスや
「聾の家」を
見たいと思うことだ。
見ることを拒否する病から
一歩一歩癒えて行く、
この感覚だ。

 

「ゴヤのファースト・ネームは」という詩はこのようにぼくに向かって確認を仕掛けてきた。ぼくは仕掛けられて、驚くのだ。なぜなら、これはなるほど真実だから。なぜなら、今のぼくは、生きることをこのように定義しながらでなければ、ふたたび、生きることに耐え難くなっているから。これは真実だ。ぼくだけの、命懸けの。
 ぼくは追い詰められている。幾千万のぼくが。まだ可能性はあるかあと一年、ぼくはぼくに対して生きられるかどうすれば、すでに購入してある拳銃をこめかみに当てないで済むか?

きみがノアとなるより
ほかない
きみが夢となり
現実となるほかはない
見えるものと見えないものに力づけられ
夜のなかで多く笑い
きみが風景となるよりない
きみは誰なのか
日に一度そのことを考えよ
きみに何が見えるか
日に一度考えよ
そしてきみの内部で
海が今日どれほど膨らんだか
を計測せよ。
        (「見えるもの」)

 

これほど正確な神託を受けたことはない。これほど、ぼくが、ぼく自身の意味に近づいたことはない。広いところを感じ始める。社会などない。太陽がある。空がある。海がある。荒野がある。砂漠がある。砂漠……
 まだ、生きられるかもしれない。太陽が、空が、海が、荒野が、砂漠があれば。あるのだから。あるはずだから。ぼくが、ぼくの内で、あたうかぎり「社会」の領野を縮小するすべを身につければ。


きみの部屋に
ようやく砂漠がひろがり出している
きみは急いで帰るがいい
きみの夢の箱は
すでに砂漠だ。
そこに立ち戻ってくる
旅人の姿を見張るのがきみのつとめだ
地下道の群衆は
しみのように
消えて行った。
きみは眠りのなかに
毎夜
もう一つの思考を求めて
入りこんで行く……
ヴァレリイは石炭の山
磁石の山
コルシカの夢を
見たことがある。
     (「思考の過ちを求めて」)

 

出発だ、ふたたび。アルコール片手に、ペンをとり直すマルカム・ロウリー。シェイクスビア&カンパニー書店を出て、本のかたちを取るべき次の魔術へと歩みだすパリのジョイス。万葉集研究をすべて井戸に投げ捨てて、『春雨物語』へと羽化しゆく上田秋成。部屋にコルクを張りめぐらすことを決めたプルースト。
 出発だ、ふたたび。出発。出発。出発。出発。

 



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【初出】同人誌「NOUVEAU FRISSONヌーヴォー・フリッソン」 numéro 1 [199019]編集発行人駿河昌樹 編集委員駿河昌樹/川島克之/須藤恭博)





2020年8月25日火曜日

ぜんぜん興味ない人なんスけど…

 

安倍晋三の話をLINEでちょっと出したら

20代の子から

「ぜんぜん興味ない人なんスけど…」

と返されたので

「そうだよね、盛り下がるだけのネタだよね」

などと

こちらも返しておく

そうでも言っておかないと

この子と繋がれる

チャンネルが

すっかりなくなってしまうから

 

もちろん

安倍晋三よりも

よほどこの子のほうが

こちらには

「ぜんぜん興味ない人なんスけど…」

なにかのコマに使えるかもと

ながながと

連絡を保っているので

ま、

政治

といえば

政治





2020年8月24日月曜日

セザンヌとゾラ

  

学校友だちだった

セザンヌとゾラの話は有名だが

 

それに取材した映画「セザンヌと過ごした時間」を

暇つぶしに見ていたら

ドレフュス事件でさらに有名になったゾラが

「セザンヌは天才だったが

「才能をついに開花できないで終わった

といったようなことを言っていた

 

ピサロにつよく後押しされて

画商ヴォラールは4年前にすでにセザンヌ個展を開き

セザンヌもアンデパンダン展にひさしぶりに出品するなどしていた頃で

若い画家や批評家たちは何年も前から

セザンヌを大きく評価するようになっていた

 

あれほど社会の全容を描こうとしたゾラが

ついに美術界の動向をとらえ切れない状態に陥っていたのが

このセザンヌ評で明確になった

 

セザンヌはその後の美術界で

父とも祖とも賞讃され

いくらでも見直しも再発見もできる永遠の巨匠となったが

ゾラはどうか?

 

なるほど

19世紀末の作家として有名だが

彼の死の頃にはすでにヴァレリーもジイドも

プルーストもジョイスもシュルレアリストたちもパリにいて

自然主義の大看板ゾラになど

もう文芸好きたちは目も向けない流れに入っていた

 

ゾラの本は今でもあるが

人はもうあまり読もうとはしない

セザンヌの絵画は今いっそうの巨大さで存在の度合いを強め

人はいよいよ凝視しようと列を為す

 

成功と流行と

いっそう真なる力と

死後の扱いとの間に発生し続ける

おお、なんという喜劇!

 

ちなみに

ゾラの主要作品は

わたし

すべて原語で買いそろえてある

ジャーナリストや売文業を経てきたゾラの文章は

非常に明晰でわかりやすく

主語・動詞・目的語などの長さ加減や配置のぐあいが

外国人にとっては慰安となる

ことにプル―ストやマラルメや

ブルトンやマンディアルグやルーセルや

ルソーやジイドの一部や

シャトーブリアンらの文章理解に

少し疲れた時などには





2020年8月23日日曜日

ちょっとしたコツを



 

むかし撮ってみた

画像のよくないビデオを

ひさしぶりに

あれこれと見直してみたが

それらが過去でなどないことに

やはり

驚かされた

 

小さなデジタルカメラに備わっていた

とりあえずのビデオ機能で撮ってみただけなので

他人が見ればつまらない

下手な映像ばかりだが

二度の引っ越しを軸として

もう二度と戻りようもないその時点での住まいの

家具やテーブルクロスや天気や

植物の花のようすや

ゴミ袋のいびつな膨らみようや

そのわきに置かれたビンや缶などの燃えないゴミなどまで

不意打ちのように蘇らせ

巷にあふれるどんな映像や写真や本よりも

いまのわたしを沈黙させ

引き込んでしまう

 

壊れて粗大ゴミに出すことになった

二台の冷蔵庫が健在だった姿や

住んでいる時にはあたりまえだった

部屋部屋の空気感やひろがりぐあいや

もう捨ててしまった枕カバーやソファーカバーや

台所の砂糖や塩や調味料類の置きかたが

これぞわが人生の真の研究テーマであるかのように

ありのまま

そこに見えている

 

引っ越しを準備するなかで

内覧に行ったいくつもの物件もずいぶん撮っていて

室内の動線をカメラで辿ってみた映像や

ヴェランダや窓からの外の眺めや

台所や洗面所の雰囲気や

使い勝手を予測してひろげてみるじぶんの腕や

10数階の物件の窓から見はらしてみる遠くの風景なども

ついに住まなかった場所の風景として

それはそれで心惹かれる映像になっている

当時はもし此処に住むことになったらと撮影し

いまはついに住まなかった場所のひとつとして映像を見直して

なんでもない下手くそな下見のビデオ撮影というのに

くりかえし見ても見飽きない豊かさがある

 

現在の場所に移る前に七年も住んだ旧居の下見映像もあって

住むかどうか最後の決定をしに再訪した時点の映像だが

部屋や廊下や洗面所や台所や畳の部屋や

あちこちのコンセント口の配置の様子や

外から入るひかりが壁や床に映って白くなっているのや

ヴェランダからのみどり溢れる外景までがじっくり撮れていて

まだ未知の場所だったそこにその後けっきょく七年も住むことにな

その七年はわたしのなかにまるごと染み込んで

いまのわたしの意識そのものを作りあげているというのに

まだこれから始まろうとするまったく新しい未知の生活の場であるかのように

外からの明るいひかりを引き入れて室内は静まっていた

過ぎ去ったものはなにもなく

一切はこれからであり

外のみどりと部屋にふんだんに差し込む明るさがわたしを待ってい

わたしを永遠に待っていて

ゆっくり流れていくビデオの時間も

そこに眺められる空間のありようも

しあわせそのものだった

 

過去というものはない

ほんとうに

ない

過ぎ去るということはない

消え失せるということもない……

 

この頃根本から思い直しつつあった

時間について

空間についての

触れかた

より正しい掴みなおしかたの

コツを

ちょっとしたコツを

わたしは

また

すこし

感じとれた気がした





そう来ないようでは


 

宗教家がよく言うことに

いま此処にあれ

過去を生きようとするな

などがある

 

間違っている

 

いま此処にある他ないことは

だれもが知っているし

過去を生きられないことも

だれもが知っているから

けっきょくだれもが

再生したい過去があったとしても

そんな過去を生きようとは

しなくなっていく

 

言われなくても

だれもがわかっているのだ

ほんとうは

 

宗教家であろうとするな

だれもがわかっていることを

じぶんこそがわかっているなどと思い込むな

じぶんだけが処し方をわかっているなどとのぼせ上がるな

宗教家にはそう言ってやるのがよい

 

そう言われて

ありがたき教えと受け止め

どうぞふつうのただの人たるべく弟子にしてください

と頼み込んできたら

そいつはほんとの宗教家だと認めてやってもよい

 

そう来ないようでは

宗教家を騙るたんなるペテン師に過ぎない



なんだか とってもにぎやかな

(個人詩誌「ぽ」第66号[2003年9月]初出のものに修正を施した)  




去っていく気になったの、夏?

 

さびしい陽射しに

おおかた

人生も

終わってしまったよう

 

味の落ちた

残った

グレープフルーツジュースを

飲んでいる

 

きょうは

風が

涼しい

 

だれからも

たよりは届かず

取り残されていく 

やさしく

あいかわらず 

ひとりで

 

行かなかった 

たくさんの場所

行くなら夏に

という

あそこや 

ここや

 

どれも遠くて

行きのがしたまま

見のがしたまま

あゝ 遠すぎる映画のよう

いまでは

 

蝉はまだ

そこここで啼いていて

お祭りのあとの

残りの花火のように

陽も

ときどきは強く射すけれども

そのなかには

もう

いない 

 

生きている

っていうのは

ぽっかり

空いたこころのまま

こんなふうに

取り残されること?

いつも?

 

思いは

くり返され

蝉たちの声のほうへ

逝く

 

行ったことのない

あの森のあたり

なんだか 

とってもにぎやかな

蝉たちの歌声が

ある