2022年9月15日木曜日

ぐなんぐなんつかれた


 


大関松三郎の名を

とんと

聞かない

 

詩を好む人たちから

まったく

聞かない

 

小学校のとき

名詩だと

名詩人だと

国語の時間に読まされて

詩って

こんなもの

なのかなあ?

納得しようと

した

けれど

 

長い歳月

地上体験を経て

大関松三郎

読み直してみると

悪くない

 

農民であることを

鼻にかけすぎているけれど

農民なんだから

それはそれ

 

おれは 人間といわれ

おれは 百姓といわれ

おれは くわをもって 土をたがやさねばならん

おれは おまえたちのうちをこわさねばならん

おれは 大将でもないし 敵でもないが

おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする

おれは こまった

おれは くわをたてて考える

 

だが虫けらよ

 

やっぱりおれは土をたがやさねばならんでや

おまえらを けちらかしていかんばならんでや

なあ

虫けらや 虫けらや

 

とはいえ

ここに見られる

虫とおれとの関係の合理化は

容易に

大日本帝国人とそれ以外のアジア人との関係に

適用されただろう

と思う

 

やっぱり日本人はアジアをたがやさねばならんでや

おまえらを けちらかしていかんばならんでや

なあ

アジア人や アジア人や

 

などというふうに

容易に

利用できる

 

言語記述というのは

あらゆる面を保存できるからこその

貴重な記録でもあり

見る目を持つ者が見れば

多層的な人間解剖ができる

そういう意味で

大関松三郎

すごいじゃない?

なる

 

小学生の頃は

知らなかったが

大関松三郎は

海軍通信学校で通信技術を学んで

海軍通信隊に入り

マニラに赴任する際

乗っていた輸送船が魚雷攻撃を受けて

南シナ海で没した

18歳だった

 

若くして死んだ

というのは

小学生の頃に聞かされていたが

きっと

結核かなんかだろう

思い込んでいた

 

いつになっても

いくつになっても

小さな情報の誤りを正すのは

大切

 

夕日

なんていう詩は

小学生の頃

読まなかったような気がするが

どうして

どうして

言葉の音の

いい手ざわりを

ずっこ

ずっこ

伝えてくれるじゃないか

 

 

夕日にむかってかえってくる
川からのてりかえしで
空のはてからはてまで もえている
みちばたのくさも ちりちりもえ
ぼくたちのきものにも 夕日がとびうつりそうだ
いっちんち いねはこびで
こしまで ぐなんぐなんつかれた
それでも 夕日にむかって歩いていると
からだの中まで夕日がしみこんできて
なんとなく こそばっこい
どこまでも歩いていきたいようだ
遠い夕日の中に うちがあるようだ
たのしいたのしいうちへ かえっていくようだ
あの夕日の中へかえっていくようだ
いっちんち よくはたらいたなあ

 

ぐなんぐなんつかれた

なんて

ほんとに

感心してしまうんだ

 

ぐなんぐなんつかれた

 

なんて





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