2022年9月7日水曜日

音立て

 

 

けたたたましい

などと言えば

もちろん

ふさわしくはないだろう

 

けれども

ひとまずは

そう言ってみておきたいような

豪勢な音を立てて

秋のはじめ

うちでは

鈴虫が鳴き続けている

 

羽をすりあわせ

渾身の力を使って

体を痙攣させ

揺らし続けながら

オスたちが音を出し続けるのを見ていると

「鳴く」という表現のしかたも

まったくふさわしくない

 

日本語は

こんな小さなところでも

なんと

現実や実態から乖離したままでいることか

とさびしくなる

あわれになる

言語表現は

まことにあわれな領域である

 

表現ということに

やみくもな価値づけをする人びとは

鈴虫のこんな“音立て”を

平然と「鳴く」と呼んで恥じない

わたくしは

恥じるべきだといつも思う

そんな恥ずべき表現の無限の寄せ木細工が

言語表現だの

文化だの言われているが

ただ黙って

言いようもないままに

鈴虫たちの”音立て”も

聞いているべき

わきで見続けているべき







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