言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
佐伯孝夫 『いつでも夢を』(1962)
どの媒体のニュースであっても
ふたつの選挙に関する記事や映像が踊るようになっており
目の前にちらつかされて
見せつけられるようになっている
ところが
どちらの選挙も
投票権を持っていない
という点でわたしには関係がないし
どちらの選挙も
結果は近未来のわたしの生活に大いに影響がある
という点でわたしには関係がある
アメリカ大統領選挙
と
自由民主党総裁選挙
わたしひとりどころか
ほとんどの日本人には投票権がなく
(自民党員などもちろん日本人とは呼べまい)
つまり関係しようがなく
したがって関係なく
しかしながら
生活条件にも生活環境にも収入にも影響が生じるであろう点で
関係がなくて関係がある
なんとも奇異な
一方的な神託のような
宿命劇といえる
ギリシア悲劇お得意のシチュエーション設定だが
そろそろ歴史的にニッポン悲劇創作の時代かもしれない
出でよ!悲劇詩人たちよ!
第二次大戦後の文学者たちや哲学者たちなら
当時の流行語で
「不条理!」
と叫んだことだろう
「不条理!」
などと叫んだところで
結局なにも解決しなかったのは
あの頃から何十年も流れた現代のさまを見れば明白だから
もちろん
「不条理!」
などと口走ったりしないのが正しいには違いない
だいたい
「不条理」という言葉については
元清派派歌手を脱がせ
ロマンポルノ史上最高の動員を記録した水原ゆう紀主演の
1979年の日活ロマンポルノ『天使のはらわた 赤い教室』の中で
曽根中生監督が
蟹江敬三に
「ふ、ふ、不条理なァ~!」
と叫ばせた時点で
表層的でしかなかった実存主義ブームなるものに
見事な批判的終幕を引いてしまっている
水原ゆう紀の演技や肉体よりも
蟹江敬三の
「ふ、ふ、不条理なァ~!」
の印象が
あまりに滑稽で鮮烈で強くて
併映された
西村昭五郎監督の『宇能鴻一郎の濡れて開く』のほうは
ほとんど記憶に残らなかったほどだ
なにも
『天使のはらわた 赤い教室』のお手柄だけというわけでもないだろうが
いまでは「不条理」などという言葉は
清廉とか
潔白とか
清貧とか
仁義とか
もろもろの懐かしい言葉のように忘れさられているので
「不条理!」
などと叫んでみたところで
「サンドウィッチマン」の富澤たけしのネタのように
「ちょっと何言ってるか分かんない」
と返されてしまうだろうし
それに対する伊達みきおのように
「なんで何言ってるか分かんねぇんだよ!」
と言い立てたところで
いよいよ
ポカ~ンとされてしまうだろうから
最初から
「不条理!」
と叫んですぐに
松鶴家千とせのネタを借りて
「わかるかなぁ?
わかんねぇだろうナ」
と付けておいたほうが
むしろ潔い
というものだろう
松鶴家千とせも
2022年に亡くなってしまったから
彼の代表ネタを
供養に
ここで見直しておこう
オレがむかし夕焼けだったころ
弟は小やけだった
父さんが胸やけで 母さんが霜やけだった
わかんねぇだろうナ
信じられないだろうが
人間やる前 夕焼けやってた
ワカルカナ?
オレがむかし夕焼けだったころ
オレを見た子供が
「お父ちゃん!お空みて
お空が真赤に
燃えてるよ」
そしたらオヤジが
「大丈夫だよ
いくら燃えたって
火災保険に
入ってンだから」
わかんねぇだろうナ
なんの関係も持ちようがないのに
関係がリボ払いでおっかぶさってくる
アメリカ大統領選挙のニュースに触れるたび
イラク侵略などの数えきれない悪行を行ない続け
日米合同委員会で日本をなおも属国化しているアメリカで
だれが大統領になろうが
だいたひかるのように
「どーでもいーいですよー」
と呟いてしまうし
さらには
小島よしおのネタのように
「そんなの関係ねぇ。オッパッピー」
と言い捨てたくもなってしまう
とはいえ
焼跡戦後派ならぬ
三井不動産的開発ばかりされまくりの令和植民地属国派ながらも
すこしは
夢を
いつでも
夢を
と思いながら
夕焼けを見つめて
替え歌なんか
してしまっている
むなしく
むなしく
トランプがむかし夕焼けだったころ
カマラは小やけだった
ケネディーが胸やけで オバマが霜やけだった
わかんねぇだろうナ
信じられないだろうが
人間やる前 みんなヤケだった
ワカルカナ?
アメリカがむかし夕焼けだったころ
アメリカを見た子供が
「お父ちゃん!お空みて
お空が真赤に
燃えてるよ」
そしたらオヤジが
「大丈夫だよ
いくら燃えたって
どんどん戦争をでっち上げ続けて
あぶく銭儲け続けンだから」
わかんねぇだろうナ