2024年8月27日火曜日

愛と口にしない人として

 

 

 

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ

   宮澤賢治 『雨ニモマケズ』

 

 

 

 

なにかというと

という人たちがいる

 

そういう人たちの界隈がある

 

が大事なのだという

 

こそがすべて

とまで

いう

 

そうかと思うと

とは

なにか?

いつも考えている

 

そうして

むずかしい議論を

開陳してくれさえする

立派な哲学大系のよう話を

諄々と

してくれる

 

そういう話では

「とはいうものの…」

とか

「しかしながら…」

とか

「注意しておかなければならないのは…」

とか

「事はそう単純ではない…」

とか

ひっくり返しや

つけ加えを継ぎ足すことばとともに

無限に尾ひれがつく

 

これでは

アリストテレスとか

トマス・アクイナスとか

カントとか

ヘーゲルとか

ハイデガーとか

マルクスなんかを

すらすら読んで

勘どころをさっさと

口頭でまとめられるような人でないと

永遠に

とはなんであるか

わからないだろうな

と思わされる

 

わたしは

人類のなかで

もっとも

と口にしない人

 

とはなにか

ぜんぜん

わからないし

だいたい

ということばは

必要ない

と思っている

 

大事にする

やさしくする

かわいがる

ていねいにする

気にし続ける

困っているようなら手を差し伸べる

傷ついているなら助けてやろうとする

などの

生活のなかで実感のつかみやすい言い方で

たいていの

は翻訳できると思う

 

これらに翻訳できず

実感がつかみづらい場合

は危険だとも思う

 

なにかというと

というのに

じぶんの視野に入るところで

じぶんの耳に聞こえてくることとして

どこかの誰かが

小突きまわされて困っていたり

病苦に苛まれていたり

傷つけられたり

殺されそうになっていたりするのを

平気で

あるいは

しかたないといって

どうにもならないといって

放っておく人たちの

とはなにか?

よく思う

 

人類のなかで

もっとも

と口にしない人

わたし

なら

この世のどんなことも

平気で

あるいは

しかたないといって

どうにもならないといって

放っておける

 

が大事なのだ

とも

いわないし

こそがすべて

とも

いわないし

とは

なにか?

とも考えずに

実感しやすいやりかたで

大事にする

やさしくする

かわいがる

ていねいにする

気にし続ける

困っているようなら手を差し伸べる

傷ついているなら助けてやろうとする

などのことを

したりは

する

 

と口にしない人

として

あたりまえに

 





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