ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
宮澤賢治 『雨ニモマケズ』
なにかというと
愛
という人たちがいる
そういう人たちの界隈がある
愛
が大事なのだという
愛
こそがすべて
とまで
いう
そうかと思うと
愛
とは
なにか?
と
いつも考えている
そうして
むずかしい議論を
開陳してくれさえする
立派な哲学大系のよう話を
諄々と
してくれる
そういう話では
「とはいうものの…」
とか
「しかしながら…」
とか
「注意しておかなければならないのは…」
とか
「事はそう単純ではない…」
とか
ひっくり返しや
つけ加えを継ぎ足すことばとともに
無限に尾ひれがつく
これでは
アリストテレスとか
トマス・アクイナスとか
カントとか
ヘーゲルとか
ハイデガーとか
マルクスなんかを
すらすら読んで
勘どころをさっさと
口頭でまとめられるような人でないと
永遠に
愛
とはなんであるか
わからないだろうな
と思わされる
わたしは
人類のなかで
もっとも
愛
と口にしない人
愛
とはなにか
ぜんぜん
わからないし
だいたい
愛
ということばは
必要ない
と思っている
大事にする
やさしくする
かわいがる
ていねいにする
気にし続ける
困っているようなら手を差し伸べる
傷ついているなら助けてやろうとする
などの
生活のなかで実感のつかみやすい言い方で
たいていの
愛
は翻訳できると思う
これらに翻訳できず
実感がつかみづらい場合
愛
は危険だとも思う
なにかというと
愛
愛
というのに
じぶんの視野に入るところで
じぶんの耳に聞こえてくることとして
どこかの誰かが
小突きまわされて困っていたり
病苦に苛まれていたり
傷つけられたり
殺されそうになっていたりするのを
平気で
あるいは
しかたないといって
どうにもならないといって
放っておく人たちの
愛
とはなにか?
と
よく思う
人類のなかで
もっとも
愛
と口にしない人
わたし
なら
この世のどんなことも
平気で
あるいは
しかたないといって
どうにもならないといって
放っておける
愛
が大事なのだ
とも
いわないし
愛
こそがすべて
とも
いわないし
愛
とは
なにか?
とも考えずに
実感しやすいやりかたで
大事にする
やさしくする
かわいがる
ていねいにする
気にし続ける
困っているようなら手を差し伸べる
傷ついているなら助けてやろうとする
などのことを
したりは
する
愛
と口にしない人
として
あたりまえに
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