2024年8月23日金曜日

ショスタコーヴィチ交響曲第5番《革命》

 

  

 

ただひとり賢者であろうとするのは

大いなる狂愚である。

ラ・ロシュフーコー

 

社会的ユートピアの根底をなすものは

圧制、反自然、魂の死……

ギュスターヴ・フローベール

(書簡。1864年、ジュネッット夫人宛)

 

 

 

 

 

初秋の明けがた

といっても

暑さや湿りぐあいから言えば

晩夏

と言いたい明けがた

 

ショスタコーヴィチの交響曲第5番《革命》を

ひさしぶりの点滴のように

高濃度ビタミンCの注入のように

地上で理解しあえる稀な友のひとりの言葉のように

あれこれの演奏で

聴き直している

 

これだけで

今日は

美しい一日

 

今日の価値は

これだけで

達成されてしまう

 

今日の残りは

日中から夕暮れまで

余生のように

やり過ごせばいい

 

 

 

★★

 

交響曲第五番《革命》について

ショスタコーヴィチの死後に出版された

『ショスタコーヴィチの証言』には

こうある

 

「交響曲第5番で何が起こるのか。

誰にとっても明らかだろう。

 『ボリス・ゴドゥノフ』 と同じことだ。

脅され、 強いられた喜びなのだ。

鞭打たれながら

『さあ、 喜べ、喜べ、それがおまえたちの仕事だ!』

と命令されるようなものだ。

鞭を打たれるとふらふらと立ちあがり

行進しながらうめくのだ。

 『さあ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事なんだ!」

……交響曲第5番の初演を聴きに来た人々は

感きわまって涙していたものだ」。

人間と呼ばれる

取り柄といえば二足歩行をするというだけの

ただの獣の

大量発生で覆い尽くされた地上に

いまやスターリン体制の邪霊は電子どころか量子的な成長を遂げ切って

さまざまに名前を変え

色合いを変え

表向きの趣向を変えて

あらゆるファッションをみずからの仮面とし

あらゆる美辞麗句や夢や希望を工作員とし

真善美も道徳仁義忠誠も愛も籠絡のための罠とし

ダニのさまよう隙間さえ埋めつくして

あたかも

天網恢恢疎にして漏らさず

という言葉は

量子的全体主義のためにこそあったか

と思わされるほどの完璧さに達しようとしている

 

方向づけされたお子ちゃま学芸会の“喜び”を強いられ

「さあ、 喜べ、喜べ」と促され命じられ

さもないと時代の椅子取りゲームや社会の椅子取りゲームから

真っ先に弾き飛ばすぞと脅されて

「さあ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事なんだ!」

と平気で思い続けられる獣たちの

なんと

まあ

多いことか!

 

夜空ノムコウで

まだいつかは善き変化もありうるかもしれない……と

わずかに夢見ることもできていたはずの

ショスタコーヴィチの時代と

現代とが

異なっているのは

人間と呼ばれる獣たちの地上には

意匠は変われどスターリン体制的全体主義への歩みしか存在しないのだ

とわかり尽くしたことだろう

人獣たちはつねに

「自由!」と叫び歌いながら破壊とさらに大枠の管理へと向かう

「愛!」と説きながら新たな支配の網を透明な糸で張りめぐらせ始める

「平和を!」はつねに大量破壊兵器の刷新と軍需産業の儲けを呼び

「豊かさを!」はつまりはカウチポテト族の陸続たる量産に終わる

 

 

 

★★★

 

オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が大成功し

19341月の初演以来

およそ2年間に

レニングラードで83

モスクワで97回も上演されるほどで

ニューヨークやストックホルムやロンドンをはじめ

ソ連国外の各都市でも上演されていたのに
1936
128

ソ連共産党機関紙 「プラウダ」 の第3面には

「音楽のかわりの荒唐無稽」と

このオペラを批判する無署名論文が掲載された

社説ではないもののほぼ社説のように掲載されるこの種の文は

スターリンの意見であるのが普通だった

このオペラには「交響的な音」 と呼べるものは皆無だとか
粗雑で絶叫めいていて非現実的で形式主義的でプチブル的だと

スターリンの語法が多用された批判文だった

 

『ムツェンスク郡のマクベス夫人』はただちに上演中止となったが

そればかりでなく

続いて「プラウダ」に掲載された

1935年のバレエ『明るい小川』を批判する論文「バレエの偽善」によって

ソビエトで確立されつつあるとされた

社会主義リアリズムの教義に反する音楽家のイメージを

ショスタコーヴィチは被されつつあった

「社会主義的現実を正しく反映した簡潔・明朗・真実な音楽の創造」こそが

ソビエトの音楽家の使命とされていたのだ

きっとビヨンセの『Freedom』を聴かせてやったら

スターリンは躍り上がって喜んだだろう

 

I'ma walk, I'ma march on the regular
Painting white flags blue
Lord forgive me, I've been running
Running blind in truth
I'ma rain, I'ma rain on this bitter love
Tell the sweet I'm new

(私は歩く 並んで行進する

白旗を青く塗って

神よ 許したまえ 私は走ってきた

真実の中をめくらめっぽうに

私は雨 この苦い愛の雨

恋人に言って 私は生まれ変わると)

 

(……)

 

I'ma riot, I'ma riot through your borders
Call me bulletproof
Lord forgive me, I've been runnin'
Runnin' blind in truth
I'ma wade, I'ma wave through your shallow love
Tell the deep I'm new

 

(私は暴動を起こす あなたの国境を越えて

私を防弾壁と呼んで

神よ 許したまえ 私は走ってきた

真実の中をめくらめっぽうに

私は波 あなたのはかない愛の波

海底に言って 私は生まれ変わると)

 

 

おおっと!

Lord」は戴けないなあ

とスターリン

「神」とは

また

なんと反革命的な!

まるで

ロマノフそのものじゃないか!

そこのところだけは

削除を命じる

スターリン

 

もちろん

ビヨンセは名誉回復のために

すぐにほかの自分の歌を見せて

スターリンのご機嫌を取るだろう

Irreplaceable』など最適

なにしろ

こんな歌詞で始まるのだから

 

To the left, to the left
To the left, to the left
To the left, to the left

 

(出口は左よ、左

出口は左よ、左

出口は左よ、左)

 

まさに

野に下って身を隠したアメリカ共産党過激派の

面目躍如たる歌ではないか!

 

 

 

★★★★

 

スターリンの批判を受ければ

すぐに「人民の敵」 とみなされ

行く先は収容所列島か

処刑場と決まっていたので

交響曲第4 op.43制作中のショスタコーヴィチは

なんとか難局を切り抜けねばならなかった

交響曲第4番は完成し

シュティードリー指揮のレニングラード・フィルが
リハーサルまでしていたというのに初演は中止された

どう見たところで

「社会主義的現実を正しく反映した簡潔・明朗・真実な音楽」

ではなかったので

ショスタコーヴィチ自身が作品の出来に不満だった

と表向きは理由をでっち上げて

しばらく沈黙を装って危機の時をやり過ごした

なんと交響曲第4番が発表されるのは25年後

スターリン死後の1961年である

 

翌年の19374月に

ショスタコーヴィチは交響曲第5番に着手する

この曲にしたところで

「社会主義的現実を正しく反映した簡潔・明朗・真実な音楽」

でなどあり得ないのだが

それでもスターリンの耳にはそのようにも聴こえるように配慮し

他方わかる人には音楽的暗号の聴き取り解読を通じて意図が伝わるような

高度の音楽的諧謔とイロニーを込めた

地上の権力者に対峙する際の表現者の政治学実践の成果と成した

『ショスタコーヴィチの証言』にある

「音楽には常に2つの層がなければならない」という言葉の

まさに見事な実践といえる

 

ショスタコーヴィチ自身が

「ソビエトの芸術家による公正なる批評への創造的回答」という

いかにも

革命同志としてふさわしい言辞を弄して

呼ぶことになった交響曲第5番は

3ヶ月後に完成され

ソビエト革命20周年記念日に

ムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルによって初演され

大成功を収めた

スターリンに睨まれたショスタコーヴィチの

名誉回復が果たされた瞬間であった

 

1938112日号の 「文学新聞」 紙上で

ショスタコーヴィチはこのような見解を語っている

 

「今度の作品は、 抒情的・英雄的交響曲といえる。

その基本的思想は、人間の波瀾の生涯と楽観である。

この交響曲では

大きな内的、精神的苦悩に満ちた数々の悲劇的な試練を経て

世界観としての楽観を示したかった。

ソ連作曲家同盟レニングラード支部で討論したおりに

この交響曲第5番は自伝的作品とも呼ばれた。

ある程度までそれは当たっている。

芸術作品は必ず自伝的な側面を持つと私は考えている。

どんな作品にも

生きた人間としての作者自身が感じられるのは当然である。

作った人間の浮かんでこないような作品ほど

退屈でつまらないものはない」

フランスの音楽雑誌 「ルヴュ・ミュズィカル」に

1936年に寄せた文章で

「自身の音楽でソヴィエト社会主義建設に寄与したい」

と公式発言をしていたショスタコーヴィチらしく

ここでもそつのない公式発言ぶりをしている

この発言によって

スターリン政権下では

交響曲第5番の作曲によってショスタコーヴィチは

社会主義の理念と自己の創作を折りあわせ

楽観主義という明るい解決を見出したのであり

その過程が第5番の中に音楽的に描き出された

などと解釈されることになった

 

もちろん

これらの「解釈」のすべては

『ショスタコーヴィチの証言』によって

ひっくり返されることになる

 

 

★★★★★

 

とはいえ

ショスタコーヴィチの巧妙さは

スターリンが大喜びするような発言にも

言語表現の多義性をフルに生かしてしっかり真実を込めていて

自身への嘘はまったくついていないところにある

彼があえて削除したと思われる形容を

再現して付加してみよう

ちょいと

長くなるよ

 

「今度の作品は、 抒情的・英雄的交響曲といえる。

その基本的思想は、

スターリン全体主義の下に生きることを強いられた人間の

波瀾の生涯と

人類がさまざまな方策を試みながら

あらゆるかたちの全体主義や支配体制を

いずれは打ち破るであろうとの楽観である。

この交響曲では

過酷な社会体制と非情な世界情勢の下に生きる者たちが

大きな内的、精神的苦悩に満ちた数々の悲劇的な試練を経つつも

それでもなお

世界観としての朽ちることのない楽観を

持ち続けることを示したかった。

ソ連作曲家同盟レニングラード支部で討論したおりに

この交響曲第5番は自伝的作品とも呼ばれた。

音楽はどれもつねに純音楽的なものと見るべきであるとはいえ

見方はさまざまであってもかまわないのだから

ある程度までそれは当たっている。

芸術作品は必ず自伝的な側面を持つと私は考えている。

どんな作品にも

生きた人間としての作者自身が感じられるのは当然である。

作った人間の浮かんでこないような作品ほど

退屈でつまらないものはない。

スターリンの愚かで醜く暴虐極まりない全体主義に対し

現代の時点で駆使しうるクラシック音楽の全手法と技巧と

全音楽史遺産を使って

私よりも音楽経験が少なく

私よりも音楽作曲能力が低く

私よりも音楽読解能力が低く

私よりも音楽史上の無数の作品を聴き込んでいないような

20世紀に存在すべきでないような

愚昧の徒たちには絶対に理解できないような

最高度の音楽的手練手管を使って

クラシック音楽の精神を十全に維持し進展させるとともに

周到なカモフラージュを各部分に仕掛けることで

秘教が自らを守るために複雑な防壁を周囲に配するかのようにしつ

私はスターリン体制すべてを嘲弄し否定し去る

まさに歴史的な抵抗音楽家のひとりである私の姿を

私はこの交響曲第5番には描き込んだと言える

この交響曲は私だ」






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