その「壊す人」にならうように、
村を創建した仲間たちみなが、
やはり「巨人化」していたのでした。
大江健三郎 『M/Tと森のフシギの物語』
神がアートした
自然界のあらゆる現象を見続け
聞き続け
触れ続けて飽きないように
人間が作り出した表象のすべても
事件や事態のすべても
見続け
聞き続け
触れ続けて
わたしは飽きない
文字や図像や映像や立体美術や
かたちなき観念作品としての哲学書や
ナンセンス詩のたぐいまで
貪欲に享受し続ける
人類史上では
まだまだ新しい出現物である
SNS上の文字群や図像群
映像群なども
それぞれ日に数百は享受し続けている
表面のみをお上品ぶって見せようとした
安倍晋三時代型のブルジョワ超浅薄人たちが
下品なものや危険なものとして
必死に排除しようとした低俗風味のものも
(同じたぐいのことがフローベールの時代に起こっていた)
人間精神の現われの
逸すべからざる実例として
つねに収集怠りないよう努めている
だが
こうしてみていると
SNSやYouTubeなどに作物を載せるひとびとが
他人にどれだけ多く見てもらうか
聞いてもらうか
話題にしてもらうか
こればかりに関心が向かっていて
お祭りで店を出す香具師とかわらない
小物商人に成り切っているのが多く見られる
この時点でつまり
彼らの出し物はダメなまがい物というのがわかるのだが
けっこうな労力をかけていそうなのに
人間活動の向かい方としては
残念なことだと思われてならない
SNSやYouTubeなどに載せるのも
電子網が発達した現代では当然のことだろうが
本当に自分が作りたかったものを作って載せるのなら
たくさんの人が見に来ることや
聞きに来ることは
とりあえず論外のこととして扱うほかない
黙ってまっとうに見たり聞いたりしてくれないひとびとが
蚊や蠅のように集まってきたところで
望ましい享受には結びつきようもないのだから
「チャンネル登録をお願いします」などという言葉は
吐かれていいはずがない
世界中でごく数人しか見ていないYouTubeコンテンツのほう
よほど価値がありそうに見えてくる所以である
一瞬だけつかの間の奇術を披露するような騙くらかしでないかぎり
より多い閲覧数を狙ったり
たくさんのチャンネル登録者獲得を求めたりするのは
ものを作る行為や
ながく万人に役に立っていくようなものを伝達する行為には
禁忌でしかない
テレビがつまらなくなり
時代遅れになり
どんどん人心がそこから離れつつあると嘯きながら
新時代のメディアを気取るSNSやYouTubeなども
はやくも視聴率を競うテレビ化の一途で
ものの伝達を目指す領域に集まっていく人間たちというのは
どの時代にあっても
低レベルの一攫千金人士たちでしかないのかと
やはり思わされる
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