2025年1月3日金曜日

ただの糞溜め

 

 

 

高名な

馬鹿な

政治学の大学教授が

じっくり話し合って物事を解決する風潮が失われつつある

などとテレビで言っていた

 

今さらながらに

ハーバーマスの主義の援用か?

対話的理性の称揚か?

それとも

それへの哀惜か?

 

あらゆる政治学は

じっくり話し合う気などまったくない相手と対峙した際にのみ

始まる

 

思索や実践の成果を書き残さなかったが

インカやアステカの最後の者たちは

最も厳しい真の政治学の練り上げを迫られた

 

最近ならば

容赦ない殺戮に直面したガザのパレスチナ人たちが

真の政治学研究を迫られただろう

 

対話どころか

言葉ひとつ発さずに

刃物や銃弾やその他の火器や毒薬や毒ガスを

こちらの身体に向けて使用する相手と

どのように対峙するか?

 

そこにしか

政治学はないし

政治の本質も基礎もない

 

敗戦後に精神の底の底まで

アメリカに巧妙に骨抜きにされたいくつかの世代のうち

団塊の世代に属する平和主義の教師に

「戦争放棄している日本が軍事的に攻撃されたらどうするのか?」

と私は問うたことがあった

「その際には反撃せずに日本人全員が殺されればいい」

と教師は答えた

とにかく敵を作らず相手を殺さないのがどこまでも優先されるべきだ」

 

じゃあ妻や娘が犯されたり家族が目の前で殺されてもいいですね」

と問い返すと

「相手を殺さなければそうされてもいい」

と答えた

 

私は

この教師を軽蔑もしないし

馬鹿にもしない

ここには彼なりの政治学判断があり

優先するポリシーがある

 

しかし

おそらく空論的に過ぎるだろう

学生だった私には

思われた

 

私の政治学は彼とは異なり

流派も異なり

ポリシーも

行動内容の選択肢も

異なっているので

「素晴らしい平和主義ですね!」

と彼には言い

それ以後

政治思想的な面では

彼を見捨てた

 

私の政治学実践は

その後も

現在に至るまで

このようなものである

私の師は

タレイランであり

人間社会に対しては

つねに

言葉と態度と状況認識と判断と思念と計画との

意図的不一致を

ポリシーとしている

 

いかなる時も

国王陛下万歳!

と叫びながら国王を殺す者であろうとし

いかなる踏み絵も

平気で

踏む者であろうとする

 

人界が

いかなる意味でもなんの価値もないただの糞溜めだと

お忘れでないか?

人間諸君?

 

人間や地球に

存続の意義などあるとでも

まさか

思っていやしないよね

洗脳され尽くした

甘ちゃん諸君?





人を捨てる


 

 

昨年つよく心がけたのは

人を捨てる

ということだった

 

つき合わない

とか

連絡を切る

というのではなく

捨てる

 

この人のために…

などと

もう

考えない

 

目の前にして

その人に会っていても

その人を捨てている

 

冷たくする

ということではない

 

粗雑に扱う

ということではない

 

思いもせず

ふいに出会った風景のように

その人を扱う

 

そこを去ってしまえば

もう二度と会わないかのように

その人を扱う

 

その風景を汚すのではない

乱してしまうのではない

なるべく整ったかたちで

きれいなままにその場所を去る

 

しかし

その風景から

この先なにかを得ようとは考えない

なにかに利用しようとは

考えない

 

どんな人も

こちらが思う以上に幸せなのだし

思う以上に満足して生きているのだし

その人の楽しみや喜びにむかって

つねに邁進しているのだし

「この人のために…」などと

余計なことを思う必要はないのだし

それこそ余計なお世話なのだし

 

ある風景や

光景を

そのままそこに残して去るように

こころで人を去る

 

人を捨てる

 

捨て続けていく

 

もちろん

「人」のうちには

この自分

あの自分

なども

含まれている

 

 



2025年1月2日木曜日

繊細な読み取りと舵取り


 

一瞬一瞬

精神の微妙な舵取りをし続けないと

深い真の生は

容易に難破してしまう

 

明日や

あさっての

体調や

精神の良好さは

いまの一瞬一瞬乗っていく流れについての

繊細な読み取りと

舵取りに

本当に掛かっている

 

本当に

 

このことを

実感としてわかるようになるまで

長い年月を要した

 

カルロス・カスタネダが描いたドン・ファンは

歩いていく時に

なにもないところを

奇妙なぐあいに迂回していく場合が

あった

 

カスタネダが理由を聞くと

ドン・ファンは

こう答えた

 

物質的にはなにもないように見えても

そこを通過すると

こちらのエネルギーが損なわれたり

奪われたりするところがある

そういうところを

避けて進んで行くのだ

 

この「そういうところ」を

しっかり感知するためには

不可視の空間の繊細な読み取りと

それを可能にする集中

正しく舵取りできるだけの柔軟性が

本当に必要になる

 

本当に

 




切断


 

なんやかや

しゃべり続けている人たち

 

飲み屋で

だけではない

 

テレビで

SNS

YouTube

新聞や雑誌で

無数に出版されては

ほとんどが

数週間後に裁断されていく

多量の本という

幼稚園の砂場のようなところで

 

なにかについて

しゃべる時

そのなにか以外について

人は盲目になる

 

なにかについて

言葉や論理を構成していく時

人は現在時を見失い

言葉や論理という夢想と幻のなかに

みずからの存在そのものを

とりかえしのつかないかたちで

失う

 

なんやかや

しゃべり続けている人たち

 

すなわち

死んでしまっている人たち

 

生きていたいのならば

言葉と論理の構成を

完全に

放棄しなければならない

 

表面だけ

しゃべり続ける演技を

自動的にしながら

演技するそうした外貌から

はっきりと

意識的に

自分を切断していなければならない

 

 



無の舞踏


 

 

フィクションのかたちで表現するのは

いちばん

気に入っている

 

というか

いちばん

正確

 

なにも表現していないことになるのだから

 

フィクションとは

ということで

なにはともあれ

そこに

表現行為が表わそうとするものの実体はないということだから

 

そもそも

言葉も言語体系も言語行為も

はじめからフィクション

 

なにを主張しようと

なにを論述しようと

なにを仄めかそうと

はじめから終わりまでフィクション

 

無の舞踏

ばかりが続いていく

人界

地上

精神という舞台

意識という舞台






ぼくの友だち 死ななかったところという場所

(2000年作) *

 

 


五体不満足なひとの本が有名になって
とっても売れていて
ぼくの友だちで足が片方ないひとにその話をしたら

彼はもう知っていて
読んだよ、とっても不快だ、と言った


ぼくの友だちは足が一本ないだけだというのに

五体不満足のひとよりも明るくなくって
人生に立ち向かうとかふつうのひとのように頑張るとか
そんな気概がなぜだかずいぶん足りなかった。


あんなに性格が明るくって
なんにでもやる気まんまんで
ああいうのって、つらいよ、ぼくにはあれ、できないんだよ、って、
ぼくの友だちは言っていた。
とっても不快だ、っていう彼のことばも、

すごく怒ってるって感じじゃなくって
じぶんの居場所が、最後の最後まで奪われちゃった、

もうダメだ、もう最後のところもなくなっちゃった、
っていうような、そんな感じだった。
怒りが込み上げて、というのじゃなくって、
最後のちからまでがヒュー、と抜けていくようだった。

 


やっぱり、がんばって、ちからがあって、積極的で
そんなひとたちの世界なんだなあ、ほくなんてダメなんだなあ。
ぼくの友だちはそう言っていた。そうして、
とても不快だ、とってもイヤだ、でも、
どうすればいいのかわからない。どうにもできない。

みんながぼくに言うことは、
がんばれよ、世の中にはもっとたいへんなひともいるじゃないか、って
そんなことばかりで、
そりゃあ、ぼくもわかるよ、

あの五体不満足のひとはほくよりもたいへんなんだ。
でも、ぼくはぼくのこんなこころをどうしたらいいんだろう。
こんなに弱い、積極的になれないこころは

どこからぼくに入ってきたんだろう、
これをぼくはどうしたらいいんだろう、
どうしてこんなにさびしいんだろう、

こんなに暗いこころはどうしてだろう。

ぼくの友だちは
ぼくの友だちで足が一本ないというだけの友だちは
こんなふうにしゃべって、
というか、なんだかことばが考えから離れてペラペラになったような
いくらかは散る桜のはなびらのような感じで
ことばを口から出し続けた。


聞きながらぼくは

ぼくのこころのなかでちょっとまとめをしたのだ。


そうだ、すべてはこころのことだ、

こころの性質なのだ。

そこから来るのだ。
でも、こころの性質は

こころの持ち主本人には変えられないことが多い。
がんばれといわれても怠けろといわれても

そう簡単にはいかない。
どうしよう、むずかしいなあと思って苦々しい日々を送っているあいだに
からだがダメになる時が来る。

そうしてやっと終わるのだけど、
仏教の考えとかだと、

まだまだ生まれかわって続きをやらなきゃいけない、ってんだ。

 


どんなこころを持つかは

けっきょくは

それこそ運命だという気がする。
生まれるときにどんなこころの種を抱えてやってくるか

選べるのだとしたら
生まれる以前にほかのこころがある

ということになって
それはそれでもいいけれども

ぼくらが考えてどうこうできる段階を越えてしまう。
とにかくもこころの種があって
生まれた後それが発芽して成長して環境に影響されて

こころになっていくけれど

ぼくらは幼いとき環境も選べないのだから

やっぱり

どうこうできる状態ではない。
やっぱり

おおまかにまとめると運命ということになりそうだ。
ほかのことばでもいいけれど
とにかくぼくら自身の考えではどうにもできないんだなあ

と思ったり
つぶやいたりしているうちに
からだという船は朽ちていくことになる。

 

 

散る桜の
はなびらのような感じでことばを口から出し続けるぼくの友だちの

話を聞きながら
ぼくはぼくのこころのなかでこんなまとめをしたのだけれど

運命ということばは
ぼくの友だちには

ぼくは言わなかった。


言ったってよかっただろう、

つらいよわい暗いこころのひとには運命ということばは
どっちかっていうと慰めなんだから。
神とか宇宙の意思みたいなとこがあるんだから。
かれはたぶん、うんうん、ってうなずいただろうと思う。だから、
言ったってよかっただろうと思うんだけど
どうして言わなかったんだろうなあ、

わざと言わないでいようと思ったんだ。
どうしてかなあ、よくわからない。

 


ぼくの友だちとそんな話をしたあと何ヶ月も経って
足が一本ないというだけのぼくのその友だちは

ある日
松葉杖でのったりと駅の階段を上がって駅のホームの端っこまで行って

速度を落とさないで走ってくる急行に飛び込んで
おもてむきはそれほどひどい怪我がなかったけれども

うまいぐあいに頭を打って
電車での死に方にしてはけっこうきれいな最期を遂げた


と、そんな想像を

ほんとうに急行がすごい速さで走り込んでくるホームの端で

しながら

しばらくずっと

立っていた

んだ

そう

なのだ。


ぼくはそれを聞いて

やっぱり

さびしい気持ちがしたけれども
それでも

そんな想像をして立っていたらはじめてのように晴れ晴れしたんだ

かれがいうのは

よくわかるようでもあった。


この急行でじぶんは死ぬこともできた、
ぜったいに死ぬことができた、
それなのに死なないでこうしていまここで、

死ぬべきはずだったところで、
じぶんの

あり得た死

想像している。


そう思うと、

死んだということと生きてるということとが

ほとんど
同じだ

感じてきた。

 

なにかいままで
生きていることとか

生きていくということとか

死ぬんだろうなあということとか
そんなことがらについて

考えちがいをしてきていたとわかったような気がした。
ほんのちょっとの考えちがいだけど、
それがわかるのと

わからないのとでは

ぜんぜん

違うような

まちがい。


だからといって

なにもかわらないんだけど
でも

わかったことは

わかったこと。

 


その後で

ぼくもその駅のホームの端っこに行って

急行が
すごい速さで通過していく風のなかで

目をつぶっていたり

してみた。


ぼくの友だちとちがって

ぼくがその場所でわかるべきことは

ないように思ったけれども
でも

もし友だちがほんとうにそこで死んでしまっていたら
ここは

かれが死んでしまった場所

なんだ、

と思って
急行の風を

受けたりして

いた

 


五体不満足の本を書いた明るいひとは

つよくて

ガンバリやで
ぼくの友だちは

よわい頑張れないこころを持たされた運命に

けっきょく
押しつぶされちゃった

ということに

なるのかなあ

などとも

考えた


でも

かれは

けっきょく

そこでは

死ななかったので
駅のホームのその端っこの急行の風のすごいところは
彼、ぼくの友だちの死ななかったところ。


だから、ぼくも
ぼくの友だちの死ななかったところ

という場所を
いまは持っていて
これは

なかなか

手には入らない場所だとぼくは思うので
ちょっと誇らしいような
いろいろ考えるのにけっこう役にも立つような

気がするのだ。

 


© MASAKI SURUGA WORK HEAVEN 2000

 

 

 

*『駿河昌樹詩集』(Dusty Heaven Publications**, Howl Poetry Books,2000)所収

**Dusty Heaven Publications : La Boîte Noire 2-3-26 Jingumae Shibuya-ku, Tokyo, 150-0001 Japan. Phone : 03-5771-5598. E-mail : hvn@gol.com

◆この2025年版では改行のしかたを大幅に変更し、字句修正を施した。







Public Questioning, Easy, Easy

By Masaki Suruga,2006

Translation into English : Yukiko Akagawa

 

 

 


Just writing.


I'm just writing.
Have never called myself a poet,
So I'm happy.


Still fussy about the word,
Poem.


Callous youth,
I'm happy I didn't call me
A poet
To challenge you.


Seeing my work on the web,
They demand why they don't find it at bookshops
Pressing me asking, are they unworthy to have?


I would have got lost at such a time
Had I called myself a poet.
But I knew
I only knew
How humans are.
So, I could slip away
From every maliciousness,


So gentle
Disguising interest
Or admiration.
So, I can say to them

Listen,
Poets are
Like this man,
Like that man.


I show their anthologies asking,
You enjoy it?
These are the collections of poems
That you can find at any bookshop.
They are the post-war Nipponese poets laureate.

As I know,
I only know,
How humans are,
I enjoy
Seeing you snapping shut the book
Looking uninterested.

Listen,
I say further.

Don't shut the book like that.
They ARE so-called poets.
I don't know why,
But a number of Japanese
Applaud them like a religion.
Like a single idea of a dunce,
Poets mean these people.
If you enjoy them,

You are lucky,
Easy, at least,
Because any bookshop
Has their poems
Ready and steady

A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu : voyelles,
Je dirai que jour vos naissances latentes :*


Muttering the words I learned long time ago,
Like a spell,
I wouldn't unfold, after all,
The Japanese poems, watery and soggy.
I'm still fussy about the word,
Poem

So,
Merciless youth,
How do you define a poem?

It's time for me
To demand you.

How do you define a poem?
You are blessed
If free of the watery wet poetry.

How do you define a poem?
Emotions,

Obsolete avant-garde,
Daily life that stinks,
Japanese sentimentalism,
Cheap stories,
Word play.

Throwing them all away
I ask you from beyond them.

How do you define a poem?

Most of your poems
Will not be poems to me perhaps.

How do you define a poem?

Time for me
To stand on the side
Of demanding an answer.

Me,
Who has never called himself
A poet.

 

 

 




* The beginning of "Vowels" by Arthur Rimbaud
A noir (A is black), E blanc (B is white), I rouge (I is red),
U vert (U is green), O bleu (O is blue) : voyelles (Vowels),
Je dirai (I tell you) quelque jour (someday)
vos naissances latentes (your secret origin...);