2025年4月2日水曜日

あたりまえのことのようながら

 


 

夕食では油物も食べたので

皿などの汚れをティシュで拭いてからシンクの中に置き

洗剤をすこし撒いて水を溜めておいた

このようにして

皿などに水を溜めてしばらく放っておくのは

馬鹿にならない

これだけでも

かなりきれいになってしまう

 

こうして放っておいた食器類を

深夜の二時もまわってから洗い出した

 

湯を出して洗っていったが

ふいに

あたりまえのことのようながら

いま湯に触れている

湯に触れることができている

湯に触れるということを経験できている

という

強い認識が来た

 

洗剤を泡立てて

湯で洗っている食器類の手ざわりや

重さやかたちなども

手指の筋肉や肌に鮮やかに感じられた

 

あたりまえのことのようながら

というより

まったくあたりまえのことながら

湯に触れるというのはこういうことで

食器類に触れるというのはこういうことなのだと

感じ直し

認識し直し

あらためて受けとめ直した

 

使っているのは

高価でもないありきたりの食器類で

大地震でも来て破損してしまえば

そのまま燃えないゴミとして集められていくだろうし

わたしがふいに死んで

整理業者が入ってくれば

やはり燃えないゴミとして回収していくに過ぎないだろう

しかしひとつひとつが

さまざまな事情や縁があってわたしの元に集まってきた食器類で

ひとつひとつがわたしの過去の瞬間瞬間を蔵している

 

ただ湯で食器類を洗うというだけのことなのに

生きていればこその

しかもわたしひとりに集中した

独自の一回きりの縁の集中が起こっていて

かなりの言葉を費やしても語りきれない豊饒さに

目がまわるようだった

 

ともあれ

ただの食器洗いでも

湯に触れられて

水に触れられて

いいなあ

また経験してみたいなあと

体を失った霊たちは

きっと

羨ましげに見続けている







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