ああ!三月たつと私は五十になるだろう、そんなことがありうるのか!
一七八三、九三、一八〇三、私は指折ってすっかり数えてみた……
そして一八三三、五十.そんなことがありうるのか!五十!私は五十
になろうとしている。
スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』
(桑原武夫・生島遼一訳、岩波文庫)
書くのは幼時からの習い
惰性から
わずかの人たちに送りつけ続けている
よっぽど自意識の
つよい奴だと思ってるだろう
みんな
でも
自意識にできる活動なんて
せいぜい数年
何十年も
自意識過剰にみえる行為をする奴には
注意だ
やっぱり
最初から
なにもいうことなどないのに
書いている
たぶん
叫び続けたいだけ
バンドを組んだこともあった(八歳の時に)
グループを続けないのは
足手まといだから
他人たちが
ついに足手まといになる
最後の瞬間が来るのが
つらいから
ひとりじゃないか
みんな
表面だけごまかすなよ
弱虫
いままで
わたしとかぼくとか言って書いてきた
くだらない
おれ
って言うことにしようかな
おれだって
おれと呼ぶべきおれ
じゃないが
わたしとかぼくよりはもっと近いかな
おれは幸せだけを追ってきたと思う
刹那的ではなかったけれど
だいたいは数カ月程度の
幸せかな
悪くなかったと思うよ
数か月後にはふつう
状況はずいぶん変わるものだから
何年も変わらないなんて
学生の思うこと
あたまが温室な連中の
思うこと
おれのように書いてきた連中のうち
世間的にけっこう
何様になってるのもいる
大いにけっこう
おれはゼロでゴミで
りっぱな三文詩人
そう言えるだけの量は書いたぜ
どこのご機嫌もとらない詩を書き散らしてきた
どこもクライアントにはついてくれない
どこもパトロンにはなってくれない
感情でも思想でも
もちろん真意でもないものを
ただ書いて
金がないから詩集も出さない
出したって
だれの詩集も「まったくこんなもの
価値があるとでも思ってんのかね」と
すぐにもブックオフ
あるいはさっぱりと資源ゴミ
実際つまらない高踏派気取りや
現代詩の亜流の出がらしや
平成純情派みたいなのばっかり
おっとっと
おれはそれでいいと思ってる
詩集はそういうんでいい
やっぱりおれは詩人たちの側につく
他人の詩はどれも面白い
おれ自身の詩よりも
他人の詩=外部ってことが多いんだ
奇矯な意見や思想が嬉しいように
他人ってのは
楽園だ
目の前にいても
ぜったいになり切れない楽園
おれの今は最高だな
楽しくかわいい妻がいるし
豪華じゃないがいい住まい
蔵書だって数万ある
たいていのものはもう要らない
旅にも飽きた
映像も音楽も十分
たいていの快楽は貪り尽くした
御馳走だって
おれなりに食べ尽くした
そこらのB級グルメなど要らない
最高のものを食べる機会が
おれにはずいぶんあったんだから
本は無限だ
だがパターンの渉猟は尽くした
もう読まなくてもいい
もちろん本が
そんな性質のもんじゃないのは知ってる
だが一語一語が一義一義の意味や
ある程度の多義を乗せて
そうして並んでいく印刷の羅列には
いい加減にしとけ
と言っておきたいね
荻生徂徠はわずかの蔵書を相手に
眼光紙背の読解をしたという
誰よりも多読な時評家らは
陳腐な思想ひとつ残さず死んでいく
読むってのは簡単じゃない
なにがいいか悪いか
とにかく簡単じゃない
本当の問題はおれにとってなんだろう
はっきりしてるのは
本屋に並んでる新刊が騒ぎ立ててるあれこれじゃないってこと
新聞の太い見出しのあれこれ
サイトでめまぐるしく変わる文字群のあれこれ
それらじゃないってこと
本当のおれの問題はたぶん
どの本も小説も詩もやっぱり十分じゃないってことだ
どれもおれが求める最後の言葉じゃない
あれもダメ
これもダメ
過去も未来も今も彼も彼女もあなたもダメ
で
どうする
ってことなんだ
おれの本当の問題は
ともあれ
今の幸福に感謝だ
おれはどうしていようが幸福である
だから苦悩に満ちた詩なんか
書けないし
書く気もない
ときどきはフリして書くけど
暗く幽鬱に書く時ほど
お遊びなんだ
おれは本当のことを書いたことがない
言葉なんて信じるほうがどうかしてる
言葉なんてフィクションだろ
最初の最初から
どこまで行ったって
で
どこに向かうかだ
たとえばスタンダール?
「私はけさ、一八三二年十月十六日、
ローマ、ジャニコロの丘の上、
サンーピエトロ・イン・モントリオにいた。
すばらしい太陽だった。
ほとんど感じられぬシロッコの微風が
アルバノ山の上に幾片かの小さい白雲をただよわせていた。
快い温かさが大気を支配し、
私は生きることに幸福であった…」*
あるいはシャトーブリアン?
「この場所(ヴァレ・オ・ルの屋敷と地所)は気に入っている。
父方の祖先の土地のかわりをしてくれる。
これを手に入れるのに、ぼくは、
夢想と寝ずに過ごした幾多の夜々の作物を当てたのだ…」**
たぶん
たぶん
そろそろ急速に狭まるべき時
すっかりこの時代から身をひいて
すっかり人間関係を落として
おれはおれの変転定まらぬ文体の狭間狭間と
いくつかの絶対のお気に入りの文体
または詩体だけの中へ
全意識を閉じ込めようと思う
終りだ
おれのにっぽん
おれの平成
おれの二十一世紀
勝手にみんな書きやがれ
どんどん仕事し続けやがれ
おれはもう読まない
見ない
感想も言わない
居続けるが
居ない
やけに方向の定まった簡素な人間として
おれは四季の風の中
選ばれた文体詩体たちの
厖大なページを繰り続ける
*スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』(桑原武夫・生島遼一訳、岩波文庫)
**シャトーブリアン『墓の彼方からの回想』(拙訳)
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