2012年12月31日月曜日

2012年12月30日、ずいぶんな雨降り、東京



  
年末十二月三十日
ずいぶんな雨降りだが
用事で出なければならないので
雨をついて夕方出かけた
すぐにも靴の中まで濡れたが
寒すぎないものだから
これも悪くはない夜
信号のあかりが道路に滲み
空はぼんやり白み
雨の夕やみも楽しい

こんな雨の夕やみを
いつかの年末
歩いたことはあったかとか
近ごろさまよったことはあったかとか
思いはさまざまな系に流れて
勝手にすみやかに隅々まで
わかれて記憶の検索をしていく
生きてきたということの
脳と意識のつながりの現実が
こんな自動的な動き
脳や意識はこんな検索をして
どうしようというのか
過去と結ばなければ
この今は意味を持たないから
とにかく全速で検索し
過去と今との結びつけを
行わなければというわけか

人間の脳はじつは
見聞きしたすべてを覚えているといい
たとえば新聞をめくっていくだけで
全情報を完全に記憶していくのだとか
覚えていないと平気で人は言うが
本当は思い出せないだけらしい
ならば毎瞬これまでのすべての過去が
脳と意識のいちいちの検索で蠢いているはず
思い出しきれないほど大きく深い
過去の深い深い森を
あるいは無限の海をかかえて
(そう、まるでタルコフスキーの
『惑星ソレルス』のように
過去の家の記憶が海に浮いている…)
ひとりひとりが日々の
瞬間瞬間の廊下を進み玄関に到り
ドアノブに手をかけてまわしドアを開け
鍵をかけて傘を開き降りそそぐ
今宵の雨のなかへ踏み出していく
たった今の踏み出しとともに
これまでの全踏み出しが幾重も重なって
いっしょに(あるいは)ズレを伴って
この(そして)一般の雨のなかへと
からだを運んでいこうとする
起こっていることはなにか
眩暈させられるほどの
この豊饒な歩み出しはなにか

…「意識は、知覚作用について、この知覚作用の結果と真とは、知覚作用自らが解体することであり、言いかえれば、真から自己自身に反照する〔帰る〕ことであるという経験をしたのである。そこで、意識が知覚するとは本質的にはどういうことであるかということが、つまり、知覚とは単一にただ把捉することではなく、自ら把促しながら、同時に、真なるものの外に出て自己に帰ってくる〔反照する〕ことである、ということが、意識にとりはっきりしたのである」*… 

ああ、ヘーゲル…
彼のこんな思考がどれほど
具体的な手ざわりを持っていたか
しばらく放っておいた道具のように
降り来る一粒一粒の雨のなかへ
進める靴先にぱしぱしと蘇り
考えよ考え方を変えながら戻りながら
飛びながら絶ちながら立ち止まり
がさっと纏めたり解いたりを
さんざんくり返しながら…
と、頭というよりむしろ腰から脚が
生き生きと鼓舞されて
また進み出ていくのだ自らの意志にもよらず
こまかなことは気にするでない
生きよ経験してこい大気と水と雑踏と
寂しさと侘しさと感情のたえざる乱れのなかを
闇とひかりとたくさんの物の手ざわりのなかを
と強引に《いま》《ここ》に意識を置いた
はかりしれない強大な(それでも)計らいが
これらの雨となって夕やみとなって
傘や靴先やコートや手の甲の濡れのすべてを
ことばとして表示として示唆として
いやどれでもない押す手として力として
伝えてくる
伝えてくる
なにもかも《わたし》を内側から
超え
超え
しかるべきことが
しかるべき向きへ
しかるべきかたちをいちいち取りつつ
進んでいく
と言えばすでに誤ってしまう
あらゆる動きを収めた千手観音のような動(と)静とが
仮面のように仮面として《わたし》をかぶって
行け在れ行け生きよ行け行け行けと
続いている
続いていく




*...ヘーゲル『精神現象学』「第一部 意識の経験の学 A. 意識 二. 知覚 ものとまどわし」より。樫山鉄四郎訳、平凡社ライブラリー、p.147





2012年12月30日日曜日

どうでもよかったんだよと 霊たち

  


この世でなにをしようが
しまいが
まったく重要ではないと霊たちが耳元で(いや、
正確には思いの中で、あらかじめそうあったように)
いう
やり遂げたこと
やり遂げなかったこと
願ったこと
想起さえしなかったこと
しでかしてしまったこと
やるべきなのにしなかったこと
それらのあいだに
なんの違いもないのだと

でも、どのような心で生きたか
それは大事なことではないのかとあなたは思う
いいえ、それは違う
この世で使った心も思いも
体とともに分解してなにも持って行けない
なにも残らない
あなたは体の停止とともにすっかり消えて
霊しか残らないがそれはあなたではない
霊はあなたを動かし見つめていたもの
そうして霊にはこの世の経験など要らない
はじめからすべてが暇つぶしで
なにがどうなっても大差ないお座興
そういってしまっては身も蓋もないから
いわないでいるだけよ
と霊たち

どんな神もいないし
どんな天国もない
地獄ももちろん
罪も罰もなく
殺した人も殺された人も
じつは同一の総体だったとわかるよ
と霊たち

だから
もしあなたが少しこの世でつらいなら
すべてはなんの重要性もなく
なにもかもどうでもいいんだよと
思ってごらん
と霊たち

ほんとうに
なにもかもどうでもいいんだよ
あっても
なくても
生きても
生きなくっても
どうでもよかったんだよ
と霊たち

そろそろ
つまらない理屈をこねたり
意味もない足場をつくったりするのは
やめたらいいのに
と霊たち


2012年12月28日金曜日

飽きちゃってるんだ、あたし




ツイッターにとうに
飽きちゃってるんだ、あたし
大学自治会じゃあるまいし
むきになって
政治社会のことを言い募る人たちの掲示板
もちろん他人の趣味や主張になんて
興味ないし
ライターや学者や便乗屋さんたちが自著の広告するのも
みにくい
みにくい

人との交流なんて放っぽり出して
フェイスブックに
お気に入りの写真や動画を保存する便利さを覚えちゃったあたし
他人のものなど見もしないし
たまには
なんでもいいから「いいね」しとけばいいのだし

スマホしてる人のバカづら
はずかしいから
ガラケーのままのあたし
でも
ボタン押すのも疲れてきたから
最短メールしか
書かなくなったし
電話するなんてダサいから
まったく使わないし

パソコンの起動の遅さに
いよいよ我慢できなくなってきたあたし
タブレットは速くて
そこは素直にいいよね
数年前までのパソコン関係
まとめて捨てちゃいたいって感じ

新聞もいっさい見なくなったあたし
テレビはもともといい加減にしか見ないし
ニュースはニュース好きに食わしておけばいいのだし
思い出すよね、リラダンが書いていた言葉
「人生なんぞ、召使にでもさせておけばいいのじゃ」
そんな感じ
そんな感じ

クリスマスが無関係に来て
また無関係に去って行ったけれど
なんの準備もしないし
心も動かないし
ケーキが安くなったら買おうかなと思ったけれど
不況下で作り渋ったな、どこのケーキ屋も
そうそうに売り切って店仕舞いしてた

新年が来るっていったって
なんにも新しいことはないし
昔の名前で出ていますっていう首相が
理屈も立たない経済政策の大風呂敷
大企業だけが儲かる仕組みじゃ
購買層がますます陥没するっていうのにね
最後はテレビも自動車も買わなくなるぞ
米国産iphoneだけ持ってればいいや、っていう世代の出現を
そうそう甘く見ないほうがいいやね
身軽なほうがいいんだ
貧乏するにも
死んでいくにも
愛国だの防衛だのも
金があってそこそこ安楽があってのお話

にっぽんに飽きちゃっているあたし
尖閣も竹島もあたしの島じゃないし
この心身だって一時使用の消費財
名前は中国製の漢字表記だし
ひらがなやカタカナだって漢字由来だしね

挨拶するのに握手もせず
抱きあいもせず
大仰に喜びを表わしもせずに
いつも通りすがりみたいな
ぎこちないとりあえずの
せこせこしたお辞儀で済ます国柄
飽きちゃってるんだ、あたし
せっかく地球に来たというのに
抑圧ばっかりに秀でた
こんなつまらない列島の暮らしなんて



2012年12月25日火曜日

以後の彼




以後、彼の動静は知れず
しかし消息を絶ったわけでもなく
転居したわけでもなく
なにか災厄に見舞われたわけでもなく
日々、瞬間瞬間の充実のため
最大限の集中を心がけ
早朝の静けさ
昼のざわめき
夕べの哀しみを
飽かず受けとめ続け
あたうかぎり世間との交わりは減らし
空の色の変化と
花や草のさまざま
山や森の遠いすがた
水の流れ
海より寄せる波の
永遠
それらを見続け
聴き続けて

…さあ、まだ生きているのか
病院にでも入ったのか
もう死んでしまったのか
誰にもわからず

名前どころか
顔も
すがたも
振る舞いも
もう街や通りのどこにも
跡を残しておらず

しかし
いなくなったわけではなく
はじめから
いたわけでもなく

日々の
ひかりと影の
うつろい
その隙間から
いつも
きっとまなざしを
世界の
すべてのものへ
ところへ
放っている

以後の


2012年12月22日土曜日

だから なんですか? という話




不確かないい加減な心で
他人の同意を得られるわけでもないその人なりの
満足や安心
そんなものを得たがっているだけのことだ
みんな

他人からは見えない

死ねば消え失せてしまうが
もともと無いも同じ

そんな
満足や安心

だから
得られたからといっても
得られなかったのと
もともと
同じ

そんなものの獲得や
喪失や
取り逃がしを
人生などと呼んで

だから
なんですか?
という話さ



2012年12月20日木曜日

ふたたび世界にむけた魂を



やわらかい雨に
湿りけに
救われて
救われたようで
ぼんやりと霧雨の野を見続けておりました

霧や霧雨を通してなら
世界はやさしく
美しく
いろいろなものは場所にやすらぎ
遠いもの
隠れているもの
消えていったものや
失われたものまで
微細な水粒のヴェールの隙につながって
すべてがある
来ている
そんな強い集結感が
やわらかく
あたたかく
漂って
ゆっくり
ゆっくりと
流れているのでした

しばらく此処に留まっていよう
澄んだ青い幽霊たちが
峠の見晴らしのいいところに
ずっと立ちつくして
何年どころか何世紀も
むこうの
そのまたむこうを
いつまでも見続けているように

かつては透明な
微細な
かたちをとったかと思えば
すぐに変形していく
水の素だったと
染み透るように思い出が来て
うれしいせつなさに
体の芯から指先まで悶えるようです
この悶えが
ああ、世界の本質ではないか
世界とわたくしの出会いの
本質ではないか
うれしさは今ふたたび強く熱を持ち
この悶えから
わたくしはふたたび
世界にむけた魂を
作り直そうと思いはじめました



2012年12月19日水曜日

オブジェのように屈んで蹲っている女よ



 天使はなぜ、苦境に陥った人間の姿をして現われるのだろう。
                    J・W・アンダーソン『天使の奇跡』






寒波があすには抜けて少しは寒さが和らぐだろうという夜
しかし寒い寒い夜のメトロの通路わきに
なにも荷物を持たずに屈んで蹲っている初老の
あきらかにホームレスと見える女
グレーのジャンバーにグレーのズボンを穿いて膝を抱いて
頭を膝のあいだに埋めて通行人にはつむじを向けている
ばさばさの髪は黒いが額のほうは白髪になり出して
冬のように寒い人生の季節に入っているのかと思わせる
寝ているのか疲れているのか空腹なのか恥ずかしいのか寂しいのか
オブジェのように屈んで蹲っている

わたくしたちぼくたちあたしたちわたしたちは現代社会を生きるために
こういう人々が目に入るやただちに見捨てるように訓練され
訓練の甲斐あって無言で一瞬に見捨てて通過する
見捨てて見捨てて見捨てて
そうして行き着く先には
ひとつの白い骨壺があるばかりだが
そこに到るまでにはそう大きくない焼却窯があったり
値段で等級の異なる棺があったり
リノリウムの鈍い光の流れる霊安室があったり
自動で上半身を上下できる電動ベッドがあったり
さまざまな精密検査の部屋があったりする
それらの場所に行き着くまでには
またまたいろいろと場所や部屋や山川草木があったりする

なにも荷物を持たずに屈んで蹲っている初老の女よ
わたくしたちぼくたちあたしたちわたしたちは現代社会を生きるために
あなたを見捨てて道を急ぐ
わたくしたちぼくたちあたしたちわたしたちのみごとな見捨て方を
もし顔を上げるなら見よ
わたくしたちぼくたちあたしたちわたしたちの見捨てぶりの速さスマートさを
あきらかにホームレスと見える女よ
グレーのジャンバーにグレーのズボンを穿いて膝を抱いて
頭を膝のあいだに埋めて通行人にはつむじを向け
ばさばさの髪は黒いが額のほうは白髪になり出して
冬のように寒い人生の季節に入っているのか
寝ているのか疲れているのか空腹なのか恥ずかしいのか寂しいのか
オブジェのように屈んで蹲っている女よ
世界が人の世が人生が生が心が魂が
そんな美名で呼ばれるもののすべてが
あなたにどのような見捨てぶりを向けるかを見よ
わたくしたちぼくたちあたしたちわたしたちの正体を
あなたの位置から立場からしかと見よ
わたくしたちぼくたちあたしたちわたしたちがいかにすべてを
政治のせいにし国のせいにし時代のせいにし不況のせいにし
わたくしたちぼくたちあたしたちわたしたちが日々刻々
いかに世界を人の世を人生を生を心を魂をみずからの言動によって
暗い暗い寒い侘しいものにして行っているか見よ
わたくしたちぼくたちあたしたちわたしたちはさらに多くの人間たちを
それが自分でないというそれだけのことで見捨てていくだろうが
この先も続いていく見捨てと無視の数千年数万年を
想像せよオブジェのように屈んで蹲っている女よ
そうしてこんなところこんな世界こんな地上が
どう生きようがなにを経験しようが本当に意義のあるところかどうか
量り直せオブジェのように屈んで蹲っている女よ
この年のこの冬のこの寒さのなかでメトロの通路わきに坐り込んで
ひとりだけ寒さそのものの一般性のほうへと抜けていった女よ
忙しい影の連鎖として通り過ぎ続けていく
わたくしたちぼくたちあたしたちわたしたちのこれほどの薄さと
移りゆきのあまりの速さ凄まじさはかなさを
せめてはしばらく聞きつづけて
そうして遠いところへと持ち去ってその音を音ならぬものに向けて
まるではじめての命のように
ほっ
と放ってみてくれ



2012年12月17日月曜日

豊かで生きることの核にいるぼくら




神崎くんと
授業の後で話した

神崎くんはボ~ッとしている
上の空ではないが
ちゃんと頭に入っているのかな
授業の内容は

どんより曇った秋雨の一日
いつもの蛍光灯では
教室も廊下も暗い
来ている学生も少なく
どこかの
浅い暗い海の底を
サメのまねをしながら
の~ろり
の~ろり
うねって進んでいるみたいな
ぼくら

―こんなうす暗い日、
ぼくらの生は
なんだか本質に近づくようだね

そういうと
神崎くんはピンと反応し

―そうです、明るいふだんの
町や教室って
強いられている
うそっぱちの舞台みたいで…

その後ぼくらは
ひとしきり
昼食時間にずれ込むのも忘れ
しばらく話した
神崎くんのいちばん興味のある
死のこと
生のはじまりのこと
死後がどうなっているのか
わからなければ
この世の倫理も計画も
成り立たないこと
そんな懐かしい
問題の数々を

目をむけると窓から
遠くの高いビル数本が見え
今日という暗い日
どれも薄雲にかくれて
なにか秘密ありげな
岩の大きな塔のように見える

―神崎くん、あれ、いいね
町はいつも
あんなふうであるべきだね

―ええ、そうです
いくらなんでも
秘密が無さすぎの町です
ぼくらがいるのは
秘密があるかどうかより
秘密があるように
見えていてほしいものです

…おっと、
用事があったのだ
行かなければいけない…

―それじゃあ、またね
今日はほんとに
暗くて
嵐の近づく海の底のようで
いい日だ
ね、神崎くん…

そうして
ぼくは廊下に出ていく

神崎くんは
菓子パンを出して
いそいで昼食をとり
つぎの授業の
先回のノート分を眺めたり
死のこと
生のはじまりのこと
死後がどうなっているのか
わからなければ
この世の倫理も計画も
成り立たないこと
そんな懐かしい
問題の数々を
ふたたび
思いはじめるだろう
くりかえし
くりかえし
なんども

そんな懐かしい
問題の数々を
くりかえし
くりかえし
思うことが
豊かで
生きることの核なのだと
ぼくらは
知っているから

神崎くん
答えは出ている

懐かしい問題の数々を
くりかえし
くりかえし
思う
豊かで
生きることの核にいる
ぼくらだ