[中島みゆき作詞作曲『成人世代』の本歌取り]
(序歌)
夢やぶれ
いずこへ帰る
帰る夢
帰る夢さえやぶれゆく
わが生はすでに真夏を過ぎき
(本歌)
手をのばせば届きそう
あいかわらず
テレビの歌のうたう夢
雑誌の折り込み
電車のポスター
不幸なのはじぶんだけ
みんなみんな幸福そうで
ちきしょう火つけたるべえと
マッチ擦る
つかのま海に霧深し
身捨つるべき祖国はありや
ねえや、やっぱり
しらけてく
春夏秋冬じんせいの
ただに過ぎゆく
浮き世なるらし
(反歌)
寂しさのきらら生きむか木枯らしのこころ澄みゆく世紀の末を
*中島みゆきの詞句と寺山修司の短歌との不倫あり。そこにもちろん駿河が加わっている。すなわち3P。注意されたし。
参考動画
◆この本歌取りは、1995年に書いたもので、個人雑誌『Nouveau Frisson』42号に掲載した。多少の修正を施した。
◆「夢やぶれ / いずこに帰る」という歌詞は印象的で、なんとなく口ずさんでいる時期があった。若い若い頃で、まだ、ろくに夢を定めてもいないのに、先んじて「夢やぶれ…」と口ずさむ快感を覚えていた。
彼女の歌には、もとを糺せば『王将』などにすぐに遡れるような演歌調のサビが必ずあって、それが、いつまでも古い心情を持ち続ける日本人の耳にこびりつく。曲調は違うが、ようするに演歌なのだ。演歌というのは、さらにもとを糺せば、農耕歌のようなもので、心の苦労を抱えて鬱屈しそうな時でも生活を進めるための励ましの歌であり、近代社会の中での感情生活推進の作業歌である。中島みゆき、すなわち、土俗。こういう印象をむかしから持っているが、もちろん、これは悪い意味で言っているのではない。
大学の頃、友人の引っ越しを手伝っている時、アパートの隣りの学生が中島みゆきを延々と聴いていて、それがずっと聞こえていた。そんな時代だった。中島みゆきか、荒井由実か、という時代だった。いつもいつも時代は「右傾化の危機」にあり、社会に事件は絶えず、殺人も大事故も絶えず、実際には、いまとなにが変わっていたわけでもなかった。
中島みゆきのものでは『蕎麦屋』がいいが、なかなかベストアルバムのたぐいには入らず、Youtubeにも本人の歌唱は載らない。いまや、ネットで容易に見つかる歌こそが生きのびる時代になったのに、歌謡曲の世界があまり管理をきびしくしていると、がっさりと忘れられていくぞ、と思う。ファンはともかく、ふつうの若者たちには、もう関係のないむかしの歌手、と映っている。損して得取れ、でいくべきなのに、商売が下手な業界である。
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