2013年1月12日土曜日

下北沢、池ノ上、エレーヌ、…はじまりまで

  

ああ
下北沢裂くべし、下北沢不吉、下、北、沢、不吉な文字の一行だ
ここには湖がない
(吉増剛造)



下北沢のガッツ美容室に電話したら
水曜日なのにめずらしくハッポウさんがいるというので
ひさしぶりに髪を切りに行った
三軒茶屋から引っ越してしまって
あまり行かなくなっていたし
エレーヌが死んでしまってからは
いよいよ行かなくなって
あちこちの店で
間にあわせに切るようになっていた

すこし早めに駅に降り立ったので
下北沢がどう変わったか
変わっていないか
ちょっと
駅のまわりを歩いてみる

池ノ上や代田にエレーヌと住んで
買い物をしたり
食べたり飲んだり
本やビデオを探したりと
三〇年間
馴染んできた町だから
通り抜けたことのない路地もなく
入らないまでも
目に留めていない店はない

けれど
変わったな、ずいぶん
なにかというと立ち寄った
あの古本屋《幻游社》
キッチン南海のわきにあった店、
あれも消えてしまった
時代錯誤に
ハードカバーの小説をいっぱい置いていて
状態のいいものをずいぶん買ったが
中古パソコン屋になって
しらじらと様変わりしてしまっている
エレーヌとよくクリスマスや
大晦日を過ごした
ファーストキッチンはまだあるが(そういえば
ここでは深夜に
詩人の藤井貞和さんと過ごしたこともある…)
茶沢通りに近いケンタッキーは
いつのまにか東京チカラメシになっていて
茶沢通り沿いの《火の国》ラーメンは
ちょっと雰囲気のあるビストロみたいになっている
その前の本屋はとうの昔に消えて
いまでは居酒屋《土間土間》

仕事帰り
エレーヌは駅から出ると
駅ビルに入っていたツタヤに入って
借りるビデオやDVDを物色していた
借りたい名画がないと店員にずいぶん苦情を言い
くだらない映画ばかりが幅を利かすのを歎いていた
その駅ビルももう取り壊されて
駅の改造を待っている
そこに昔はマクドナルドがあり
そこが火事になって
しばらくして立て直されてからは
ドトールや小田急OXが入っていたことなど
いまの若者は誰も知らないだろう
三軒茶屋方向にすこし商店街を下ると
古本屋でビデオ貸し屋の《ドラマ》があるが
そこにもエレーヌは寄って
安い中古ビデオを買ったりしていたっけ
その店もいまではもう
ビデオなんか扱っていない
DVDどころか
そろそろブルーレイの時代なのだ
もう少し行くと
ミスタードーナッツがあるが
これは昔と変わらぬまま
六〇年代アメリカンポップスが流れ
コーヒーがお変わり自由なので
エレーヌはここの店が好きだった
下北沢から家までは十五分ほどは歩くから
疲れた時にここに入って
フレンチクルーラーや
オールドファッションを食べたりした

道は変わるが
茶沢通りへと出る商店街には
まだ定食屋《千草》がある
ぼくらはここの常連で
週に二三回
サンマ定食やサバ味噌煮定食
豚生姜焼き定食や
時にはカキフライ定食をとって
二十年ほどは食べ続けたのではないか
ここで働くオバサンたちの多くは
演劇の人たちで
外国人のエレーヌが来るのを喜んで
いろいろ話をしたものだった
茄子味噌やヒジキやカボチャ煮など
小鉢をとるのも楽しく
選ぶのにときどき迷うことがあった
夕食時には冬も夏もいっぱいで
入口でよく順番を待って
下北沢の路上で時間を潰した
近くにはディスカウントショップの
イサミヤがあり
電化製品やカメラを安く売っていたので
さまざまなものをそこで買った
閉店して雑貨屋《パル》になり
電球などは安いままだったし
面白いぬいぐるみなども売っていて
三つほどアングリ口を開けた
熊のぬいぐるみを買ったが
いまも机の前にふたつ
本棚にひとつある
本棚のやつはエレーヌにあげたもので
ずっと彼女のパソコンの脇に置かれていたが
主を失ってからは家に戻ってきたのだ

西口の密集した戦後以来の商店街は
ほとんど店じまいして
駅の大改革を待ち
昔は白百合書店という名だった
博文堂書店をのぞくと
やや暗い店内にひとりも客がおらず
店員がひとりでパソコンを叩いている
ピーコックの上にあったユニクロは消えて
いつのまにかシマムラになっている
ユニクロは南口の新しい商業施設に入り
ダイソーもいっしょに入って
日本中のどこの駅でも見るような光景が
またひとつ
ここに
ちょっと前まではダイエー系のグルメシティーがあり
それ以前にはダイエーがあり
さらに以前には忠実屋があって
三十年ほどの期間を見てきた目でみると
安くても悪くないという点で
忠実屋がいちばん品物がよかった
西口のツクモ電機だったところは
無印良品になったらしいが
そこまでは今回は行かなかったから
その先のナチュラルハウスが昔のままなのかは
見られなかった
全粒粉パンやライ麦パンしか食べなかったぼくらにとって
一九八〇年代には
ナチュラルハウスは貴重だった
年末年始には八個も十個も
ライ麦パンのかたまりを註文し
大きな袋を抱えて帰宅したものだった
女店長さんも店員さんたちも
みな顔馴染で
いつも買ういろいろな商品を
とり置きしておいてくれた
今ではいろいろなところに
自然食品もあれば
輸入チーズもあるが
八〇年代には
それらを扱う店は貴重だった

本田劇場に向かうほうにある
自然食レストラン《アリシア》は
まだあるだろうか
あそこにもよくエレーヌと行った
安くはなかったが
オリジナルな定食を静かに食べては
池ノ上の住まいに
あるいは越してからの代田の住まいに
歩いて帰っていったものだった
そう、そう、
池ノ上の駅前には
小さなエンゼル書店があり
仕事から帰りつく夜の10時頃
よく立ち寄って本を見尽くしたものだった
村上春樹の『ノルウェイの森』は
あそこで平積みになっている新刊を立ち読みし
高橋信次の宗教本も
大川隆法がまだ宗教団体を作る前に出していた
霊言シリーズのほぼ全巻も
あそこで立ち読みしたものだった
その前にあった郵便局には
記念切手発売のたびに
朝はやくからシートを買いに行き
局員のおばさんと御馴染になっているので
エレーヌはとうとう
公共料金の自動振替をさせられるはめになって
死ぬ時まで郵便局振替のままだった
道路ひとつ行った先の八百屋の銀次郎は
いまではコンビニになったらしいが
その先の小さなコーヒー豆店は
もうなくなってしまっただろうか
よくそこでフレンチローストを買ってきては
ていねいにフィルターで淹れたものだった

池ノ上駅の階段を下りて
線路をわたったすぐのところには
ちょっと大きな喫茶店があって
店内は黒光りする太い立派な木組み
エレーヌは毎日曜日
近くのコインランドリーで洗濯物を廻している間
そこにコーヒーを飲みに行き
本を読んだり
ノートをとったりしていた
1982年末から83年
なぜだか読みたくなったマンの『ベニスに死す』を
少しずつ
ゆっくりと
詳細に
その喫茶店で読みながら
人生をすっかり変えてしまうような
大きな変化が来る
誰かに出会うことになる
そうエレーヌは感じ
そうしたらどうしよう
自分はどうしたらいいかと考えていた
頼りにしていた霊能者に
まだなにも起こっていないうちから相談すると
言われたのは―
来る人を避けたらとても残念です
かわりに多くの転生輪廻を重ねなければならなくなるから
受け入れることです
それが実り多い方向です

3月のある日
一度会ったことのある青年からふいに電話がかかり
夢を見たのです
夢の中で不思議な声がして
エレーヌさん
あなたに会えと言われたのです
そんな奇妙なことを言う
そうして
1983年3月18日金曜日
待ちあわせは
新宿紀伊国屋書店の前で午後4時
エレーヌは少しはやめに来て
エスカレーターでいったん上のほうの階にのぼり
フランス語書籍や雑誌を見に行ってから
降りてくる
寒くない温暖な日で
ぼくはジャケットも着ず
分厚い白いセーターにブルージーンズだけで
エスカレーター前に着く

はじまりだ…



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