どの寺に行くのもなんとなく面倒なのは
やはり
見終えるのに時間がかかるから
法隆寺など最低四時間はかかる
伽藍の配置に見惚れるのに最低一時間
満足のいくまで百斉観音を見尽くすのに最低三時間
もちろん他のものも見るので
しらずしらず五時間は過ぎてしまう
飲まず食わずで
どこかソフトな苦行に似る
五重塔のわきで西フランスから来た家族がいたが
歩きまわる幼児がみごとな赤毛で
おもわず「すごくルージュrougeだね」と親に言ってしまったが
すぐに「ルrouxっていうのよ、髪の毛の場合は」と返された
知っていたことなのに「赤毛」という日本語に反応して
とっさに「ルージュ」のほうが出てしまった
どこまでいってもこんなところに日本人が染み込んでいるのか
それとも単に言語操作を切り替える能力の部分的な低さの個体差に過ぎないか
つまらぬ文化論をしている間に
現地でそのまま通用する表現を瞬時に発せるようにするのが語学の要諦
欠落部分をここはひとつ
この場で早急に補えばいいだけの話
この時はひとりで法隆寺に行ったのだったが
やはりひとりで
またふたりで
ごくまれに数人で
法隆寺には何度も行っている
同伴する機会のいちばん多かったフランス人とは
三十年のかかわりが続いた
同じ屋根の下にいたか
近くの屋根の下にいたので
朝から晩までのあらゆる表現がフランス語で私の身に染み込んだ
えらそうにしているフランス文学者にずいぶん会ったが
鼻くそをほじる
オシッコをする
ティッシュペーパー
今日は生理の日なの
というレベルの表現がほとんど誰も言えなかった
文学はいやおうもなく生活ベッタリでなければいけないから
こわいものだな
と私は思わされた
えらそうにしないといけない文学者にならなくて
よかったと
ほんとうに心底思っている
えらそうを採るか
生活ベッタリを採るかならば
まずは生活ベッタリを採るしかないのだもの
文学は