2014年1月18日土曜日

れろれろ



二十代の青年たちが受賞する文学賞の式に出た
ひとりの青年は言葉が嫌いだ言葉を憎むと言葉で言い続け
詩歌形式が嫌いだ詩歌形式を憎むと言葉で言い続けた
話が終わったら年長者たちから笑いが出た
つまりは言葉や詩歌形式を弄び続けてきた年長者たちの勝ちだった
年長者たちは言葉でなく笑いで答えたから

言葉が嫌いだ言葉を憎むと年長者たちも考えてきた
詩歌形式が嫌いだ詩歌形式を憎むと年長者たちも考えてきた
二十代の青年は授賞式にあたってそれを言葉で表明した
年長者たちも同じことを考えているがもう言葉では表明しない

年長者たちはしかも知っている
二十代の青年は商業上の埋め草に選ばれた商品に過ぎないことを
他の誰かれでもよかったがたまたま彼らが選ばれたに過ぎないこと
文芸商売がとりあえず一年間空白を生まなければいいのだということを
嫌いだろうが憎んでいようが言葉を生産する人体が現われてくれればいいと
彼らの吐いてきた言葉はそんな新たな人体によってのみ生き延びうるのだから

二十代の青年が嫌い憎んでいる言葉を使って年長者たちは
パーティーで青年を慰労し励ましほのかに教えを垂れ
じぶんが嫌い憎んでいる言葉をそんなふうにかけられて
じぶんが嫌い憎んでいる言葉で青年は答えたことだろう
そうして人づきあいの粘液の中に丸めこまれ始めていったことだろ
わたしが踏み込むのを拒絶するパーティーだから推測するばかりだ

ひとりでわたしはJR線路下の立ち食い鮨屋〈葵〉*に入り
まだ客もまばらな時間なのでゆっくりと寿司をつまみながら
読み直していた花村萬月の性愛小説『♂♀』**のくだりを幾つか思い出した
「私の仕事の究極は
「言語の及ばざる機微をあえて言語を用いて表現する
「ということに尽きる
とか
「言語を用いて表現することで
「金銭を得ている小説家という職業人が
「作家という呼称を平然と無自覚に遣っていることに対する
「苛立ちもある
とか
「奴らは言葉を扱うくせに言葉に無神経なのだ
とか

…いそがしいこと、ややこしいことヤナ、言葉に関わると
と、わたしは感じながら
もともとフィクションでしかない言葉をめぐって
嫌いも憎むも無神経云々もないんじゃなかろうかと思ってしまう

花村萬月の『♂♀』は、しかし
「沙奈の性器に私の太腿があたった
「広範囲に押しつけて、沙奈の陰部を押しつぶす
「なにやら捩れて乱れる気配が私の太腿に伝わった
「性交をすれば沙奈の外性器の部品は淫らに私を追い、張りつき、巻きついてくる
発達した扉までもが性的な器官であるということを実感させる卓越した造形になっている
「膣から外しても、まだ私の触角を包み込み、引きよせるような力を感じさせるのだ
「しかも逆にきつく押しいって密着させて円運動を加えると、それがショックアブソーバーとなって私の加圧を微妙に抑制させる働きを担っているのがわかる
「私の太腿は沙奈の流すぬめりに照り輝いている
と記し続け

…いそがしいこと、ややこしいことヤナ、言葉に関わると
と、わたしは感じながら

びんちょうまぐろのヒラヒラや
たこのピラピラ
ガリのてらてらを
沙奈の流すぬめりではないものの
唇でちょっと押え
口にはくはくと入れて
舌で受けとめる

沙奈のような相手に
同じことをするかもしれない時
もう
わたしなら沙奈とさえ呼ばないだろう

赤貝を頼んでも
赤貝赤貝赤貝赤貝…などと言わず思わずに
それを唇に乗せ
口の中に埋没させてから
舌で
れろれろ
いたぶるばかりだろう




*鮨屋〈葵〉は有楽町駅JR線路下。
**花村萬月『♂♀』(新潮社、2001)。引用部分には、章句や句読点の省略を施してある。







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