2014年1月9日木曜日

大嵐がまた来る



           百年後に誰がヴィレール氏や
           マルチニャック氏のことを語るでしょうか?
                                                   スタンダール



  

東京の知事を選ぶんだって?
また?
猪瀬*のやつ
地雷踏みやがって
都知事選にいくら掛かると思ってんだ
簡単に辞任なんかするなよ
金の無駄遣いをしないやり方を考えろよ
攻撃した連中にしたって
ある時節まではやらせておくっていうやり方だってあるだろうに
任期まではちゃんと自戒して
無給で勤めて上げてくださいっていうやり方だってある
ぼくは最初からあいつには反対だったけれど
無能な奴ってわけじゃないんだから
やることをしっかりやり続けさせるほうが
よっぽどのお仕置き

政治は大事と思うし
嫌いじゃないどころか
じつは大好きかもしれないほどだが
それは自由・平等・連帯にしっかりと向かっていく場合のこと
この国だけがダメだとは言わないが
なんと逆噴射ばっかりの人類であることか
差別や格差や非情さや諦めや嘆息ばかりを生産するほうへ
どうして人びとは靡いてしまい続けるのか
民草、草、悪草ということなのか
やっぱり

まだまだ夜明けは遠過ぎるようだが
まったく違う社会の作り方があり得るのだし
まったく違う生き方が人類にははっきりとある
寒空の下で人びとを路上に寝させ
カネというフィクションの多寡で明日の色と明るさが違ってしまい
住む家が歴然と異なってかまわないという申し合わせが隠然とあっ
ちょっとカネが余るとウナギのぬるぬるした黒い群れのように
モノにムラムラと群がる精神ばかりが蠢く社会に
ぼくらは平気で寄生し続けていて
しかたがないとか
モチベーションがどうのこうのとか
右肩上がりだとか
美しい国へとか
終わりなき繁栄だとか
政府が音頭をとるペナペナの歌謡曲に乗せられて
毎日毎日漂うばかりのクラゲ
けっきょく個人やほんの少しの内輪の人間どうしの中の
松花堂弁当か幕の内弁当の中の居心地よさだけを人生の目的にして
ちまちまコセコセと無事を守って
機会あらばとじっとり湿った貪欲の触角を伸ばしながら
地上をさらにさらにひどいものにしていくばかり

ああ政治とは全く違うものであるべきじゃないか
政治家も官僚も当然のように無給で働かなくてどうするというのか
ある人とべつの人とのあいだにどんな差異もなく
だれもが病気の時も死の時も
静かに安らかに時間と自分とに向きあえる
そんな国でなくてどうするのか
全員がケチな自我を薄め
いずれは落として
自我を超えた共同価値に向かうのでなくてなにが社会か
自分の抜きんでた能力で
他人の不足した能力をふんだんに補い
自分の不足も補ってもらえるチームとしての社会でなければ
どこに生きる価値があるのか
いつも本心や本音を隠さねばならず
隙あらば奪おう貶めようと虎視耽々と窺いあい
他人の失敗や不幸をここぞと喜び
他人の物質的精神的な挫折を無関心に眺める目ばかりが動きまわる社会を
どう愛せよというのか

政治は大事と思うし
嫌いじゃないどころか
じつは大好きかもしれないほどだが
ウソと隠蔽とゴマカシとカネ狂いの大嵐がまた東京に来る
自由も平等も連帯もただのペラペラの無意味な文字にしてしまう
一大カーニバルが来る
裸の王様とは自由のこと
民主とかいうもののこと
心やさしい夢みる者たちをして
悪党になってやる!とリチャード3世のように叫ばせる大嵐が来る
シンプルで素朴な心の持ち主たちを
幾重にも捻くれた皮肉屋に
矯激な言葉づかいをする他ない癇癪持ちに
一気に変貌させてしまう大嵐がまた来る




* 猪瀬直樹
  20世紀後半から21世紀はじめのノンフィクション作家。
 1946年長野県飯山市生。信州大学人文学部経済学科時代、「白ヘル」(革命的共産主義者同盟全国委員会)に所属。1969年、信州大学全共闘議長。出版社勤務後、明治大学大学院政治経済学研究科政治学専攻博士前期課程で政治学者・橋川文三に師事、日本政治思想史を研究。ビル清掃業などを経て作家活動に入る。1987年、『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞、ジャポニスム学会特別賞受賞。1996年、『日本国の研究』で文藝春秋読者賞を受賞。2012年から2013年、第18代東京都知事。

 

  
    

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