2015年2月28日土曜日

水辺で殺すのがお好き



イスラム国とやらが
シリアの海岸で二十一人のコプト教徒を処刑した
と聞いた時
すぐ思い出したのは豊臣秀吉のこと
養子の関白秀次を彼が処刑させた際のこと

京都の賑やかな三条河原で
三十余人
美しい上臈たちや
幼子まで
京の民衆によく見えるように
次々と打ち首にしていったこと

イスラム国とやらは
今ごろ秀吉の時代を生きているのか
それとも
秀吉はイスラム国の精神を生きていたのか

どちらにしても
水辺で殺すのがお好きな
ようで




どうかな




しりあいの予言者さん
当たりぐあいは
…そう、六割ぐらいかな
細かいことを入れれば
ほゞ九割ぐらいだけれど
そこまではね
そこまではね

四月は大変なことになるよ
五月はもっと大変なことになるよ
伝えてきたので
聞き返すと

フクシマからはもっと多くの汚染水流出
というか
わざとなので投棄

五月には
地上の原発からの放射能の
大変な量の拡散

起こるよ
起こるよ
起こるよ
と返してきた

関東や東北の人の人生は
もう終わりなんだね
生きのびても
いままで通りの活動はできないんだね
と問うと

どうかな
人は死ぬまでは生きているから
どうかな
それはわからない
生きているつもりで死んでいくのだし
少しでも動けているあいだは
それまで通りの生のつもりでいるものだし
また
いつもながらの
曖昧な返答

外れるほうに
期待しているけれど
どうかな
どうかな
いずれにしても
もう
なにかできる時期は過ぎている
なにが起きても
なにもしない国とわかっている
唯々諾々と
おとなしく滅んでいく民とわかっている

どうかな
どうかな
どうにかしなければ
なんて
もう声も上げない
どうしたらいい
なんて
もう誰にも聞かない
ひとりだけで
動く
自分たちだけで
誰にも
なにも言わず
動く



こうしてぼくらは静かに穏やかに暮し続けた

  


きみと住むことになった家には玄関がなく
畳の六畳間の両開きの戸から出入りした
戸のむこうには1メートルほどの敷石があったが
すぐに道路に繋がっていた
道路への出口には低い柱がふたつ
門のように立っていたが門扉はなかった
すぐにまたげる低い柵が両側に伸びていた

六畳間の中央には低い本棚をいくつか置き
背をつけて左右から合わせてあった
ほんの少ししか本は持っていなかったが
どれも複雑に織られた物語や思弁の分厚い本で
ぼくらには十分すぎる財産だった
きみとぼくはそれらを再三読み直し続け
無数の箇所についてお互いの発見を語りあった

ときどきは本棚のところに
小さなテレビでも置こうかと思ったり
小さな椅子を据えて近所の子どもに座らせ
実際はだれも来ないというのに
客を応接させようかと夢想したりした
思いめぐらせながらもそんなことはどれもせずに
この世になどいないかのように暮し続けた

ある晩六畳間に小さな卓を出して食べていると
外に車が止まって騒がしくなった
乱暴なしゃべり方をする若者たちが
車になにか運び込んだり乗り降りしたりしている
家の前でやってもらいたくないねと話すうち
うるさいなァときみは声を大きくして言ったが
聞こえたら危ないかもとすこし思う

しばらくして車は走り去ったが
関連があるのかないのか
急にふたりの若い男が六畳間に入り込んできた
最近あちこちで暴行事件を起こしている連中だろうか
彼らの大まかなつくりの顔とザンバラな髪型を見ながら
どこの家でも全員を惨殺しているとのニュースを思い出した
と思う間もなくひとりがすぐにきみを蹴り倒した

もうひとりはこちらに襲いかかり
ぼくは近くにあった短い棒を取って応戦しようとしたが
すぐに奪い取られそうになる
奪い取られる瞬間のほんの短い間を使って
どうかわして自分ときみを守るかを考え
武道の型のように相手の膝を払ってバランスを崩し
指を両目に差し入れながら相手の上半身を落す

倒れた相手の目に当てた指をそのまま押して目を潰し
畳に転がった棒を取り直しながら
きみを押さえている相手にかかっていって口に捻じ込む
歯を砕き喉の奥を陥没させてさらに脳まで潰そうと
できるかぎりの力を入れて押し込む
相手の腕や脚が痙攣してきたのを潮に
目を潰したほうの男の眼窩に箸を突きさせときみに叫ぶ

転がっていた箸をすぐに取ってきみは突き刺し
さらに眼窩の中で箸先を掻きまわし形勢を逆転する
箸のなかなかの効用を見てとったぼくも
畳の上に転がっていた別の箸を取ると
棒を口に入れたほうの男の両耳に箸を一気に刺し入れる
暴力を振るってきた男たちが苦悶するのは楽しい
蟹の味噌を掻きとるように箸先でかりかり脳を弄る

襲撃してきた者は人間とは見なさないし
いたぶり続けても殺しても煮ても焼いてもよい
旨くないけど珍味だよねと言いながらきみとぼくは
連中のかなりの肉を少しずつ食べ続け
傷んできたらまわりの公園の茂みや野山に捨てに行った
頭蓋骨はひっくり返して小物入れにしてみていたが
やがて六畳間の戸口の上に並べて飾りとした

大腿骨はちょっと手をかけて磨き上げ
次のふいの襲撃があった時のために骨端に金属板を捲き
四本の手ごろな武器を作り上げた
次の獲物に突き刺すために肋骨もきれいに磨き上げた
その他の骨もきれいに洗って乾かすと
何かの役に立ちそうなちょっとした牌になった
人体には捨てるものナシと格言ふうに言葉を交わしあった

こうしてぼくらは静かに穏やかに暮し続けた
その後もときどきは襲撃があり八〇人近くを屠殺し
肉は毎度食べ続けたが嵩張る骨はぜんぶを保存するわけにもいかず
ある港にボートを繋留するようにして沖によく捨てに行った
しかしそんな必要もだんだんなくなっていった
戸外では人殺しはごく当たり前の時代にいつの間にかなり
殺されたばかりの死体も腐乱死体も骨も街に散乱するようになった

それでもきみと住んだ玄関のない家に一歩入れば
ぼくらは静かに穏やかに居続けることができた
居間の六畳間の戸から1メートルほどむこうには
すぐに道路があって暴力沙汰や殺人が吹き荒んでいたが
しょせんこの世では人は安らぐことのできない定め
家の中に踏み入ってくる狼藉者だけはしっかりと処理しながら
この世ではありえないことなど決して夢見ずに暮らし続けた




2015年2月20日金曜日

国際空港



  
 いくつか
小さめのいなり寿司を買ってある
お茶も買っておいた

搭乗までまだ間があるので
広いロビーでぼんやりしている
ビニールレザーの椅子がたくさん並び
まばらに数人しか座っていないので
特別な空間のようになっている

いなり寿司をゆっくり食べながら
これから始まっていく旅より
今のこの空間のほうが
よほど得がたいもののように感じられる
こんな広いところに
しっかりした理由も権利もあって
見とがめられることもなく
しばらくのんびりと居られる
旅のさなかの
守られたひとりきりのこんな時間の停滞こそ
本当はいつも
旅の中ではいちばん貴重かもしれない

ときどきアナウンスが入る
世界中の空港に飛び立つ飛行機のどれにも
かならず
乗り遅れそうになる人がいて
呼び出しを受けている
日本語や英語
中国語
フランス語
スペイン語
ときどき
聞きなれない言語の場合もある

たくさん並んだ椅子のむこうで
ムスリムの父親が小さな子を抱いて
ロビーを行き来してあやしている
母親は椅子に座り
バッグの中を詰め直しているらしい
ときどき小さな食べ物を持って
夫の腕の中の子のところへ歩いて行き
口に含ませたりしている

彼らの近くに
日本人の白髪の小母さんが座っていたが
ひょいと立って
父子の近くに行って子どもに話かける
父親が笑っていろいろ答えている
小母さんは子どもの歳を聞いたり
どこに帰るのかとか
この子はどんなものが好きなのかとか
あたりさわりないことを聞き続けているのだろう
見知らぬ外国人とサッと親しくなってしまう
万国共通のあの年代の小母さんたちの得意技だ

座っていた母親が
バッグからipadを出して近づく
小母さんにそれを手渡す
家族三人の写真を撮ってくれというのだろう
小母さんは何枚か写し
三人に近づいて画面を見せている
小母さんの笑い声がすこし高くなり
片言の英語が切れ切れにここまで響いてくる

国際空港の
なんとのんびりした時間
そして
空間

小母さんも含めて
4人を撮ってくれと頼まれれば
私もいなり寿司を置いて
むこうまで歩いて行って撮ってやるだろうが
彼らの注意はここまでは伸びない
ipadは家族3人だけを写し
小母さんの姿はとうとう取り込まずに
家族3人の故郷へと向かうだろう

私の目は4人すべてを写し取り
彼らが見なかった
今後見ることもない彼ら自身の姿や
しぐさや笑い顔を
私の内に静かに焼きつけて
さらに
さらに多くの
見知らぬ人びとを写し取り続けるために
あと数十分もすれば
搭乗口のほうに向かい始めるだろう






2015年2月16日月曜日

後戻りのない決意を固めていきながら




つぎつぎ新しく出てくる
文明の利器
というか玩具
それらを使わないわけにもいかないし
避けていればいい
というものでもないし

避け続けようとしている人たち
非人間的なものへの反骨精神を堅持しているかのようで
けっきょくは神経と精神の老化に
もちろん心の老化にも
ぐずぐずと温もっているだけの人たちの
あゝ哀れさ

とはいえ
つぎつぎ出てくる
文明の利器
というか玩具
それらをつぎつぎ手にとって
後からあとから
マニュアル
チュートリアル
使い方
裏ワザ
などなどに時間を吸引され続けるのも
あゝ哀れなもの

けっきょく
どこらへんに中途半端な
つきあい方を設けるか
そのあたりに個人としての賭けがありそう

農耕が発明された頃のどこかの土地のだれかさん
鉄器が発明された頃のだれかさん
時計や羅針盤が発明された頃のだれかさん
印刷が発明された頃のだれかさん
銃や爆弾が発明された頃のだれかさん
飛行機にコンピューターが導入された頃のだれかさん
……

みんな
どのあたりで持ちこたえたのだろう
それまで馴染んできた
古いやり方や道具で
どうしてダメなんだ
ダメなことないだろう
と憤慨しながら
押し寄せる新たなものに
触れたり
ムカついたり
投げ出したり
離れたり
また戻ったり
中途半端な
つきあい方をし続けながら

しかし
こっちのほうに流されていっても
ぜんぜん賢くはならないがナ
すばらしい精神のような方向にはなっていかないがナ
としみじみ思いながら

ニンゲンとやらにつき合うのは
この生でもう
止めにしようかナ
まるで
いつまで経っても
つぎつぎ出てくる玩具に馴染み続けるだけで
時間を生を費やしていく
使い手のようでいて
じつは奇妙な使われ手
そんなニンゲンとやらにつき合うのは

一滴一滴ずつでも
宇宙の無限のなかで
後戻りのない
けっして戻らない
決意を固めていきながら




岩石や植物に学ばないで

  


ひとにどう思われようが
じぶんが
じぶんの望みどおりにピンと動く
動いたあとの結果が
じぶんにピンと返ってくる

このことの他に
しあわせというものはないから
ピンと動けるじぶんを
整備し続け
結果をピンと
受けとめられるじぶんを
さらに磨く

もちろん
じぶんの望みがなにか
ズレた望みに向かっていないか
見きわめは大事

辿りつかないでもいい
未知の
じつは不毛な
あこがれの島を求めて
ひとは航海を続けたりするものだし
浪費や破壊や裏切りを重ねてまで
巨大な塔をつくり続けていたりもする

大元の理由となる望みというものが
じつは最初に捨てられるべき
つまらない気まぐれであったりする
そんなことが
ほんとうに多い
位置をほとんど変えずに
在ることの富をじっくりと生き切る
岩石や植物に学ばないで
動くことが生だと
妄信しているばかりに
妄信させられているばかりに


2015年2月12日木曜日

いただきます



   
いただきます
と食前に言うのは
にっぽんの美徳

そう言われるのを聞いてきた

しかし
こんな話を
ある霊能者から聞いた
いただきます
と食前に言ってはいけない
絶対にやめてくださいと

いただきます
と言って食べる人たちの
からだに
こころに
たましいに
食物に含まれるすべて
食物が帯びているすべてが
染み込んでいく
それがよく見えるという
栄養も染み込むが
食材や料理に付与されたすべての
雰囲気
思い
添加物まで
染み込んでいく

肉ならば
殺される動物たちの感情
切り裂かれる痛み
じぶんを殺す者への報復の念
最期に見た工場内の風景
作業する人間たちの心のようすまでも

野菜ならば
土壌に撒かれた農薬
降ってきた汚染物質
さらには土にこびりついている
古くからの土地の記憶

加工食品なら
ベルトコンベアーに並ぶ
労働者たちのさまざまな思い
経営者への呪詛
彼らがきのう見たテレビ番組の波動
出勤時に経験した
押し合いへしあいの電車の雰囲気も

だから
いただきますと言うのは
もうやめてください
ぜんぶが自分に染み込むのを
許可してしまう
魔の言葉ですから
残念ですが
時代はすっかり変わってしまっています
食物が帯びているすべてを
ぜんぶ取り込んではいけないのです

口のところで
喉や食道で
さらには胃でも
ぜんぶを取り込まないように
微細なナイフや
こまかい毒の粒を除くようにしながら
むしろ
わたしはわたしによいものだけを摂る
害毒のあるもの
余計なものはすみやかに
わたしのからだの力で消滅させる
と思ってください

なるほど
とわたしは思ったが
しかし
この霊能者の言うことに従う必要もない
と考えた

なぜなら
こう聞く前に
わたしはとうの昔から
いただきます
というのを止めていたから
もう何十年も
言ったことはない
思ったこともない
儀礼的に
いただきます
と発語することもあるにはあるが
発語とこころを切り離してしか
言うことはない


(……
(わたしを導く多くのものがいて
(正確にわたしを動かし続けている
(心の動きも
(体調も
(ゆえしれずに襲ってくる疲労や怠惰さえ
(すべてが計算され尽している
(だから
(外部のものはなにも信じる必要がない
(情報を探す必要もない
(要るものはすべて自然に手元に現われ
(聞かされ
(読まされるから
(ソクラテスはむかし
(これをわがダイモンと呼んだ
(わたしは単に勘と呼び
(思いつきと呼び
(なんとなく…と呼ぶ
(これから激変の時が来るにあたり
(わたしの言葉がわずかに伝わる先の人びとには
(同じことをつよくお勧めする
(たゞ最初の勘にのみ従い
(疑いや思考には従わないように
(だれひとり独りで生きてはいない
(多くの見えない導き者によって取り巻かれており
(これからはいっそうのこと
(それらの導き手たちに素直に従うように
(どれほど驚くべきことや
(恐ろしいこと
(悲しいことが襲ってきても
(大宇宙の時空の壮大な罠のなかでは
(すべては過去にして未来
(すべては今
(したがって生きているじぶんはすでに死んでいる
(死をとうに経ているものを損ないうるものはないと
(究極の認識を思い出して乗り越えるように
(……




悪魔




残虐非道な集団が国をつくって
人質を取っては首を切ったり
火あぶりにしたりし続けているという
中東地域に広がり続け
破壊や殺戮をくり返しているという
ヨーロッパやアメリカ
それ以外の地域へも人員を潜入させ
テロをどんどん起こそうとしているという
悪魔そのものだと説明する人たちもいる

…おかしい
でき過ぎている

ある集団が残虐非道なことだけをする
破壊や殺戮だけをする国になる
農業も工業もろくにしていないのに
集団として活動をし続ける
兵器工場もないのに
ふんだんに兵器を持っている
兵器は手に入れただけでは使いようもないのに
それらを駆使している
兵器はどこから来て
だれが使い方を教えている?
女もいればそこで生まれた子供もいっぱいいて
戦争と殺人の訓練だけに明け暮れているともいう
老若男女全員が100パーセントの悪魔
まるでSFに出てくる悪魔の星のようだが
こんなことが
あり得るとでもいうのか?

ニッポンは昔
欧米世界でもっとも憎悪され恐れられた
獰猛で残虐な戦争国だった
欧米人から見ればみな同じ猿のような顔
なにかといえば日本刀で首を切り
自分の腹を切り裂くような異常行為さえする
中国朝鮮では村から村と虐殺してまわり
殺光・焼光・搶光、すなわち
殺し尽くす・焼き尽くす・奪い尽くすという三光作戦を
日本陸軍北支那方面軍が行ったともいわれる
それらの記録には誤りや偏向や故意の政治的誇張もあるだろうが
ニッポンが行った残虐行為や破壊や殺戮の数といったら
いまニュースを騒がしている中東の残虐集団どころではないだろう
それだけはたしかはず

この世界最大の理不尽な残虐国の末裔のぼくらが
唯一たしかなこととして知っているのは
こんな残虐100パーセントと見られた国のなかにも
たくさんの繊細さと上質と美とやさしさと情愛とが
本当にあったこと
同時に存在していたこと
少なくとも100パーセント残虐非道ではなかった
ということ
その部分が細々と生きのびて
敗戦と壊滅後のニッポンとなったこと
父たちとなり
母たちとなり
ぼくらとなったこと

中東の残虐非道集団を
100パーセント残虐非道とみなすことにも
絶対的な間違いと過失があるはず
赦せとか認めよとかいうことでなしに
こちら側の認識上の過失があると思うべきだろう
ものの見方やとらえ方や考え方において
愚かでありたくないならば

100パーセント悪魔そのものの集団など
あり得るわけがないのに
そういうものが中東に生まれて
どんどん破壊と殺戮をして
世界に広がろうとしている
と声高に言われている

ありうるわけないじゃないか
そんなこと

悪魔はいつも100パーセントでなどありえない
そういう事実こそ
いちばん悪魔的なのだ
そこがいちばん恐ろしいのだ
たった1パーセントだけ雑じった悪魔っぽさが
全体を悪魔的にしてしまう瞬間があるのが
いちばん悪魔的なところなのだ

あいつらは100パーセント悪魔だ
とレッテル付けする者が
やはり
悪魔になってしまっている
そこがいちばん恐ろしいのだ
悪魔は認識を左右するところから
まず入ってくる
悪魔が出現する時は
片方だけが悪魔だということはあり得ない
両方にしのび入って争わせようとする
憎しみあいや
絶望や
悲嘆から生まれる心の苦い汁
腐敗した汁
どろどろと粘つく汁こそが
悪魔の大好物だから