2018年12月13日木曜日

兼済と独善



            詩解* 白楽天
新篇日日成 
不是愛声名 
舊句時時改 
無妨悦性情
但令長守郡 
不覚欲帰城 
祇擬江湖上 
吟哦過一生


ホイットマンやユゴーが
さんざん社会や政治のことに言及するというのに
にっぽんの詩ときたら……
と思わされ続けだが
考えてみれば
この国の文芸に巨大な影響を与えた白楽天も
天下国家を扱った詩を
たくさん作っていた

白楽天の詩を読む際には
兼済
独善
というニ語がキーワードになるが
兼済は
社会を民をひろく(兼)救う(済)という意味で
独善は
独り善しということ
プライベートを楽しむということ

このふたつのテーマのあいだを
白楽天は一生にわたって行き来し
詩作を続けていて
いにしえの中国詩人たちの例に洩れず
天下国家のこと
戦乱のこと
身のまわりの小さな物事や
花鳥のことなど
倦むことなく歌い続けた

兼済と独善を
あまり強調せずに
あるいは
まったく触れずに
この国の漢文教育は為されてきた場合が多いようだし
そもそも
兼済のほうを
故意に言い落とした教育をすれば
天下国家のほうはやりたい放題しやすくなるのだから
はて
教育上の陰謀ででもあったのか
とも勘繰ってしまう

にっぽんの詩は
中国詩で言うなら
中唐の終わり
李賀のあたりから
晩唐の杜牧や
とりわけ
李商隠あたりの雰囲気のなかに
べったりと浸け込まれたまゝなのか
王朝の衰微や社会の混濁のなか
情熱を向ける対象をすっかり失い切った
詩という試への
挽歌そのもの
どこまでも
引かれ者の小唄でしかない
極小市民のつぶやきや
書きつけ


*詩作について」 白楽天
新しい詩を毎日作る。
これは名声を求めてのことではない。
以前作った詩を何度も手直しをする。
これもなかなか面白い。
州の守りのお役目がいつまでも長く続けばいい。
町に戻る気がしない。
ただこの水辺の地で
詩を読みながら一生を過ごしたいと思っている。




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