母が死んだとき
忌野清志郎が知らされたのは
それがじつは母ではなかったということ
ほんとうの母は
彼が三歳のときに死んでいて
母であるかのようにずっと彼を育ててきていたのは
ほんとうの母の姉
伯母だったのだということ
彼はそれを
ザ・モンキーズの「デイドリーム・ビリーヴァー」*を借りて
日本語で**
ずっと夢を見て
安心してた
ぼくはデイドリーム・ビリーヴァー そんで
彼女はクイーン
ずっと夢見させて
くれて
ありがとう
ぼくはデイドリーム・ビリーヴァー そんで
彼女はクイーン
と歌い込み
ザ・モンキーズがとうに顧みられなくなった
昭和末期から平成に亘って
RCサクセションではなく反権力土方バンドのザ・タイマーズ** *として
反原発のザ・タイマーズとして
広島平和コンサートのザ・タイマーズとして
パレスチナ独立記念パーティーのザ・タイマーズとして
放送禁止用語反対のザ・タイマーズとして
デイドリーム・ビリーヴァーを日本に流し続けた
忌野清志郎が死んだあとは
彼のかわりに
セブン・イレヴンが
もっともっと
大規模に広範囲に そんで
みごと巧妙に
歌い続けている
ずっと夢見させて
くれて
ありがとう
ぼくはデイドリーム・ビリーヴァー そんで
彼女はクイーン
次の年号になっても たぶん
セブン・イレヴンは
もっともっと
大規模に広範囲に そんで
みごと巧妙に
歌い続けていくだろう
*The Monkees “Daydream Believer”
**ザ・タイマーズ 「デイドリーム・ビリーバー」
***ザ・タイマーズ
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