2018年12月26日水曜日

ずいぶんと気分のいい街

 

予想もしなかったのに
ひさしぶりに来て足を進めていってみると
ずいぶんと気分のいい街
信号が変わるまで待っているあいだも
心の底まで
ゆったりとしていられるようで

この通りの
そう、あのあたりに
むかし
ずいぶんぼくを好きになった女性詩人の家があって
古い大きなお寺の娘さんだったが
いちど本堂まで招かれ
仏像だの
絵巻きだの
江戸時代からの古いものを見せてもらったりした
さほど見たくもなかったのだが
せっかく近くまで来たのだから家に入っていってほしいと
せがまれて

どうして会わなくなってしまったのだろう
と思い出してみれば
あまりに小さな声で話すひとで
カフェで話そうにもまったく聞こえないし
電話でさえ聞こえたり聞こえなかったりだし
ましてや道や駅前に立ちどまって
どこの店で食べようかと決めようにもほとんど聞こえないので
聞こえるふりをしたり
聴きかえしたり
それをくりかえし続けるのが
つらくて
つらくて

喉に問題があるのでもなく
たゞ声が異様に小さくて
いちど防音室のような喫茶店に入った時だけ
小さくラジオをかけているようになんとか聞こえ続けたが
それでもこちらが前かがみになって
チゴイネルワイゼンの録音で
サラサーテがつぶやいた声を必死に聞きとろうとするように
耳に手のひらをあてて首を傾けて聴き続けるのが
つらくて
つらくて

そのひとのあまりに小さなそんな声のために
ほんのちょっと故意に
ほんのちょっと積極的に
会うよりは会わないのを少しずつ選ぶようになっていった末に
いつかすっかり会わなくなって
なんとなくやりとりしていた手紙だの季節の挨拶だのも
とうとう送りあわなくなって
果てていった
そのひととのやりとり

そのひとと歩く時には
いつもそのひとの声を聞きとろうとするのに疲弊して
雰囲気を楽しむ暇もなかった街
こころゆくまで見わたすこともなかった街

それなのに
いま
そのひとをすっかり失って
そのひとにすっかり失われて
ひさしぶりに来て足を進めていってみると
ずいぶんと気分のいい街
信号が変わるまで待っているあいだも
心の底まで
ゆったりとしていられるようで




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