2012年3月10日土曜日

ホイットマンさん!

[微妙にぞんざいな言葉づかい+タメ口ふう。かつ、各行ほとんど一文ずつ、途中までは句読点付きで。]





ぼくはぶらつきながらぼくの魂を招く、
ぼくはゆったりと寄りかかり、ぶらつきながら、
萌え出たばかりの夏草を眺めやる。
ホイットマン「ぼく自身の歌」*







携帯電話。スマートフォン。携帯端末。それに、PCにも。
興味がない。
悪いかね?
悪いですかね?


そもそも、電話が嫌いである。
しゃべるのも嫌いだが、電話でしゃべるのは最も嫌だ。
息が詰まる。
相手の話を聞いているのは耐え難いし、
相手が言葉を探したりするのにはつき合っていられない気になる。
かといって、
どこかのアナウンサーのようにべらべらしゃべる奴こそ
第一に地獄に堕ちろだ、こんちきしょう。
お前の話につき合う気なんてないんだよ。
しゃべる権利を勝手に奪取するんじゃない。
糞食らえ、この野郎。


なにがコミュニケーションだ、と思う。
日本語で訳すと「意思の疎通をする」だとか「気持ちを通い合わせる」だとか。
すげえこと言ってるのである。
「疎通」ってんだからね。
なんだ、「疎通」ってのは? 
辞書引くと、「うまく通じること」とある。
じゃ、あれか、お通じがうまく出た時など「疎通じ」って言ったらいいのか? 
冗談じゃないんだよ、こんな言葉、ふつうじゃ使わないんだから。
「そういえば、あの話、先方に疎通した?」なんて、使わないだろ? 
英語を当てはめると変になる。
だれだ、コミュニケーションなんて言い出した奴は。
せめて、カミューナケイトぐらいに導入してくれれば、
英語で話す時にちょっとは役立ったのに、
コミュニケーションときたもんだ。
これじゃ、英語のルビの役にも立たず、日本語にもなっておらず。


そういえば、カミューンっていう英語がある。
Communeというのだ。
Commune withと使うと、
「何々と精神的に親しく語る、交わる」という意味になる。
どうしてこっちのほうは導入しなかったのかね。
「明日のカミューンのために。ドコモです」
なんて言ったら、これはちょっと、オオ!と思ってしまうね。
「疎通」より
「何々と精神的に親しく語る、交わる」ほうが
深い。
偉そうである。
凄いだろう、
こっちのほうが。


携帯電話。スマートフォン。携帯端末。それに、PCにも。
持っていない
わけではない。
ぜんぶ持ってるよ。
どれもこれも
買った当初ははまったね。
で、
飽きた。
あんなのハマり続けるの、ガキでしょ?


興味がない。
悪いかね?
悪いですかね?


はやく
次の遊び道具
出せよ。
電気屋どもよ。
しょせん、
お前ら電気屋でしょ。
ガチャガチャ屋でしょ。
消費者の足をお舐め。
そうして
金が欲しいんだろ。
儲けたいんだろ。
だから
どんどん作れよ、新しいのを。
飽きてんだよ、もう。
携帯電話。スマートフォン。携帯端末。それに、PCにも。
古いんだよ。
飽き飽きしてんだよ、
もう。
ビジネスとかなんとかカタカナで言ってないで、
商い、って真っ当に表現して、
子供騙し商品にふさわしくリヤカーでも引いてスーツ来たバカに売りつけて、
まぁ、
何様にだか成ったような気になってやがれよ。


たとえば東京の大きな駅を歩く。
見よ、
どいつもこいつもスマホを見ながらゆるゆる歩いたり立ち止まったり
さびしいさびしい光景である。
スマホ虫と呼んでやろう。
長四角の光を発するホタルを携えた人体みたいな
じつはゾンビである。
これから太陽が膨張して地球が呑み込まれるまでの長い長い歳月
あるいは原発がいくつも壊れてもっと早まるかもしれぬが
とにかく人類がみな滅びるまでの間
永遠に人類はスマホ虫であり続けるのかと思うと絶望的
になるべきか
とも思うが
なんであれどうでもいいやと思ってしまう俺なので
そう気にしてないよ。
本当は
日本政治の今後も
アジアの安定不安定も
沖縄基地問題も
人口減少問題も
領土問題も
放射能汚染も


(ダンダント句読点ヲ省キツツアル、ヨ…


放っておいただろ
硫黄島の最後の兵士たちのことも
サイパン島の民間人も
水俣も
イタイイタイ病も
パレスチナでの虐殺も


あのように
時間が経てば平穏が訪れる
あのように
あのように


だから
いいのだよ
どうにかなっていくのだよ
ものごとは
済んでいくのだよ
片付いていくのだよ
大空襲の後の東京の静けさ
原爆後の広島長崎の静けさ
朝は来るのだよ
また草は芽吹き
また人は増え始め
時間はどんどん経って
いつのまにか
また危機が来て
また滅びが来て
また静けさが来て
また草は芽吹き
どうにかなっていくのだよ


スマホ虫の墓が
できるかどうかわからないが
スマホの死骸の山はもう方々に出来てるってね
まぁ、金属もガラスも
地球から掘り出した鉱物だしね
死骸は地球に帰るわけだろう
何億年だかわからないが
地球が太陽に吞まれる頃にはiphoneだって土に戻っているんじゃないのか
ウランの放射能だって永遠ではない
宇宙のひと呼吸の長さには敵いっこない
もっと長い視野を持とうじゃないか、兄弟よ


こうして俺はようやく戻っていく
(急だな、なんだか…
詩の巨大な父へ
ホイットマンへ
ようやくだ
こんな彼の響きへ
(急でもなんでもいいのが自由詩形だ
(ありがとさんよ!アポリネール!
(あんたらが頑張ってくれたもんだから
(もう、バンバンよ!
(バンバン!


「市場、政府、労働者の賃金、そういうものがぼくらの夜や昼の過ぎゆくなかで、どれほどの意味を持つのかを思う、
ほかの労働者は相も変わらずそれらのものに大きな意味を見つけているのに、ところがぼくらはほとんど意味を認めぬことを思う。

通俗と洗練、君のいわゆる善と君のいわゆる悪、これらのもののあいだにどれほどの違いがあるかを思う、
世間の人にはその違いは相も変わらず大きいだろうが、しかしぼくらはその違いの及ばぬあたりにいることを思う。…………」**


すごいものだ、
この世には時たま
本当の詩人が生まれることがある。
本当の詩人は巨大なおおらかな物言いをするのだ。
ホイットマン!
思い出し直し、
調べを俺の魂の咽喉に蘇らせよう。
ホイットマン!
こんなふうに大詩集を始めた詩の真の神!


「さあ、とわたしの『魂』が言った、
わたしの『からだ』のためにこんなふうな歌を書こう、(わたしたちは一つのものだ)、
もしもわたしが死んだあと目に見えぬ姿となって地上にもどり、
それとも遠く遥かなのちの世に、ほかの天体の住人となり、
(「大地」の土、樹木、風、逆まく浪と調べを合わせて)、
どこかの仲間の群れを相手に、ふたたび歌い始める折でもあれば、
いつも嬉しげにほほ笑みながら歌いつづけ、
いつも変わらずこれらの歌をわがものとしておけるよう――さらばまず、ことのはじめに、
「魂」と「からだ」に代わって署名者となり、これらの歌にわが名をしるす、

ウォルト・ホイットマン」***


まさかあなたに会うとは思わなかったよ、ホイットマン。
「携帯電話。スマートフォン。携帯端末。それに、PCにも。」と書き出し、
「興味がない。」と続け、
「悪いかね?」と三行目、
「悪いですかね?」と第一連を結びながら始めたのだったから。
まったく!
ものは書いてみるものだ!
書き続けてみるものだ!
あなたの大らかな香気に触れ直して
俺はひとりだけ平成の真ん中で大河と草原を取り戻したみたいだよ。
あなたからウイリアムズ、パウンド、ギンズバーグに流れていった語り過ぎ詩の系譜がどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどと来る!
来る!来る!来る!来る!来る!意味を杖にしながら意味をストリップしちゃう書法が!
まあ、今日はここまでだ!
俺はどうしたわけかずいぶん「!」を使ってるな!
使い出しちゃってるな!
なあるほど!
こういうわけか、どうして吉増剛造が「!」をあんなに使い続けたか、
こういうわけだったか!
どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど
だったんだな!
どどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどと来てたんだな!


(吉増サンは
(ランボーを真似るのは楽だが
(パウンドを真似ることはできないと言っていた
(ランボーの真似はついに済んだかな、俺は
(ついにかな、
(やっとかな、……


ありがと!
ありがと!
ホイットマンさん!
御礼!
全霊御礼!
ありがと!
ありがと!






*ホイットマン「ぼく自身の歌」(酒本雅之訳、岩波文庫『草の葉』[上]p.107
**ホイットマン「時間を思う」(酒本雅之訳、岩波文庫『草の葉』[下]pp.153-154
***ホイットマン「序詩」(酒本雅之訳、岩波文庫『草の葉』[上]p.44



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