2013年2月28日木曜日

詩論




心や考えがにゅうっと盛り上がっていくんだね
そこにわさわさと言葉が集まってきて
盛り上がりの外壁にぴたぴた貼りついていく
そういうモザイクふうのものが詩だと思う






2013年2月27日水曜日

さいごのところ




主張するようなことが本当にわたしにはなにもない
まよっているからことばにすがるのだし
わたしの記すことばなんてまよいのすがた

なにかわかっているかのように
なにかしっかりと考えられるかのように
感性がふかくひろいかのように
どうしてだれもがふるまうのだろう
ふるまわなければいけないのだろう

助けなんてない
どこからも来ないのを知っている
ことばは
さいごのかたち
すがた

この先には
なにも
ないのだ

人間というものの
さいごの
ところ

2013年2月26日火曜日

いつか




Elle dure peu, la fête des fous....
Leporello dans Don Giovanni
長続きはしないさ、気違いどもの祭はな。
レポレッロin『ドン・ジョヴァンニ』




……読むもののうちには詩もたくさん混じり
長編小説の数々や殊に長大なサーガの類に疲れると
長いといってもせいぜいが『チャイルド・ハロルド』程度の
あるいはワーズワースの『序曲』程度の
詩…なるものの中途半端さと
しかし長大な散文以上の謎の構築の深みとに癒され
しばらくして再び散文の長編フィクションに戻っていくのだった

はじめて買った英語の詩集はワーズワース詩集
J.M.Dent&Sons LimitedWalford Davies(St.Anne’sCollege, Oxford)
読むというより意味をちょぼちょぼと拾いながら
こまかな意味あいの読めなさに慣れていくという夏の日々
高校時代にはのんびりと送った懐かしいポプラの並木たちよ まだ見える
なおも見える 広大だった英国風グラウンドの
もっとも幸せだった本当に若かった頃 すなわち
もっと前世に生以前に近かった頃
いまだに詩などいちども書いたことはないけれどなぜか詩を嫌わなかった
愚かな愚かな愚かな少年から青年へと 四月から十月の草よ
ぼくはいつまでもお前たちのあいだに居続けている魂
などと呼ぶのは浅薄だが(魂という呼称はいつも浅薄)その後十年も
二十年もして 出会った自称他称詩人群は(浅薄だが)魂のない自称詩を
次から次と製造するばかりで付きあいきれない連中だったが
認めるふりをして最初の数行だけ見て目を逸らして
ぼくはあいかわらず本当はワーズワースたちを
コールリジたちを読み続けていた

〈クーブラ・カーンは命じた、
〈ザナドゥに壮麗なる歓楽のドームを建てよと。
〈聖なる河アルフはそこより流れ
〈人間には計りえぬ洞窟をくぐって
〈陽の差さぬ海へと下っていた。

In Xanadu did Kubla Khan
A stately pleasure-dome decree :
Where Alph, the sacred river, ran
Through caverns measureless to man
  Down to a sunless sea. *

謎を求めていたので魅力を求めていたので白けは嫌悪していたので
集中を 狂気に近いほどの繊細を求めていたので
1960年代以降に容易に手に入った日本語の詩はあまりにつまらなかった
現代詩などと人は読んでいたがなんの共感もできぬままに 確かに
不確かに 現
代詩
をほとんど読んでみたがやはり共感はできず
アアホントウノ才能ナドイナイナ、現代ニッポン語ノナカニハ、と
ザナドゥに戻っていく心

悪いか?などと問う相手もおらず死に絶えた家系に残った(疎林を抜けて
禿げ山のようになっている丘の上に建つ)古い家に
ひとり戻り軋む扉を閉めると現代などというものはそこには
染み込んでさえ来ずキシキシと廊下を歩くぼくの軽い体重だけが移動し
sunless seaのほうへと自動航行する遺伝子の引力で
たとえ世事の用件があわただしく角膜のおもてを過ぎようとも
流れるものなど本当はなにもなく
曾祖母の代よりもう幾つか前からの着物を冬など着重ね
ギシギシいう机に寄り掛って紙質のよい19世紀前半の本をめくり
時には食堂にユゴーの若い頃の詩集を抱えて
ついでにヴィニーの晩年の狼詩を
ミュッセの散り落ちた花弁のような詩篇も携え
分厚いバイロン卿の数巻さえも食卓の端に重ねて
しかし結局読まずに夢想したままで大きな白紙に落書きのように
言葉を書き連ねるままで深更に到り

祖母の代頃よりの厚手のシーツの皺を伸ばしてベッドメイキングし
たったひとりでその夜の(その世の)最後の明かりを吹き消して
(その世の)
(その世の)
シーツとシーツの間にもぐり込んで
寝入るというより闇のごーっと無音の襲いかかるような重圧に包まれ
ひとりだったさらにさらに
さらに
ひとりでさえなかった闇の中の白い
しかし白いという認識だけで支えられた白さのシーツの
中に体を置き捨てて 思いは(体の中にいる、と科学癖は言いたがる
だろうに)体からはっきりと少し逸れ
だろうに)
だろうに)
もう色もなければかたちも輪郭もない領域にいて
ひとりでさえなかったということだつまり
色もかたちも輪郭さえ
ない領域にいて
つまり

ぼくは覚えている
もし生れでもしたらどうするのだろう
本当には生れていないぼくだがもし生まれでもしたら と
ちょっと
いやいやかなり
不安だったことを闇の中で
不安はさざ波を生みだんだんと大きくなり
しかしやはり大波にまではならないまま小波のまま
闇のなかにさざさざ
さざさざ と
まるく波紋を描きながら伝わっていく
その伝播がぼくだったのではないか生の以前の
前世の
すべて(といっても妄想にすぎないのだが、ともかくも
すべて であるかのような すべて )が始まる前の

いつか
詩でも書いてみようか
まだいちども試みさえしたことのない
謎の言葉の並べ方のほうへと
たった
一行
ひと文字
でも

いつか



*E.H.Coleridge : Kubla Khna : Or, a vision in a Dream A Fragment




2013年2月25日月曜日

たえず湧きあがる思いを掻きまわし続ける




     人間は肉でしょ、気持ちいっぱいあるでしょ。
            藤原新也『メメントモリ』


バスクリンは
子どもの頃からのあこがれ
風呂釜が傷むからと
うちでは買ってもらえなかったので
おばあちゃんの家に行くと
入浴がうれしかった
みどりのお湯に入るなんて
夢のようだった

はたちを過ぎてからは
入浴はほとんどしなくなり
シャワーだけですます
入浴なんて時間と水のムダ
そう思うほど忙しい日々
シャワーしか浴びない
外国人の彼女と暮らしたので
二十年ほどは湯船に浸からなかった
湯船はあったけれど
お湯を溜める方式のもので
沸かすという感じでもなかった
それでも冬の寒い日など
たまには入浴したかもしれない
年に二度か三度
それ以上は飽きてしまって

ながい年月が急流のように過ぎ
いろいろな家やマンションを転々
いま住む家には湯船もあれば
給湯設備もちゃんとあって
この人生ではじめて
風呂に入るのが容易になった
三十年かかったのだ、ここまで
たったの一度も
入浴の楽な家に住まなかった

もう冬も終わろうとしていて
バスクリンが安売りされていたので
違う香りのものをふたつ
そうするのが当然のように
買い物カゴに入れてレジにいったが
レジ係の女の子はもちろん
驚きもせずにバーコードをピッ
そうするのが当然のように

そうして使いはじめたが
やっぱりなんとなく楽しくて
湯船にながく今日も浸かっている
能書き通りほんとうに体にいいのか
わからないけれども
色のついたお湯に浸かっているのは
子どもの頃さながらに楽しい
体が冷えている時など
脚のおもてがむずむずと痒くなり
こんなふうに冷えが浮き上がって
追い出されていくのかと感じる

そんな痒みがなくなっていくまで
お湯の中に入り続けていると
あわあわという感じで
輪郭のはっきりしない思いに
あたまの中はぼんやりしてしまうが
湯気みたいな靄みたいなそんな中
たびたび浮ぶのは外国人の彼女
仕事と自分たちのやりたいことを
お互い邪魔しあわないように
近くにべつに住むようになったが
ガンにかかって数年前に逝った

最期の二年ほどは療養を助け
病院に彼女の家にと落ち着かぬ日々
あれこれいろいろなことを
してやったようには思うものの
沸かす設備はないながらも
彼女の家に見舞いや介護に行くたび
湯船にお湯を溜めてバスクリンを入れて
温まらせてから風呂を洗ってやって
毎度そうして帰るようにしたら
もっとよかったのにと思われ
なんでそうしなかったのだろう
なんで思いつかなかったのだろう
たしかに彼女はシャワーを好み
わたしがいる時にはテーブルに就いて
最期の貴重な時間のひと刻みずつを
話したり黙ったりしようとしていたけれど
ガンには体を温めるのがたいそう効くと
あんなにもわかっていたというのに
風呂をたてるという面倒をどうして
毎回やってやらなかったものだろう
みどりやオレンジのこんなお湯に
じゃぶじゃぶしながら温まって
風呂脇にでもわたしは腰を下ろし
そこでのんびり話でもしたり
なにか食べ物をつまんだりすれば
よっぽどよかったはずなのに

いまとなってはなにもかも
もうとりかえしがつかないこと
安手のドラマやお涙ちょうだいの
ドキュメンタリーみたいに
おおげさに考えてなどはおらず
大仰に悔やんでもいないけれど
たいしたことでもないような
たったそれだけのことが
あの時いろいろ考えていたのに
なぜだか思いつかなかったし
やってやれなかったなあと
人目につかない井戸の底に投げてみた
小石かなにかのように気にかかる

シャワーで十分だし
体も逆に疲れてしまうから
そんなこともちろん必要ないと
彼女が言っただろうことはわかるが
やってやればよかったのに
行くたびに風呂にお湯を溜めて
そうしてもっと
重病に凍えた心までを
温まらせてやればよかったのに
そう思いながら
そう思いながら

…なんて冷たい冷たい
凍えた心持ちのわたしだったろう
その凍えた心を
もっと融かさなければ
わたしとわたしでないものとの
境がほんとうに失せてしまうほどに
お湯の表面をざぶざぶ
ときどきかきまぜて
ざぶざぶ
いつまでも
いつまでも
たえず湧きあがる思いを
掻きまわし続ける



2013年2月24日日曜日

こわいんだよ




そろそろ歳をとってきた
とも
言えないでもないお歳かなァという
ぐらいの女たちが
バチッと
音がするようなぐあいに
連絡を絶ってくる
こともある

―女は
興味を失うと冷酷だからね
さっぱりと
相手を切るからね…

などと
俗説もあるし

ほんと、その通り、と
みずからを省みながら言う
女もいて

―だから、あなた
友だちとして
捨てられたのよ…

などと
結論して来られたりも
するのだが

…哀れだなあ
とも思う

はじめから
こちらは
友だちと思ってもいず
話かけてくるのに
あわせ
話かけられ方に
あわせ
ゆらりゆらり
のらりくらり
数年
数十年
応対してきただけの
ことだから

けっこう
こわいんだよ
ってのも



2013年2月23日土曜日

どこまでも靄のなかの大き過ぎる地方で





少しくつろげる時間

語らおうか
いなくなった人たちと…

そう思ったこともあったが
あれは
まちがい

いなくなった人たちさえ
ほんとうは
わたしが自分と語らうための

かれらがいた時でさえ

たぶん
わたしも
わたし自身のための

だれが
だれを
どのだれを
こんなにまで知りたいと
疼いているのか

わたしという
おおまか過ぎる
呼び方のなか
どこまでも靄のなかの
大き過ぎる
地方で


2013年2月21日木曜日

次の時間の扉から扉へと




どこかに行かないことを
さびしく思っても
いない

ここにいるのも
いいもの

いるというのは
たいてい
いないようなものだから
どこかも
ここも
いるも
いないも
ほんとうは
切実でなどない

あかるい菜の花が
束ねられて
花屋の店頭に飾られていた

そこに
いたとも
いなかったとも
こだわらずに
菜の花のあかるさを抱え
次の時間の
扉から扉へと
開けていく




昼を過ぎると急な疲れと眠気を…



昼を過ぎると急な疲れと眠気を覚えた。午後は予定がなかったので、少し眠ることにした。

短い眠りから覚めるとだいぶ疲れがとれていたが、なぜかコーヒーが一杯飲みたくてしかたがない。それも、家でインスタントコーヒーを淹れるのでなく、カフェのコーヒーが飲みたい。ちょっとケーキも食べたい。

となりにあるカフェでは、今日はどんなケーキがあるだろうと思い、着直した普段着のまま出かけた。古びたゴム草履をつっかけて、自分の部屋から通りに出る勝手口を出た。車が通れるほどの細い通りを渡ると、カフェだ。部屋で仕事をしているような時、夕暮れに灯るこのカフェのネオンサインが部屋の窓から美しく見え、借景になる。

カフェのケーキのショーケースにはいつもながらに色とりどりのケーキが並んでいるが、チョコレートケーキもある。ここのはとても旨い。これを頼むことにしようと決める。

席につくと、ウェイトレスが来る。外に面した厚いガラスに接する白いテーブルと白い椅子。ここからは家の自分の部屋が見え、玄関も見える。コーヒーとチョコレートケーキを頼む。

ケーキを覗きに出ただけなので、財布も携帯もなにも持っていない。取りに行ってこなければ、と思う。ウェイトレスに、テーブルに運んでおいてくれと声をかけ、通りを渡って自分の部屋に戻る。財布と携帯、薄い端末、軽いPCも皮の手提げバッグに入れる。部屋の窓からカフェを見ると、まだコーヒーもケーキも運ばれていない白いテーブルが見える。あそこに戻って、しばらく、今の気分から生まれてくる短文を書きたい。バッグを提げて、部屋のドアを開け、また通りを渡って、カフェのドアを開ける…

―と、目覚めたのは、カーテンを開けたままの寝室だった。カフェなど家のとなりにはないが、さっきまで見えていたカフェが、寝室を出ればすぐにそこにあるかのように感じ、寝室の外の廊下に目をやってみる。

もちろん、カフェなどなく、廊下があるばかりで、誰もいない午後の家の中の静けさがある。

それにしても、カフェとそれに隣接した自宅、その間を通る道の、なんとリアルすぎる感覚だったことかと思い、いずれ住むことになる住まいなのだろうか、それともいつか住んだことがあっただろうかと心にかかり続けるので、すぐに机に就いて、そもそものはじまりから短くたどり直そうと思い、書き出す、

「昼を過ぎると急な疲れと眠気を覚えてきた。午後は予定がなかったので、少し眠ることにした…



2013年2月20日水曜日

ぴったりさ




国際法上では軍隊と扱われているからと
自衛隊という名を国防軍に変更したがっている
安倍首相

「シビリアンコントロールの鉄則や
憲法の平和主義、戦争放棄を変えるつもりはない」
と強調しているので
悪くばかり取りたいとも思わないが…

大震災の被災地での自衛隊の
地道な労苦多い活躍ぶりを思い出すと
国防軍という名は
そぐわないし
彼らにとって名誉とも思えない

救助隊や救援隊という
シンプルで正確な呼称がいちばんだが
ま、自衛隊でいいのではないのか
軍隊と訳したがる海外には
誤訳だよ、それは
と言い続けたらいい

ドルやユーロを勝手に下げてたくせに
エンを下げれば文句を言うと
麻生財務相は海外にむけて言っていたのだから
ジエイタイの訳し方についても
ひとこと言ってやったらいい

それで済むというだけのこと

もちろん
自衛隊という名のままでは
自由民主党付防衛隊
とでも誤解されやしないかと
ご心配なのかもしれぬが

どうせ変えるのなら
地球防衛軍
とでも
大きく出たらいかがかな

アニメの国には
ぴったりさ


2013年2月19日火曜日

けっしてあなたを




評論家が嫌われるのは
評するから
論じるから
言葉の時空をひとりの言葉で埋め尽くそうとするから
認めたわけでもない価値観を平気で抜刀するから

今のじぶんのものでない価値観
それにもとづいてならべられる言葉
そうしたものを
人間はなかなか許せない

多様な価値観を認めて…
受け入れて…
―そんなこと、ありえない
人間の世界では

現場に立たない教育行政官吏や
第二次大戦時の連合軍の継続支配機関の国連のような
そんな御託をならべても
価値観の戦争は人心で続く

平和なんて、ありえない

価値観ABの戦争の後では
かならずCDの戦争が始まる
いつのまにか
ACDも始まり
Bは次代の兵器開発にかかる…

ここまでの記述にあなたが賛成なのが証拠
ここまでの記述にあなたが反対なのが証拠

反対なあなたに
わたしも反対

けっして
あなたを認めはしない

けっして
あなたを許しはしない





作者註
きつい調子で終わってしまいましてスミマセン
わたくしの意見ではないのでございます
ことばが勝手に
ここでは
こんなふうに並びたがっただけでございまして
思いのうちの一筋が
勝手にこんなことばの数珠を作りたがっただけのことでして
「けっして
「あなたを許しはしない
なんて
ああ
「けっして
「あなたを認めはしない
なんて
ああ
キモワル
すこし早めの
ホラーでございますわ