Elle dure peu, la fête des fous....
Leporello dans Don Giovanni
長続きはしないさ、気違いどもの祭はな。
レポレッロin『ドン・ジョヴァンニ』
……読むもののうちには詩もたくさん混じり
長編小説の数々や殊に長大なサーガの類に疲れると
長いといってもせいぜいが『チャイルド・ハロルド』程度の
あるいはワーズワースの『序曲』程度の
詩…なるものの中途半端さと
しかし長大な散文以上の謎の構築の深みとに癒され
しばらくして再び散文の長編フィクションに戻っていくのだった
はじめて買った英語の詩集はワーズワース詩集
J.M.Dent&Sons
LimitedのWalford Davies(St.Anne’sCollege, Oxford)版
読むというより意味をちょぼちょぼと拾いながら
こまかな意味あいの読めなさに慣れていくという夏の日々
高校時代にはのんびりと送った懐かしいポプラの並木たちよ まだ見える
なおも見える 広大だった英国風グラウンドの
もっとも幸せだった本当に若かった頃 すなわち
もっと前世に生以前に近かった頃
いまだに詩などいちども書いたことはないけれどなぜか詩を嫌わなかった
愚かな愚かな愚かな少年から青年へと 四月から十月の草よ
ぼくはいつまでもお前たちのあいだに居続けている魂
などと呼ぶのは浅薄だが(魂という呼称はいつも浅薄)その後十年も
二十年もして 出会った自称他称詩人群は(浅薄だが)魂のない自称詩を
次から次と製造するばかりで付きあいきれない連中だったが
認めるふりをして最初の数行だけ見て目を逸らして
ぼくはあいかわらず本当はワーズワースたちを
コールリジたちを読み続けていた
〈クーブラ・カーンは命じた、
〈ザナドゥに壮麗なる歓楽のドームを建てよと。
〈聖なる河アルフはそこより流れ
〈人間には計りえぬ洞窟をくぐって
〈陽の差さぬ海へと下っていた。
〈In Xanadu did Kubla Khan
〈A stately pleasure-dome decree :
〈Where Alph, the sacred river, ran
〈Through caverns measureless to man
〈Down to a sunless sea. *
謎を求めていたので魅力を求めていたので白けは嫌悪していたので
集中を 狂気に近いほどの繊細を求めていたので
1960年代以降に容易に手に入った日本語の詩はあまりにつまらなかった
現代詩などと人は読んでいたがなんの共感もできぬままに 確かに
不確かに 現
代詩
文
庫
をほとんど読んでみたがやはり共感はできず
アアホントウノ才能ナドイナイナ、現代ニッポン語ノナカニハ、と
ザナドゥに戻っていく心
悪いか?などと問う相手もおらず死に絶えた家系に残った(疎林を抜けて
禿げ山のようになっている丘の上に建つ)古い家に
ひとり戻り軋む扉を閉めると現代などというものはそこには
染み込んでさえ来ずキシキシと廊下を歩くぼくの軽い体重だけが移動し
sunless seaのほうへと自動航行する遺伝子の引力で
たとえ世事の用件があわただしく角膜のおもてを過ぎようとも
流れるものなど本当はなにもなく
曾祖母の代よりもう幾つか前からの着物を冬など着重ね
ギシギシいう机に寄り掛って紙質のよい19世紀前半の本をめくり
時には食堂にユゴーの若い頃の詩集を抱えて
ついでにヴィニーの晩年の狼詩を
ミュッセの散り落ちた花弁のような詩篇も携え
分厚いバイロン卿の数巻さえも食卓の端に重ねて
しかし結局読まずに夢想したままで大きな白紙に落書きのように
言葉を書き連ねるままで深更に到り
祖母の代頃よりの厚手のシーツの皺を伸ばしてベッドメイキングし
たったひとりでその夜の(その世の)最後の明かりを吹き消して
(その世の)
(その世の)
シーツとシーツの間にもぐり込んで
寝入るというより闇のごーっと無音の襲いかかるような重圧に包まれ
ひとりだったさらにさらに
さらに
ひとりでさえなかった闇の中の白い
しかし白いという認識だけで支えられた白さのシーツの
中に体を置き捨てて 思いは(体の中にいる、と科学癖は言いたがる
だろうに)体からはっきりと少し逸れ
だろうに)
だろうに)
もう色もなければかたちも輪郭もない領域にいて
ひとりでさえなかったということだつまり
色もかたちも輪郭さえ
ない領域にいて
つまり
ぼくは覚えている
もし生れでもしたらどうするのだろう
本当には生れていないぼくだがもし生まれでもしたら と
ちょっと
いやいやかなり
不安だったことを闇の中で
不安はさざ波を生みだんだんと大きくなり
しかしやはり大波にまではならないまま小波のまま
闇のなかにさざさざ
さざさざ と
まるく波紋を描きながら伝わっていく
その伝播がぼくだったのではないか生の以前の
前世の
すべて(といっても妄想にすぎないのだが、ともかくも
すべて であるかのような すべて )が始まる前の
いつか
詩でも書いてみようか
まだいちども試みさえしたことのない
謎の言葉の並べ方のほうへと
たった
一行
ひと文字
でも
いつか
*E.H.Coleridge : Kubla
Khna : Or, a vision in a Dream ―A
Fragment