2013年12月1日日曜日

言葉




    「言葉!言葉!言葉!…」
                          ハムレット





切れたクレジットカードが
プラスチックの夕焼けになって溶けている
鍾乳洞のような橋ができて
低めにみれば門ができて
たぶんそこをくぐっていけば、もう
人生について
うるさく言う人もいないはずだが
うるさく言ってほしい気もしている
これが秋というものだ!
柿の実などもうどこにもなくて
たくさんの見えない人たちの首吊り姿が揺れている地球
わたしはわたしをメダルに入れてガラスまで嵌め
いにしえびとよ…と自らを呼ぶ
とうに頭部など霞んでしまっていて
どこかの辻でわたしに出会う鴉などには
首のない胴体がゆらゆら行くと見えるのではないか
鏡を見ても顔も額も髪の毛も見えなくなってずいぶんになる
どこにどう目がついているのか
それも見えないのだが
しかし〈こちらから〉見ることはできるのだ、激しく
激しく、強度を以て
音さえも意味さえも見る!
臭いも見る!
もう眼球などないのに!
しかし〈こちらから〉見る!
これが秋というものか、これが!
柿の実など成っていた古代の(2000年代までの?)日本がゾッと懐かしい
あれらの柿の実はわたしの眼球たちではなかったか?
鴉たちに突かれ
晩秋にいぶられてトロトロと蕩けて崩れていってしまったのだが…
しかしわたしは悔んだり嘆いたりしているのではない、そんな
浪漫派的な滑稽な嘆き節に親しんだことはなく
毎瞬毎瞬あらたな未知の単語や概念や法則の習得に忙しかった…
煙草を燻らし酒を飲んで偉そうに世を嘆くやからとはたくさん交わったが
どいつも本音では馬鹿にしくさって御世辞笑いぐらいはし
店を出れば後もふり返らずにサッサと立ち去った…
立ち去る速さに精神の健康さは現われる
…しかし、
しかし、
こんなことをクダクダ言いたいのではない!
切れたクレジットカードを
プラスチックの夕焼けになって溶けているとでもでっち上げて
そうだ、
鍾乳洞のような橋ができて
低めにみれば門ができて
などと適度な比喩でもくっつけて
「そこをくぐっていけば、もう
人生について
うるさく言う人もいないはずだが
うるさく言ってほしい気もしている」などとちょっと哀調を入れて…
で「これが秋というものだ!」とでも繋げれば
日本人を騙くらかすには好都合というものだと思って始めたのだったが
ちょっとでも言葉数が多くなると、これだ!
逸れちまう!
本音では
哀調詩なんぞくそくらえだし
わたし、いや、おれには悲しみや侘しさはこれっぽっちもないからな
詩歌!
いい加減にしろ、あの糞哀調!
そろそろ本気で離脱しようと思っているぞ
言葉は嘆いたりお涙ちょうだいしたり
共感を装ったりするためにあるのではない
言葉に言葉させること!
言葉に!
こう語る者など誰もおらずおれは言葉
これを読む時はあんたも言葉
言葉が言葉してし続けていくだけの
言葉                                  
   






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