2013年12月4日水曜日

堂々ところがっている



  



主体的主体的…とひとが言うのを聞くたびに
主体的に出生したのかね、あなたは?と聞きたくなるけれど
ちょっとイジワルすぎるよね
そんな質問をするのは

けれど

だれひとり
主体的になんて生れてきていない
だからどこまでも受動的に流されて生きるのも
大自然のなかのちっちゃな泡にすぎないぼくらには
ふさわしいことだと思う
流されて流されて
雨に降りこめられたり
炎暑にくたくたにされたり
なんやかやといたぶられ続けて
そうして心身の限界まで行くというのが
尊いことにぼくには思える

見てごらん
人間であれ動物であれ
死体たちはみんな堂々としている
こせこせと逃げ隠れする死体なんかない
みんな死んだら死にっぱなしで
堂々ところがっている
ころがり続けている
なんとでもしやがれ
なんとでもされてやるからと
大手をひろげて
場所さえあれば大の字になって
堂々ところがっている









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